昨夜、早めの夕食を取った後、電車を乗り継いで、町田で落語会を聞いてきました。正月の文枝の初笑いから二度目の町田です。
今度は舞台の左前方で、相当斜めから見るんだと気になっていましたが、たい平さんは結構左を見てくれているようで、気にならなかったです。
チケットを購入した時には落語ファンになるそー!と張り切っていたのに、年明けてさらに外出が夜となると気がめいってきましたが、がんばって化粧までして(めったに外に出ないから)出かけました。二度目の場所(町田市民ホール)なので、ただのカンですたすた足を進めました。あっていて、よかった・・。
二人会と言っても二人だけじゃなく、それぞれのお弟子さんが前座を務めていました。昇太のお弟子さんが出た後、いよいよたい平さん。題目は「幾代餅」でした(事前に何の勉強もないから、はじめての話)。相当、感動して涙まで出ました、笑いながら。純情な恋愛に涙した、ということでしょうか、話もよかった。落語は、一人芝居みたいなもので、聞いている方がイメージ膨らませて、おもしろい世界なんですね。ちょっと遠くても、でかけてよかったです。
落語には確か、いくつか傾城の話がありますし、吉原の話は何となく知っています。あの樋口一葉の「たけくらべ」も、吉原が舞台だったような。花魁になるには教養を積み勉強をして、さらに男女の営みの技も覚えるんだから、すごい修業です。身受けされて世間に出ることもあれば、年季が明けて自由の身になることも。上り詰めても、そこは女の花の世界、枯れたら落ちるだけなのかも・・。
ところで、先日「不義密通」という本を借りて読んだのですが、江戸時代の武家社会でこの密通がよくあったそう。今の不倫と同じですね。それと、村の結婚前の娘が妊娠した時は、その相手の家が、生まれる子の費用を出したとのこと、さらにその娘が複数の男性と付き合っていた場合、その複数が頭割りして出したとか。おお、なんとすばらしい!DNAで調べられない時代でしたから。
案外、昔の方が、恋愛に関して自由だったのではと感じます。女性の処女性が重視されるのって、儒教思想よりも西洋化の影響が強いのかと思います。日本では、花魁でも年季が明けたら普通のお嫁さんになれるし、むしろ教養があってその方がいいという場合もあったのです。それは外国では考えられないことです。外国では、一度体を売る商売をした女性は、最後まで十字架を背負い軽蔑される人生なんだそう。買うやつはいいのか?ですよね。
日本では、いろいろわかっていていいじゃない?という話かな。そして、落語に戻りますが、錦絵に書かれていた花魁の「幾代太夫」に一目ぼれした奉公人清蔵が、恋患いで寝込み、死にそうになった時に主人が「一年働いてお金を貯めて吉原に会いに行け、俺がなんとかしてやる」と言ったのです。それを信じて一年働き、普通は最初に会うことすらかなわない人気の花魁に、藪医者で遊び人の先生の案内で運よく会えて、更に運よく朝まで一緒にすごすことができたのです。筆おろしさせてもらったのでしょう。大夫に、今度いつ会えるかと聞かれ、野田の醤油屋の若旦那と偽っていたのを正直に白状し、また一年働いてお金をためないと来られないと清蔵が言うと、彼女はその純な清蔵にほれ込み、来年月3月に年季が明けたらあなたのところにお嫁に行ってもいいかと言ったのでした。
吉原のおとぎ話です。ここで私が感動したのは、若い清蔵が、一目会いたいと一年も我慢して会った女性とようやく恋が成就し、次に会えるのはまた一年先と、ずっと我慢できること。さらに、花魁の幾代太夫は、おそらくたくさんの男性を見てきているので、一目見て正直な清蔵の人間性を見抜いたのでしょう、自分の生涯の伴侶と決めたこと。
男の純情と女の心根、私はそれに感動しました。たい平さんの語り口もすごく良かった。
何事も、女性上位の方が、本当はうまくいくんだと思いますよ。小池都知事、がんばってくださいね!
男女の技も、女性上位のほうが本当はうまくいくと思います。男性は興味本位で下手したら女性に無理をさせるじゃないですか、DVにつながりかねませんからね。まあ、お互いに喜び、喜ばせるのが大切です。自分勝手が一番悪い、それは虐待以外の何物でもないのです。
話の舞台になった日本橋、その川を超えた下町に住んでいたので、あのあたりの地名は懐かしい響きがあります。私の子供の頃の都会は、日本橋でした。銀座はさらにその先。西に流れて、多摩地域に長く住んでいます。そうそう、昇太さんは小田急線沿線だそうで、少しずつ新宿に近づいているとのこと。私は若いころに世田谷代田に住んでいました。彼は静岡から新宿方向へ、私と逆です。湘南の話は、おもしろかったなあ。
下町に住んでいたからこそ、落語で出てくる地名がなつかしい。今さらながら江戸文化に興味津々です。