ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

かわりにマロングラッセ割れを

2005年10月29日 09時29分38秒 | 食に関して
 昨日は、2週間に一度、ドイツサワー種を種継ぎするので、ついでにドイツミッシュブロートをコルプを使って作ろうという日だったのです。午後、個人レッスンの先生に久し振りに指導を受けるので、手土産にとはりきっていたのでした。
 幸い、富沢商店でマロングラッセ割れを買っておいたので、くるみの代わりにそれを使ってみました。つまり、マロングラッセ割れと乾燥無花果の入ったライ麦パンです。これも、秋期限定といえるでしょうね。案外、おいしく出来ました。めでたし、めでたし。
 夜は、ワインのつまみにと、グージェールを焼きました(私はチーズはコンテを使用)。夫も大喜びでした。というわけで、今朝は、二日酔い気味、ちょっとふらふら。今日は、日本女子大オケの練習です(ヴィオラジョークを地で行きそうだ・・・)。
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くるみに虫が!

2005年10月28日 07時36分33秒 | 食に関して
 こんなことは、はじめてでした。パン用に買ってあった胡桃、今日、ドイツパンを作るためにローストしようと、袋からフライパンに出したら、何か色がヘン・・・。黒っぽいな、と思っていたら、さらにあろうことか、虫が・・・・!
 コルプにはよく、虫がわくから気をつけていたのですが、くるみに虫がわくなんて、初めての経験です。ショック・・・。
 くるみのないパンなんて・・・。ちょっと使いかけたら必ず、冷蔵庫保存をしなくてはいけなかったのですね。作る気力も、失せてしまいました、とほほ。アメリカ産って、信用できないよなー、と、これは意地悪な見解?!
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アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク

2005年10月27日 23時05分18秒 | 音楽
 あの有名なモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークを合奏団で練習します。指導の先生は、もともと古楽に詳しい武蔵野音大で教鞭をとっていた先生で、今回は、パート譜はペーター版を使いますが、余計な書き込みを排除して、スコアは先生が持っているベーレンライターの新モーツァルト全集を使います(私はペーパーバック版を持ってるけれど)。そして、当時のモーツァルトの意図した演奏に近づこうという企画です。
 ペーター版の余計なお世話のスラーやボウイングの指示を取ってみると、本当に違った演奏になります。そう、いままでの演奏は一体なんだったんだろう・・・。
 多分、こういうアプローチが、ピリオド楽器演奏の最初の動きだったのでしょう。私たちは、わざわざ、19世紀末から20世紀初頭の、いいとされていた音楽を通してしか、モーツァルトの楽譜の練習をしていなかったなんてことになっていたのです。
 ゆっくりと勉強していきますが、これからが楽しみな練習です。きっと、先生ご自身も楽しいんだと思います。次回が待ち遠しいです。
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うれしいことこのうえない

2005年10月27日 22時11分52秒 | 読書
 先日、広島に行ってきて、現地で「チンチン電車と女学生」という本を買いたかったのですが、見つからず、帰ってから地元の図書館にあるのを知り、予約してやっと借りました。そのとき、時間があって本棚を見ていたら、こちらもとても興味が湧いた本を見つけました。「ニコラウス・アーノンクール 未踏の領域への探求者」という、モーニカ・メルトル著小谷民菜訳の音楽の友社から出ている本です。古楽界のマエストロの彼の伝記ですが、ぱらぱらとめくると、彼や奥さんのアリス/アーノンクールの若い頃の写真などがあって、見ているだけでも楽しいのです。そして、なぜ、彼がピリオド楽器の世界に惹かれたのか、この本を読めばよくわかるはず。チンチン電車の次にぜひ、速く読みたいです。いまは、夫が読んでいます。
 そして今日、合奏団の練習の帰りに駅でバスを待っていたとき、時間があったので近くの書店に入りました。そこで、待望のアーロン・エルキンズの新著を見つけたのです。スケルトン探偵のギデオン・オリヴァーのシリーズで、タイトルは「骨の島」。ハヤカワからの出版です。この話の内容は、どうもイタリア貴族のことらしい・・・。たまたま時間があったので本屋に寄ったのですが、本当にラッキーでした。その書店は、京王のポイントもつくし(本当、ラッキー!)。
 さてさて、急に読みたい本が怒涛のように現れてしまいました。大変です。
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別所哲也さん

2005年10月24日 18時23分48秒 | 映画

 今日の昼、NHKスタジオパークを見ていました。ゲストは別所哲也さん。彼は、英語が得意なんですよね。いま、朝ドラ「風のハルカ」に出演中。今日のトークで、初めて知ったのですが、彼は、日本でショートフィルムのフェスティバルを主催しているそうな。外国では、映画監督は最初、ショートフィルムを撮るらしいのですが、日本ではあまりなじみがない。それを、ぜひ日本で見てもらおうとフェスティバルを作ったとか。うーん、すごい人です。私は、彼は日本のロバート・レッドフォードみたいと思いました。そう思ったら、何か、顔まで似て見えるから不思議。
 その、彼が代表をしているフェスティバルがこちらです。もっともっと、大勢の人に知られるといいですよね。
 サンダンス映画祭は、こちらです。英語だから、よくわからないけれど・・・。
 こうして、何か行動を起こす勇気とパワー、素晴らしいです。ずっと続いてほしいですね。最近、忙しくてちょっと映画に行く暇もないのが、悲しい、とほほ。
 そういえば、結婚前だから20年以上も昔、自主制作映画がブームだった頃、その8ミリフィルム映画を三百人劇場で見ましたっけ。この劇場、来年末には、老朽化のために取り壊されるそうです。

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カローシの方程式

2005年10月24日 08時19分05秒 | 社会
 怖いタイトルですが、現実にありうると思い、書きました。夫の職場がひどい状況で、高齢のワンマン経営者に腹が立ってしかたがありません。
 リストラのあと、ただでさえ少ない社員で仕事をしているから、一人当たりの仕事の量が増えているのに、給料は下がる一方。夏のボーナスは1ヶ月しか出ませんでした。そして、中間管理職への厳しいしめつけに、悔しい思いをしています。
 ケチな経営者は、警備会社が値下げを認めなかったため、その警備員の仕事を社員に押し付け、朝の鍵開けと夜の鍵閉めを、夫のような中間管理職にさせて、時間外労働を認めないというのです。ひどいものです。朝は始発電車に乗り、夜は深夜まで帰宅できない・・・。料理が趣味の夫は、とうぜん、ストレスもたまるでしょうに。これで、家族とも顔を合わさなくなったら、まさに家庭崩壊。ばかばかしくて、やってられませんよ。まるで、奴隷のように働く社員って、どうして?と思います。たぶん、反抗する気力もないのでしょう。
 経営者の側から見れば、社員なんて、とりかえがきく、消耗品なんですよ。でも、家族から見れば、かわりのきかない大切な存在なんです。社員のことを考えない経営者なんて、許せないです。独裁者で、利益を社員に全く還元しない。高齢で、棺おけに足をかけているのに、あの世まで現金を持っていくつもりなんでしょうか。閻魔大王にいじめられるがいい(って、日本昔話じゃないけれど)。あーあ、ディケンズのクリスマスキャロルのスクルージじいさんでしたっけ、最後にいいじいさんになってくれればいいけれど、世の中そんなに甘くないか・・・。こういう経営者や会社を訴える方法はないのでしょうか。
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懐かしいホワイトストーン(競馬)

2005年10月23日 16時42分26秒 | 芸能スポーツ

 久し振りに、競馬をテレビで見ました(菊花賞)。今日は、三冠がかかったディープインパクトを見るためです。あれだけのプレッシャーに、騎手も馬も本当にがんばりましたね。私はかねがね、武豊騎手は、馬と会話ができると思うのですが、どうでしょうか。彼は天才ですね。
 馬券を買ったのは結婚当初、夫とちょっとだけ参加したくらいでしたが、当時はホワイトストーンという馬が、なぜだか好きでした。多分、競馬雑誌の吉田みほの漫画に出てきた「白石君」が気に入ったからでしょうか。夫と高幡不動におまいりに行ったときも、参道の電気屋で見かけた競馬レースに、ホワイトストーンの雄姿がありましたっけ。インターネットで探したら、ホワイトストーン物語があり、彼が既に亡くなっていることを知りました。残念です。種馬として、ずっとがんばってほしかった。
 ディープインパクトのように、ものすごい人気があったわけではないけれど、そういう馬って、いるんですよね。私は、騎手も、一番好きなのは、横山典弘さんだし・・・。
 そう、今日は、もしかしたら1着だったかもしれなかったんですよ、惜しかったなー。

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オーケストラ・リベラ・クラシカ定期演奏会

2005年10月22日 08時40分16秒 | 音楽
 昨夜、浜離宮朝日ホールでオーケストラ・リベラ・クラシカの第13回定期公演を聴いてきました。この鈴木秀美さん主宰のピリオド楽器のオケの定期会員担ったのは私だけで、夫は聴きに行かず、私一人で通っています。お兄さんの鈴木雅明さんのバッハ・コレギウム・ジャパンの方は相変わらず二人で通っています。ただ、朝日ホールのある築地市場は、BCJの初台と違い、遠いのなんのって・・・。終わって八王子に帰るのが大変です。だから、終演後の演奏者を囲んでのホワイエでの宴会は、出たくでも出ようがないです(とほほ)。
 このOLCの演奏のよさは、小編成できびきびした演奏です。とにかく、聴いていて、わくわくするのです。レパートリーはモーツァルトやハイドン中心。ロンドンシンフォニーを練習中の私としては、とてもいい勉強になります。今回、いつものコンミス若松夏美さんはお休みで、コンミスは高田あずみさんでした。曲目はハイドンが自分で影響を受けたと言っていた唯一の作曲家、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(J.S.バッハの息子)の曲が3曲、うち一つはチェロ協奏曲、そしてハイドンの交響曲12番でした。どれも短めの曲ですが、すごく面白いんです。さすが、聴衆を驚かすのに長けていたハイドンが影響を受けたというC.P.E.バッハの曲の構成は見事です。楽章の切れ目がなく、どんどん引き込んでいくんです。演奏していても面白いでしょう、きっと。確かに彼の曲はあまり演奏される機会がないのが残念です。管は、メンバーが少し変ったのでしょうか、オーボエはいつもはブロンドの髪のハンサム二人でしたが、一人はミスター・ビーンに似た人に入れ替わっていました(ちょっと残念。日本人以外の男性演奏者を鑑賞していたんですよ、実は)。ホルンは、フォルテピアノ奏者の小倉貴久子さんの夫である塚田聡さんが出ていました。そうそう、彼女のサイト、メヌエット・デア・フリューゲルで、意外なことを発見しました。バロックヴァイオリン奏者の桐山建志さんはわかるのですが、同じヴァイオリン奏者として藤村政芳さんがピリオド楽器を演奏しているのです。彼は嵯峨カルテットのヴィオラ奏者として私がずっと聴いていたものですから。銀座のテプコ館での連続演奏会は、知り合いの中見貞夫さんが解説してとても人気があったのです。その中見氏も突然亡くなり、以来、嵯峨カルテットを聴いていません・・。藤村さんは新境地を開拓したんですね。こちらも興味津々です。
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ついに乳団子に出会う

2005年10月21日 15時13分27秒 | 食に関して
 広島に行き、遂に、念願の「乳団子」に出会いました。まず、広島空港から市内のバスセンターに着き、その同じ場所のSOGOの地下にあるとのこと、さっそく探してみました。広島銘菓の売り場に、やっと「乳団子」がありましたが、置いてあったのはたった一箱。もちろん、慌てて買いました。そして、宿でじっくりあけて、お茶で食べてみたら、大人しい味でちょっと地味ですが、あとからお乳の味が広がりました。懐かしいですね、25年以上前に味わったんですから。よし、明日も絶対に買おうと誓い、翌日、同じSOGOの地下にいくと、昨日とは打って変わって、けっこう積んであったんです。それも、箱は25個入り、ほかに10個入りの小さなパックもあったのです。何でも、この銘菓が生まれたのは、明治33年に七塚原高原に農商務省直営の種蓄牧場が設立され、その牛乳を主原料に滋養に富む菓子をと永年考えてきて、昭和9年に発売されたのがこの「乳団子」。歴史が古いんですよー。この菓子は水を一滴も使わず牛乳をベースに餅粉、砂糖、水あめ、はちみつなどを混合したものだそうです。和泉光和堂という老舗の銘菓、私はとても気に入っています。ぜひ、全国的に売れてほしいです。
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原爆ドーム

2005年10月21日 14時48分19秒 | 社会

 おとといと昨日、たった1泊でしたが、飛行機の往復で生まれて初めて広島に行って来ました。今年は戦後60年の節目、どうしても今年中に、あの世界遺産の原爆ドームを見たかったのです。
 広島に着いたのは夕方、それも、空港からまた市街地へはリムジンバスで1時間ほど。ホテルに着いたのが夕食時でしたので、その日は食事に出掛けるだけで、他のところを見学する時間がありませんでした。
 翌日、早めに目覚めたので、朝食前に散歩に出掛けました。私が宿泊したのは、サンホテル広島。合同庁舎の横にあるので、ビジネスマン向きでしょうか。その日は、学会の関係者が大勢泊っていたとのことですが、どんな学会だったのでしょうか?
 格安航空券にセットでついているホテルですが、コンパクトな中に、きちんとサービスも充実していて、よかったと思います。また利用したいですね。
 ホテルには、市内の地図が置いてあり、ホテルの場所がラインマーカーでわかりやすくなっていました。迷子になっても安心?その地図をたよりに、とことこと朝の街を歩きました。広島は、道路が広くて、チンチン電車が走っているのがとても珍しくて面白いのです。3両くらい繋がっている大きな電車もありました。その、いろんな種類の電車を見るだけでも楽しいのですが、原爆ドームのあるところへも、徒歩でいかれました。徐々に、木の茂みからその姿が見えたときは、感動しました。そして、周りをぐるっと歩き、瓦礫のようなあのドームを観察しました。この、原爆の被害を受けた建物を、後世のために(懺悔として)残し、いま「世界遺産」としてあることの意味を考えました。周りの街の風景がモダンであるからこそ、そのギャップに呆然としてしまいます。でも、この世界遺産は、世界遺産として選ばれた意味がとてつもなく大きなものだと思いました。人間への教訓として、永遠に人の良心へ語りかけていく存在なんだと思います。悲しみの遺産です。
 朝食後、再び同じ場所に行き、資料館を見学しました。大勢の修学旅行の生徒たちが強制的に見に来ていましたが、何か大切な思いを感じてくれればいいと思うのですが、おおかたはどうでもなさそうな、想像力のない反応でした。集団で見るというのは、あまり意味がないのでは、と思いましたね。それより、たった一人で見て一人で考えることのほうがどれだけ学習できるかわかりません。まるで関係ない世界と思っているだろう彼らの未来が明るくないことくらい、もうちょっとわかれと思いますが、私は彼らより先にこの世から消えますから、どうか、自分をしっかり持って成長してもらいたいものです。
 核廃絶の道が途方もなく困難であること、でも、一人一人がそれを望んで意志を表すことが大切なんだと思います。戦争放棄、核廃絶、平和への願いをもっともっと大きくして、少しでも紛争のない世界になってほしいです。自分の命と同じだけ、人の命も尊く、誰もが生きる権利がある、その権利を踏みにじられるのが戦争であり、国家の横暴。憲法9条と24条、絶対に変えてはいけないと思います。
 今回の旅行で、もう1箇所、見学したのが、頼山陽史跡資料館です。実は、私の名前の由来が、この頼山陽にあるのです。父に聞いたら、才色兼備の頼山陽の妻、「梨影(りえ)」から音をもらったとのこと。残念ながら、父の思惑通りに才色兼備には成長しませんでしたが、このハイカラな響きの名前は、ありがたいと思っていましたので、江戸時代の女性の名前だとは意外で、確かめたかったのです。たしかに、妻の梨影の名前を確認できました。ある種、自分探しの旅だったようでした。

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