のは、私です、夫ではなく。最近、どうも腰が痛くて。朝風呂のあと、窓を少し開けて換気しようと思ったら、ひっくりかえってしまいました。大きな音がしたはずなのに、退院している夫は何の反応も示しませんでした。きっと、私がトイレや風呂場で倒れて死んだとしても、そのまま気がつかないのかもしれないと思い、ぞっとしました。
運転も左のお尻から太ももにかけて痛くてたまりません。まあ、明日、新橋の清水治療室を予約してあるので、よかったけれど、治るのか心配です。とはいえ、ゴッドハンドに診てもらって、それでもよくならなければ、来月、地元のにっくき病院(なんたって、夫の病気をわからないまま1ヶ月も検査で放置した内科のK先生がいる病院ですから。整形外科のM先生は信頼してますけど)に診てもらいます。友人は、坐骨神経痛じゃないの?といいます。
清水治療室については、「頭蓋仙骨治療 清水治療室」で検索すると、いくつか紹介したブログが出できます。私も、夫の腰痛がすぐに治って紹介された口です。夫は職場の同僚に薦められたとか。貴重な情報というのは、実はインターネットではなくそういう原始的な方法で伝播するものなのですね、なんだかほっとします。正直、インターネットで見つかる情報って、胡散臭いのが多いですもの。私は病気関係やレシピ探しには使っていますけど。顔が見えないということの怖さって、不気味です。
といって、顔が見えるくらいの狭い世界での救いようのない恐怖、どうしたらいいのでしょうか。いじめによる自殺や虐待による殺人。もっと外の人にどうして救いを求めなかったんだろうと思いますし、周囲の人間の無関心の恐怖も感じます。
今日のとくダネでやっていた、例の姉による妹虐待死ですが、母屋にいる実の父親と兄は、平気だったのか?まず、離婚したというその原因が、姉の同棲相手の男性の暴力だったらしいのです。だったらなぜ、母親は妹を連れて逃げてくれなかったのか!彼女の死に対する責任は、父親と同じだけあるでしょう。悔しいですね。
姉と男を警察沙汰にしても自分たち家族から追い出すことができなかったなんて・・。まず、母親が逃げ出したときからすでに家庭崩壊していたってことです。
苦しんでいる人にいいたい。今いるその場所だけがあなたの世界ではないってこと。勇気を持って抜け出して、逃げ出してほしい。
人はみな、死んでいくものです。だからこそ、生きている世界を自分もまわりも幸せにしたいではありませんか。誰かの犠牲の上にある幸せなんて、いいものなのでしょうか?奪って幸せになるのなら、奪われて不幸になる人を思え!何でも自己責任で片付けていいわけはないのです。
先日、駅で演説している市議のチラシで、「親子方式」なるものを知りました。なんだこれ?と思ったら、小学校の給食を中学校にも届けるというもの。でも、小学校の給食も、各学校で作っているわけではなく、どこか遠くの工場で作っていて冷めたものが届くらしい。
私が子どもの頃は、小学校も中学校も、給食室があっておばさんたちが給食作っていましたよ。
雇用がないとかいうのなら、各地に給食センターを作って雇用を生めばいいではないですか!昔あったのを廃止したから復活できないということはないはずです。子ども手当てでお金を捨てるより、授業料無料化、給食費無料化、雇用拡大というようなことで使えばいいではないですか?計画立てられないというのは、本当に情けない。暖かい給食、みんな食べたいよね!こういうことで、地元農家と契約して農業にも活気をもたらし、自給率も高まるとしたらこんなにいいことはないでしょ?
国会で2種類のせりふしかいえないおろかな政治家ばかりだから、国もどんどん悪くなるよね。自民も民社も、中身は一緒。官僚と仲がいいか悪いか。どちらもリスクがありすぎ?
さて、私の狭い世界は、これでいいのでしょうか?毎日、些細なことで言い合いしています。イライラして、「入院しているほうが楽だ!」と喉元まで出掛かっているのをこらえています。ま、そういうときは、水戸黄門の主題歌でも歌いだそうかな。