幸い、富沢商店でマロングラッセ割れを買っておいたので、くるみの代わりにそれを使ってみました。つまり、マロングラッセ割れと乾燥無花果の入ったライ麦パンです。これも、秋期限定といえるでしょうね。案外、おいしく出来ました。めでたし、めでたし。
夜は、ワインのつまみにと、グージェールを焼きました(私はチーズはコンテを使用)。夫も大喜びでした。というわけで、今朝は、二日酔い気味、ちょっとふらふら。今日は、日本女子大オケの練習です(ヴィオラジョークを地で行きそうだ・・・)。
今日の昼、NHKスタジオパークを見ていました。ゲストは別所哲也さん。彼は、英語が得意なんですよね。いま、朝ドラ「風のハルカ」に出演中。今日のトークで、初めて知ったのですが、彼は、日本でショートフィルムのフェスティバルを主催しているそうな。外国では、映画監督は最初、ショートフィルムを撮るらしいのですが、日本ではあまりなじみがない。それを、ぜひ日本で見てもらおうとフェスティバルを作ったとか。うーん、すごい人です。私は、彼は日本のロバート・レッドフォードみたいと思いました。そう思ったら、何か、顔まで似て見えるから不思議。
その、彼が代表をしているフェスティバルがこちらです。もっともっと、大勢の人に知られるといいですよね。
サンダンス映画祭は、こちらです。英語だから、よくわからないけれど・・・。
こうして、何か行動を起こす勇気とパワー、素晴らしいです。ずっと続いてほしいですね。最近、忙しくてちょっと映画に行く暇もないのが、悲しい、とほほ。
そういえば、結婚前だから20年以上も昔、自主制作映画がブームだった頃、その8ミリフィルム映画を三百人劇場で見ましたっけ。この劇場、来年末には、老朽化のために取り壊されるそうです。
久し振りに、競馬をテレビで見ました(菊花賞)。今日は、三冠がかかったディープインパクトを見るためです。あれだけのプレッシャーに、騎手も馬も本当にがんばりましたね。私はかねがね、武豊騎手は、馬と会話ができると思うのですが、どうでしょうか。彼は天才ですね。
馬券を買ったのは結婚当初、夫とちょっとだけ参加したくらいでしたが、当時はホワイトストーンという馬が、なぜだか好きでした。多分、競馬雑誌の吉田みほの漫画に出てきた「白石君」が気に入ったからでしょうか。夫と高幡不動におまいりに行ったときも、参道の電気屋で見かけた競馬レースに、ホワイトストーンの雄姿がありましたっけ。インターネットで探したら、ホワイトストーン物語があり、彼が既に亡くなっていることを知りました。残念です。種馬として、ずっとがんばってほしかった。
ディープインパクトのように、ものすごい人気があったわけではないけれど、そういう馬って、いるんですよね。私は、騎手も、一番好きなのは、横山典弘さんだし・・・。
そう、今日は、もしかしたら1着だったかもしれなかったんですよ、惜しかったなー。
おとといと昨日、たった1泊でしたが、飛行機の往復で生まれて初めて広島に行って来ました。今年は戦後60年の節目、どうしても今年中に、あの世界遺産の原爆ドームを見たかったのです。
広島に着いたのは夕方、それも、空港からまた市街地へはリムジンバスで1時間ほど。ホテルに着いたのが夕食時でしたので、その日は食事に出掛けるだけで、他のところを見学する時間がありませんでした。
翌日、早めに目覚めたので、朝食前に散歩に出掛けました。私が宿泊したのは、サンホテル広島。合同庁舎の横にあるので、ビジネスマン向きでしょうか。その日は、学会の関係者が大勢泊っていたとのことですが、どんな学会だったのでしょうか?
格安航空券にセットでついているホテルですが、コンパクトな中に、きちんとサービスも充実していて、よかったと思います。また利用したいですね。
ホテルには、市内の地図が置いてあり、ホテルの場所がラインマーカーでわかりやすくなっていました。迷子になっても安心?その地図をたよりに、とことこと朝の街を歩きました。広島は、道路が広くて、チンチン電車が走っているのがとても珍しくて面白いのです。3両くらい繋がっている大きな電車もありました。その、いろんな種類の電車を見るだけでも楽しいのですが、原爆ドームのあるところへも、徒歩でいかれました。徐々に、木の茂みからその姿が見えたときは、感動しました。そして、周りをぐるっと歩き、瓦礫のようなあのドームを観察しました。この、原爆の被害を受けた建物を、後世のために(懺悔として)残し、いま「世界遺産」としてあることの意味を考えました。周りの街の風景がモダンであるからこそ、そのギャップに呆然としてしまいます。でも、この世界遺産は、世界遺産として選ばれた意味がとてつもなく大きなものだと思いました。人間への教訓として、永遠に人の良心へ語りかけていく存在なんだと思います。悲しみの遺産です。
朝食後、再び同じ場所に行き、資料館を見学しました。大勢の修学旅行の生徒たちが強制的に見に来ていましたが、何か大切な思いを感じてくれればいいと思うのですが、おおかたはどうでもなさそうな、想像力のない反応でした。集団で見るというのは、あまり意味がないのでは、と思いましたね。それより、たった一人で見て一人で考えることのほうがどれだけ学習できるかわかりません。まるで関係ない世界と思っているだろう彼らの未来が明るくないことくらい、もうちょっとわかれと思いますが、私は彼らより先にこの世から消えますから、どうか、自分をしっかり持って成長してもらいたいものです。
核廃絶の道が途方もなく困難であること、でも、一人一人がそれを望んで意志を表すことが大切なんだと思います。戦争放棄、核廃絶、平和への願いをもっともっと大きくして、少しでも紛争のない世界になってほしいです。自分の命と同じだけ、人の命も尊く、誰もが生きる権利がある、その権利を踏みにじられるのが戦争であり、国家の横暴。憲法9条と24条、絶対に変えてはいけないと思います。
今回の旅行で、もう1箇所、見学したのが、頼山陽史跡資料館です。実は、私の名前の由来が、この頼山陽にあるのです。父に聞いたら、才色兼備の頼山陽の妻、「梨影(りえ)」から音をもらったとのこと。残念ながら、父の思惑通りに才色兼備には成長しませんでしたが、このハイカラな響きの名前は、ありがたいと思っていましたので、江戸時代の女性の名前だとは意外で、確かめたかったのです。たしかに、妻の梨影の名前を確認できました。ある種、自分探しの旅だったようでした。