さんざん伝えられた「光景」だが、
直に接すると、冷血漢の私にもさすがに響いてくるものがある。
ボランティアさんに散歩に連れて行ってもらった犬が、
私の前で急に「イヤイヤ」をし始めた。
てこでも動かない。
自分のバリケンが置かれた建物近くに戻ったときにである。
そう、彼(彼女?)はもう帰りたくないのだ。
「絶望」という名のバリケンには…。
追い込んだのが人間なら、手を差し伸べるのも人間しかいない。
何ができるのか。ちょっと真面目に考える私である。
何十人ものボランティアさんたちが懸命に犬の世話をしていた。
まったく頭が下がる。
この三連休、一日に三百人以上が駆けつけたそうだ。
私がいる間にも、次々にボランティアさんがいらっしゃった。
入り口で登録し、まなじりを決して園内に入ってこられる。
ただただ敬服するのみである。
21、22日が譲渡会だそうだ。
面談の後、二週間のトライアルが始まる。
そこをクリアすれば、仮譲渡。
一定期間のうちに避妊あるいは去勢手術を受け、
トイレトレーニングもされていないし、
当分は「ところ構わず」の日々だろう。
先住犬との折り合いが付くかどうかも心配だ。
「こんな筈じゃなかった」って人も出てくるだろう。
それでも人犬ともに何とか乗り越え、幸せをつかんでもらいたいものだ。
心底、そう思うね。
そんな「ぱーく」で気になる掲示を見かけた。
「見学の方はご遠慮ください」なぞと書いてある。
ボランティアで何度も行かれた犬友達さんに聞くと、
トホホな光景が繰り広げられていたらしい。
幼児を連れた若い夫婦が勝手に犬を散歩させ、
子どもは園内でお菓子をモグモグ。
「●●ちゃん、ワンちゃんよぉー」ってなもんである。
在りし日の「ぱーく」が再現されていたのだと言う。
その話を聞いた時、
自分が踏んだ、いくつかの「現場」を思い出した。
例えば、阪神大震災の際の長田地区。
焼け跡に花が手向けられている一方で、
物見遊山の観光客?が平気でごみを捨てていく。
心がザワザワしたのを覚えている。
松本サリン事件の際もそうだった。
疑惑の会社員とされた河野義行さん宅で、
段ボール箱一杯の中傷のはがきを見た際、頭を殴られたような気がした。
「当時は家の前に、観光バスが乗り付けてたんですよ」と河野さん。
日本が戦後五十年かかって構築した「民主主義」は、こんなもんだったんですかね―
彼の目は、そう問い掛けていた。
震災時の光景だって、松本サリンだって、ドッグぱーくだって、
結局は同じものを我々に突きつけているような気がする。
民度ってものは、いつも試されているんだよね。
だからこそ、しっかり対応したいものだ。