以前、一度もサーカスを見たことがなかったので、2年前の夏に初めてボリショイサーカスを夫と昭島で見たのですが、そのとき以来のワクワク感でした。
本当に、ロッキーさんは沖縄にも行っていたんですね。「東日本のみなさん」というのが、面白かった・・・。これからもがんばってくださいね。今日は割とお金集まったようでしたし、美味しいもの、たくさん食べてがんばりましょう!
ロッキーさん、お疲れ様でした。上野って、意外と面白い・・・。
昨日は、夜、コンサートを聞きに行く予定がありました。バッハ・コレギウム・ジャパンの定期演奏会です。それで、夕方家を出る前に、いろいろとやっていたのですが、まず、猫に夜の分の食事、そして自分達の食事の支度。夫が数日前に作ったカレーが冷蔵庫にあるので、それを食べればいいからと、お米の支度をしていました。我が家は、米の中に少し油脂を加えるのです。以前は太白ごま油でしたが、今は、酒屋さんがくれた米油、原料が同じだから当然相性もいいだろうと、単純な発想です。それで、食用油の容器の蓋をつかんで持ち上げたら、なんと蓋が取れて落下し、私の膝から下と足許が油まみれに!あと5分で着替えて出掛けるのに!!もう、パニックでしたね。気を取り直して、ティッシュペーパーと雑巾で必死に掃除をし、米にその恨みの油も加えてタイマーをセットし、当然、化粧する時間もないので諦め、素面でさっさと着替え、新しいオルビスのストッキングをはいた途端、これまた伝線!!えーーー???もう、ショックでしたね。このタイプのは、私にしては高価だったのです、とほほ。そんなこんなでも、超特急で家を出て、「何て、ついていない日なんだ!」と、腹が立つやら気落ちするやら・・・。コンサート会場の手前で、イタリアントマトJrという、ヴェローチェのように安いカフェがあるので、そこでエスプレッソコーヒー160円を注文しました。すると、私の後に並んだ男性は女性を連れていて、チラッと見たのです。私も、どこかで見た顔だと思いながら、そそくさとコーヒーをもらい、すぐ隣のカウンターで一人で飲み始めました。その彼は、女性の分とテイクアウトで注文していましたが、すぐに思い出しました。本番まで30分切っているけれど、かれは、BCJのオーボエ奏者、三宮さん、隣は尾崎さん!まー、間に合うの?とちょっと心配。でも、飲んで店を出た時には、もう一人、それらしいステージ衣装の外国人男性が、まだ座って食べていました。多分、ファゴットのダニー・ボンド氏では?彼、18世紀オーケストラのメンバーでもあるそうです。すごいですね。
というわけで、ついていなかったのか、ついていたのか・・、よくわかりませんでした。もちろん、演奏は、とてもよかったです。カンタータ127番の中の曲、三宮さんのオーボエソロとソプラノのアリア、とっても素敵でした。後半、弦もピッチカートで加わるんですよ、これもまた面白いのです。いい曲でした。今回の定演で、バッハのコラールカンタータの最後という、一区切りのコンサートだったそうです。
なんとなんと、うれしいことに、昨日の朝日新聞の夕刊に、大学の恩師(かっこいいでしょ!)のコメントが載っていました。なんでも、好太王碑の新しい墨本が中国で発見され、今まで論争があった、旧日本軍による改ざん説を否定することになったという話でした。なつかしいですねーーー。この、広開土王碑については、大学時代、恩師にいろいろ教えてもらったことがありました。
自分が習った先生が新聞に載る(注意してみれば、彼はいろいろ研究しているので、よく出ているのに、私が気がつかないだけ)のは、とてもうれしいことです。それに、特に、彼は、私が(こともあろうに!)一浪してやっと入った大学で、年次主任(担任みたいなもの)だったのです。先輩の間でも、かなり厳しいと評判でしたが、もともと私はずっと彼の専門の古代史に居座りつづけたので、彼を中心に勉強会を作って同級生とゼミをしたり、合宿をしたり、本当によく勉強したものでした。親も、実は大学院まで行くと思っていたようでした。が、憧れのその先生以外に、好きな男性を見つけるようになると、勉学は疎かになり、院生と行った韓国史跡めぐりツアーの費用を親に負担してもらったのに、そのまま返さずに過ごしてしまったわけでした。なんと言う親不孝者でしょう・・・。数年前は、恩師の朝日カルチャーセンターが立川であったので、ひょっこり受講してびっくりさせてしまいましたが、今は、連絡も途絶えて、ただ新聞などで彼の活躍を目にするだけになりました。
あの頃は、恩師も私も四半世紀前でしたし、彼は、もっともっと素敵だったんですよ。私立大学の定年は知らないのですが、今も母校で大学教授をしているそうで、何よりです。
実は、夫は私が2年連続して不合格だった第一志望の大学出身ですが、話を聞くと、ああいうマンモス大学は、行かなくてよかったと思いました。母校は、親にお願いして滑り止めで受けさせてもらった私立でしたが、こじんまりとしていて、特に史学科のレベルは高く、勉強も充分にさせてもらえて、本当に入ってよかったと思いました。
大学は、偏差値とかそういうことではなくて、実際に、どういうことを学んでどういう先生につきたいか、そういうことで選んだほうがいいですね。母校に感謝です。私はその恩師に、2年間、ぞっこんでした。おかげで勉強したわけですが・・・。これからも、お元気で研究に専念してください。かげながら、応援しています。
印は、専業主婦をしていますし、大学卒業後も、あまり専門とは関係のない職場に行ってしまい、趣味も、当時はゼロだったものに今は夢中です。でも、人生は、いろんなことを学び、いろんな経験をすればいいのです。直接将来に結びつかなくても、そのとき自分が一番好きなことをすれば、きっと将来に何かプラスになるでしょう。始めるのに年齢は関係ないと思います。そこまで行く過程こそ、自分が切り開いてきた貴重な過去ですし、決して、無駄なことなんか何一つないと思います。その恩師に言われて、今も覚えていることは、何でもやってみればいいといわれたことです。底辺が広ければ、それだけ、頂点が高いものだからって。
大学を卒業しても、学ぶ機会はいくらでもあります。今は、社会人の講座もたくさんあるし、いろんな大学のオープンカレッジに参加するのもいいでしょう。若い頃は、恋愛にうつつをぬかし、もっと勉強すればよかったと思う人は多いですよね、私もそうです。でも、生涯学習です。認知症予防のためにも、ぜひぜひ、積極的にいろいろ脳を使いましょう。まずは興味のあることから。恩師の「魏志倭人伝を読む」というカルチャーセンターの講座も、私が一番若かったくらいで、ほかは皆さん、中高年だったんですよ、驚きでしたもの。さあ、これからだって、脳を鍛えることはできます。今から、ヴィオラやヴァイオリン、チェロだっていいんです。始めてみましょうよ。若さとは、自分の気持ち次第なんです。
今朝、NHKのニュースの中で、とても興味ある話題を見て感激していました。大好きなトスカーナのワイン農家の話でした。ほんのちょっとの時間でしたが、トスカーナのロッテロさん一家が、無農薬ワインを作っているのですが、ワイン自体が生産量が少なく、もっと経済的に安定を計って、ホテルを併設し、その宿泊客にそのワインを飲んでもらい、販路を拡大するというものでした。農家の納屋や収蔵家屋を改造して、ホテルにした室内は素晴らしく、今はもう半年前から予約が入るそうです。
私がシエナに行った2001年2002年は、同じワイナリーの「DIEVORE」を見学しました。ここも、アグリツーリズモがあって、素敵な宿泊施設にうらやましくなりました。トスカーナは、このように、大きなワイナリーでも個人のワイン農家でも、アグリツーリズモがとても多いのです。あのトスカーナの丘でしばらく過ごすなんて、夢のよう・・・。そこで、ロッテロさんのことも探せば見つかるかと思いきや、なかなか。でも、同じイタリアワインの大好きなワイナリー、ファットリア・デイ・バルビも、このアグリツーリズモがあると知って、感動です。いつか、一度、ここに行ってみたい・・・。こちらのワインは本当においしいんです。また、私はヴィンサントもこちらのものを愛飲しています。自分で焼いたカントゥッチ(ビスコッティのこと)をヴィンサントに浸して食べるんです。おいしいですよ。
今朝は、うれしいことに、トスカーナの風景をテレビで見ることができました。なんてラッキーなんでしょう。ロッテロさんのことも、詳しく知りたかったのですが、どなたか、ご存知の方、教えてくださいね。
私が大好きな向田邦子を取り上げて、爆笑問題の太田光が面白く解説している番組があります。NHK教育テレビの毎週火曜日、午後10時25分からで、たまたま、最初から見ることができたんです。この番組は、その前から、藤沢周平や池波正太郎を取り上げたり、けっこう気に入っているシリーズでした。でも、向田邦子シリーズはたった4回でおわりなんて・・・、非常に残念。あの、爆笑問題の太田さんが、なかなか鋭い分析をして、すごく面白いのです。彼も、向田邦子並に、かなり頭がいい人だと思いました。番組は、もう来週で最後のようです、とほほ。詳細はこちらに出ています。
向田邦子は、昔から大好きでした。彼女に憧れて、一時期、放送作家になろうと、六本木の放送作家教室にも通っていました(大学時代)。そのとき、倉本聡の講義もあったんです(彼も大好き!)。最近、彼女がずっと隠しつづけてきた悲恋が発掘されて、本やドラマになりました。あの、人間を描くすさまじさは、これだったのかと思いました。前回の太田さんの話には、彼女のこの恋にも触れていました。そのときに何枚か写った彼女のポートレート、とても美しいのです。それもそのはず、彼であるカメラマンが撮ったものだから。彼女のひとみに、彼が写っているはずと、まるでファン・アイクの描いた「アルノルフィニ夫妻の肖像」の、人物の瞳の中を見るような気分でした。彼女は、この辛い恋を決して人には言いませんでした。だから、その後ずっと独身でいたんでしょうか。人間ドラマの描き方が類を見ないくらい素晴らしいのも、彼女のその経験からなのでしょうか。
今も、NHK民放あわせて大量にドラマが作られ、消費されています。私はαチャンネルをよく見ますが、最近のカバチタレのあとは、全く見る気がしませんでした。光るドラマが少なくなりましたね。向田邦子、倉本聡のほか、注目しているのは、三谷幸喜と井上由美子です。といっても、井上由美子さんは、監察医新人の天野をヒロインとするドラマ「きらきらひかる」が素晴らしかったので。最近の白い巨塔も彼女でしたね。それと、なんといっても三谷幸喜の最高傑作は「王様のレストラン」、これは再放送でも毎回泣いていました。10年も経ったとは思えない、未だに輝きをますドラマです。
また、傑作をぜひ、再放送して下さいな、フジテレビさん、お願い・・・。
今朝、NHK生活ほっとモーニングで、がん患者のことを放送していました。その中で、アメリカで始まった、がん患者、関係者、サポーターたちが参加する「リレーフォーライフ」という運動を紹介していました。日本でも、実現しようと、がん患者のシュウさんを中心に活動しているとのことでした。番組の中では、そのシュウさんのサイトも紹介していました。
私には、身近にがん患者がいました。最初は、下町から高尾山麓に引っ越した両親の、母親のほうでした。下町には親戚が集まっていて、寂しいことはなかったのですが、高尾に引っ越したら、父は趣味の絵を退職後に専念して、いつも旅行していましたから、猫と母が留守番でした。私も週末には訪ねていたのですが、次第に母の体が不自由になり、ついに大たい骨を骨折してはじめて、多発性骨髄腫という病気に罹ったことがわかったのです。それも、母には秘密にしていました。そして、闘病の末になくなったとき私たちが聞いたのは、「骨髄腫という病気は改善してきたのですが多機能低下で・・・」と、納得のいかない主治医の説明でした。本人がなんだかわからないまま、抗がん剤の治療をしていたんです。これって、本当にいいのかと思いましたが、配偶者である父が決めたことだから・・。そして、ひとり暮らしの末に父も、悪性黒色腫(メラノーマ。父は臍にできるという、かなり変った発症でした)を発病してしまいました。最初は、形成外科の医師が、告知すべきではないと判断したために、姉と私とでいろいろ治療を主治医と決めるということになり、父は自分の病気を知るべきだと強く願っていた私は、皮膚科の主治医の協力(皮膚科では告知すべきという考えでした)と姉の説得で、父に告知してもらい、父が自分で治療を決めることになりました。
ここで、一番大事なのは、自分の人生、自分で決めなくてはどうするのかということです。私は絶対に、どんな病気でも、自分で受け止めて考えなくてはいけないと思います。生まれてくるのは偶然だけれど、その後の人生は、自分でコントロールしなくてはいけないんです。教育とは、その知恵を学ぶものじゃないのかしら。自立して生きること、これが人間としての権利であり、義務なんです。
父が闘病の末に亡くなったのは97年3月。自分の生きる希望だった絵が描けなくなって、この世に失望したんだと思います。最晩年、病床で、「早くけりをつけてくれ!」と言っていました。でも、早くに治療でコントロールして、QOL(クオリティオブライフ quality of life 生活の質)を高めて生活することが出来るはずだし、皆がそういう努力をしていると思います。がん治療は、日々、研究して改善されていると私は信じたいです。苦しいだけの昔の治療ではないはず。ガン保険もかなり普及して、告知が当然になってきていますが、未だに医者に「お任せします」という患者が多いのは、悲しい現実です。
がん治療の進歩のためにも、がん患者が身近にいなくても、多くの人たちがこの、リレー・フォー・ライフの運動に参加してもらいたいと思います。アメリカのこの運動、私は素晴らしいと思いました。
がん患者たちが集まって情報を交換し、治療法を選択する、これはとても大切なことだと思います。たくさんの支援グループができることを願います。一人じゃない、自分と同じような人がいるということを知るだけでも、安心に繋がるはずです。一人でも多くの人が、声をあげてほしい。