いよいよ?地図の八瀬に到着。
八瀬の名は、壬申の乱で第40代天武天皇が背に矢を受け、この地のかま風呂に入って完治したと言うところから矢背⇒八瀬の名が付いたそうですが、これは疑問です。
京福電鉄の八瀬遊園1964(昭和39)年開業は、大型プールが有って、水は冷たかったですが、何回か泳いだことは有ります。
その後1983(昭和58)年にはスポーツバレー京都に変わって、私の息子達もこの水泳教室を利用したことが有りますが、深い潜水用のプールで泳ぐ我が子を見てると、なんか怖かったです。
今そこはエクシブ京都八瀬離宮と言う会員制リゾートホテルになってます。
叡山本線終点の八瀬比叡山口駅です。
綺麗にレトロに改修されていました。
丁度駅に、ユニークな外観の観光列車「ひえい」が入ってきました。
櫻の頃に取材に行ってます。
少し歩くと、今度は比叡山頂に行くケーブルカーのケーブル八瀬駅です。
ここからはケーブルカー・ロープウェイと乗り継いで比叡山頂を目指しますが、ケーブルは1925(大正14)年開設で、標高差561ⅿを上るので日本一の標高差を誇るケーブルカーらしいです。
私はこれには乗った記憶はないのですが、3歳の時に家族で比叡山頂で飯盒炊飯をしてる写真が残ってますので、その時に乗ったかもしれません。
ケーブル八瀬駅からもう少し奥の方に、山際にこんな余地があったんだと思われる所を歩いて行くと、この元々は別荘であった瑠璃光院(ルリコウイン)にたどり着きます。
全然知らない所ですが、最近はインスタ映えすると人気になってる場所で、床や机に反射する青紅葉や紅葉で有名になりました。シーズンの拝観料は2000円だそうです。
今回は大原街道が賑わっていた頃は全くなかった物ばかりの紹介になりました。
好評?の大原街道もあと2回ぐらいで終わります。
私の、初めての飯盒炊飯は、中2の時の高原教室でした。
一昔前は、洋風な外観がお洒落でしたが、観光地は、敢えてレトロ風が好まれますね。
小学校の時は飯盒炊飯してますし、家にも飯盒がいつもありましたね。
明治・大正・昭和の洋風建築は、今ではレトロ感が有ってすごく懐かしい感じですが、昭和の住んでいたような家でも家具でも、普通のものまで懐かしく感じる年になりましたね。
だれが何しに行くんだろう…の疑問も、なるほど、瑠璃光院か!
比叡山と言えば、昔、先生の送別会かな?うどん屋の二階で聞いた、一大スペクタクル大ロマンスの場所?…違うかったかな?笑
そう閉まってしまった比叡山有料道路を開けてもらって、二人で行きついた恋路の果て比叡山です。
今は、家内は私と結婚したことさえ覚えてないみたいですが。
良くケーブルカー造ったと感心します。
「八瀬離宮」とは大層な名前を付けたもんですね。
しかし、セはどこが優勝するか分かりませんよ。
主力が離脱したチームから落ちて行くので、選手のコンディション管理がポイントですね。
中日にはまだ優勝する根性が備わってないようですし、横浜はポカが多すぎ、でもヤクルトにもチャンス出てきましたね。
福山雅治本人の写真をお見せください!笑
いや、冗談ぬきで、先生は愛妻家で、よくやっておられますよ。大事にしてもらえる奥様が、羨ましい。うちだったら、こうは行かないような気がします。