2月11日(祝)に4人の家族旅行?の様相で観光した上五島。
最初の頭ヶ島天主堂で、長崎新聞に写真が載るようなハプニングに出会いましたが、「上五島ふるさとガイドの会」の会長の、天主堂の詳しい説明を聞くことも出来て良かったですし、頭ヶ島近くの隠れた名所のこともいろいろ聞けたので、寄ってみました。
頭ヶ島からの帰り道、すぐ近くにある最近できた坂本龍馬の銅像、今や懐かしくなってしまった研修医二人とです。
この銅像自体は、ガイドの会長さんも、どうでも良いようなそぶりでしたが、坂本龍馬はここまで来ていたようです。
銅像のそばに新しく建っていた「潮谷そど(騒動)」の碑ー2013年11月23日除幕(昨年訪れた時は見逃していました)ー:
坂本龍馬率いる「亀山社中」の持ち船ワイル・ウエフ号が、1866年(慶応2年)5月2日にここ江の浜沖で遭難し、乗組員12名が命を落としたそうです。
龍馬はすぐにこの地へ来て、自ら碑文を書き、同志の霊を弔うため、資金を添えて墓碑を依頼したと言われていましたが、それを証明するものはなかったようです。
昭和43年有川地区に赴任された学校の先生が、その墓碑を探されましたが見つからず、諦めていた時に、村の古老がこの「潮谷そど」という俗謡を歌ってくれて、これが事実あったことが判明し、墓碑も見つかったそうです。
以前にも紹介したワイル・ウエフ号の梶棒。
これも村の家の梁に使われていたのを発見したそうですが、近くの民家(民宿)の庭に飾られています。
そして今回、見過ごしてしまいそうでしたが、江の浜地区の共同墓地にある墓碑も、説明を聞いていたおかげでたどり着けました。
この白いコンクリートのあずまやで守られていましたが、風情には欠けます。
これがあずまやの中にあった龍馬が依頼した墓碑、共同墓地の他の墓は陸地を向いているのに、この墓碑だけは海を向いていると、頭ヶ島でガイド会長さんに聞いていましたが、墓の前には家が建っていて、海は近いのに見えず、名所として宣伝するには迫力に欠けました。
又、私には碑文も遭難者名も読み取ることはできませんでした。
返事
花水木さん:確かに都会で普通の車に混じって走るのは、
浮「気もしますね。
福山市さん:昔の太古もきれいでしたが、よりきれいになりましたね。
九商フェリーより、太古は豪華船旅をしてる気がしますね。
日島の古い墓地辺りは、確かに人いませんね。
五島列島の西側海岸は、西の果て感濃厚ですね。
福山市さんはいろいろ楽しんでおられるので、羨ましいです。
大雪男さん:月光仮面とミゼット、どちらが知名度高いですかね?
和さん:本人は「男の子」をもう感じていませんよ。
和みさん:渡米って、すごいですね!
向こうでもぜひ「島の医者・・・」読んで下さいね。
外国でも最低3人の人がこれを読んでくれていると思いますので。