久しぶりにヴァイオリンを弾きました。左手小指の骨にひびが入ってから、ずーっと練習していなかったし、その前だって忙しくてしていなかった。夫の死後の処理で疲れて、気分転換に、そうだ、ヴァイオリンを弾こうと思い立ちました。
小指が動くか、不安でしたが、なんだ、リハビリとしてもっと早くからやればよかったと後悔。気分がすっきりしました。ひとりぼっちでも、楽器があるから、私は幸せです。弦の音色が私をなぐさめてくれます。ほっとしました。
久しぶりにヴァイオリンを弾きました。左手小指の骨にひびが入ってから、ずーっと練習していなかったし、その前だって忙しくてしていなかった。夫の死後の処理で疲れて、気分転換に、そうだ、ヴァイオリンを弾こうと思い立ちました。
小指が動くか、不安でしたが、なんだ、リハビリとしてもっと早くからやればよかったと後悔。気分がすっきりしました。ひとりぼっちでも、楽器があるから、私は幸せです。弦の音色が私をなぐさめてくれます。ほっとしました。
人が死ぬということは、後の手続きがたくさんあるので、遺された者はちょっと戸惑ってしまいます。
今日は、うっかり書類を別のと間違えて、市役所に2回も行ってしまいました。
勝手に行くほうは、楽だよね・・・・。私は毎日病院に行き、終わってからも毎日なにかしらバタバタして、夜もあまり眠れない。病室のベッドにへばりついていた時間が長かったせいか、腰が痛いのかおなかが痛いのかわからないけれど、なんだかとても痛い。
公共料金引き落としの変更はまだしていなくて、さきほどは聖蹟桜ヶ丘で、夫の銀行の口座から少し引き出しました。まだロックされていない・・。残金少ないからでしょう。
クレジットカードが面倒です。8月まで引き落とされるから、とにかく来月のが無事に引き落とされているか確認し、だめならこちらが振り込む。夫はセールスが大嫌いなはずなのに、クレジットカードの無料保険の追加プランなんて入っちゃって、傷害保険だから病死では何も出ない。お金が無駄だったわけです。
保険というのは、そもそも、もしかしたらを考えてのことだから、ほとんどは無駄なもの。安心のためにかけているんですもの。日本で初めて保険というものを作ったのは、あの坂本龍馬だとか。さすがです。
住民票は私は間違って自分のを取ってしまいました。印鑑証明もこれから必要だし。住民票は、除票というのをもらわなくてはいけなかったとわかり、夕方、また取りに行きました。
昨日の夫の火葬、しばらくあっていない人は本人とわからないほどやせ細っていたようです。仏教徒ではないみたいだから、ジャケットにいつものボタンダウンのYシャツに着替えさせてもらってよかった。もう火葬されるというところで、はっと気がつき、持ってきたものを親友が控室に取りに行ってくれて、金の延べ棒は手に入らなかったけれど入院の時にお守りに持たせていた私の手作りの金熊と、紙パックのミニサイズの日本酒、そして、食べることが一番好きだったので小さなタッパーに入れた白いご飯、そして結婚当初からずっと着てぼろぼろになっても手放さなかったベストを入れてあげました。あなたは、幸せものです。大好きだったよー。骨はしっかりしていて、骨壺に入れるのに苦労していました。骨になっちゃったんだね。生まれて、そして骨になる。私の時は、姉が見てくれるかなー。楽しい人生でしたね。
昨夜26日夜11時37分、夫はついに、息を引き取りました。病名が分かって治療を初めて来月で丁度2年というところでした。小細胞がんで、ここまでよくがんばったと思います。
私もがんばりました。もう、くたくたです。今日は、かなり容態が悪いので病室に泊りを奨められて、一反家に帰って洗濯物を取り入れて用意し、それからまた引き返して、結局は泊りではなかったので、夫の荷物と私のお泊りに持つと、大荷物抱えて大変でした。
家族でのひっそりした火葬式をお願いし、いろんな手続きを終えて帰宅したのが午前2時。
無理な延命はせずに、暖かく見守ってくれた病院スタッフに感謝です。一緒に帰ろうと頑張っていた夫には申し訳なくて。結局、散らかっている家にも戻れなかった。お骨で戻ってくるので勘弁してもらいます。
遺影は、大好きなごまこと一緒の10年前のにしました。とても気に入っています。一緒に樹木葬になるんだから、よかったよね。
昨日の最後に日に、母親に会えて、本当によかった。
今朝、2階の仏間の押入れを整理していました。結婚して引っ越した多摩市永山宛の手紙が多数、さらに、私の「へその緒」や両親の自動車運転免許まで出てきて、面食らっています。
これからの残りの人生を考えると、もう亡くなった親のものは処分するしかないし、私宛の手紙も、誰かも思い出せないものなんか持っていてもしょうがないですよね。
メールは便利。いらないものはさっさとごみ箱に入れられる。
後で見るからといっても、その時間また拘束されますもの。映画見放題と言っても、そんなに見ないし、ビデオテープも、義弟にDVDに落とすからと言われても、そこまでしてみるものがあるのかと疑問。
最近では直近の過去のことも忘れることが多いのです。物をさっさと整理してすっきりしたい!
夫の管理する引出から、12年前に書いた借用書が出てきました。同僚の女性に、20万円を貸したようです。2年以内に返済すると書いてある借用書が存在するというのは、まだ返してもらっていないということですよね。びっくりしました。どうしましょう。
先物取引で失った金額に比べたら微々たるものですが、少しでも取り戻せるものなら・・・。手紙を書こうかしら。まったく、お人よしもいい加減にしてもらいたいものですよー。
意外でした。今日は午前中から面会時間なので、昼前に病室に行き、午後3時過ぎに義弟も見舞いに来てくれました。
夫は、帰りたいといい続けるのです。私は握っている手の甲をひどく爪たてられました。
義弟が来ていろいろ話しているうち、義母を千葉県から連れてこようかという話になり、会いたくないんじゃないかと本人の意思を確認したら、会いたいというのです。これにはびっくりしました。
それでは火曜日にということになり、急に勤務を代わってもらうことになりました。
義弟は義母を車で迎えに行き、車で送るのです。大変だと思いますが、病院前の急坂、とてもお年寄りは歩けませんものね。最後に、何を話すのかな。悪いと思っているのかしら。まるで、エデンの東の逆バージョン?
父が愛知県一宮の実家の寺から持ってきてずっと使っていたコンパクト茶道具(なんて呼ぶのかしらないので)、私が貰い受けて一人暮らしの時からずっと持っていたのですが、ここに移ってからどこかに隠れてしまっていたのです。それがようやく、見つかりました。
数年前から、夫もお抹茶に興味を持ったのか、よくお茶をたてて一緒に和菓子を食べていました。私が最後まで持つ父の形見が、これなのかもしれません。
下の茶碗が父のもの。鑑定団の中島先生に見てもらっても、何千円もしないものかもしれませんね。でも、本人が大事にしていればそれでいいのですから。上のクロは、???覚えがありません。大学の卒業旅行で萩に行ったときに買った抹茶茶わんが、きっとどこかにあるはずなんですが・・・。
たくさんあっても、口は一つなんだから、まあ、いいか。
ふたを閉めると、こうなります。
ずいぶん、色が変わってしまった気がする。赤くなったのはなぜかしら。
サンタが亡くなった日すぐに、動物病院に連絡し、その後、病院に出かける前に花屋さんからサンタ供養の花が届きました。
今は玄関に飾ってあります。
急だったので、急いで箱を作り、玄関先のあじさいをひとつ、添えてあげました。
ごめんね、サンタ
痛みのコントロールがうまくいったのでしょう。昨日は、元気そうでした。お祖版勤務の前に会いに行ったのですが、開口一番、「家に帰ろう!」でした。目も、ぐるぐるまわしてテレビもしっかり見ていました。
ちょうど、ディレクターが家政婦になって世界中の興味津々な家族のところですごすという面白い番組を見ていた時。韓国の天才少女の話で、超学歴社会の韓国では子供のころから人生計画をしているのに驚きました。そして、
「あなたも人生計画していた?」ときくと、きょとんとしていましたが、さらに「計画に、先物取引なんかなかったよね」というと、うなずきました。彼は、もっと別のやりたい計画があるというのです。だから、帰りたいと。
でも、私一人ではどうしようもないことを言って、もっと元気になったら帰ろうとお願いしました。こんなこと、無理なのに、悲しいよね。私は24時間ずっと付き添うことなんかできないし、仕事しなくては生きていかれないもの。大損しなければ、仕事やめてでもなんとかできたのかな?でも、やはり、応援チームがいないと絶対無理。夫婦二人の暮らしというのは、どうにもしょうがないものなのかな。とはいえ、子供がいても、独立してしまえば手伝ってくれるわけじゃないのは、前の職場で住民協議会の役員さんが突然死したときに目の当りにしましたもの。結局は、認知症の奥さんの介護とストレスで、突然・・・。あれから、奥さんはどうされたのかしら。
夫が物を捨てない性格のために、家の中は何が入っているかわからない段ボール箱と、むき出しのごちゃごちゃのものばかり。仕事しながら片付けるには相当時間がかかりそう。帰ってきたら、手伝ってほしいよー。
昨日、今日が一日休みで日曜日だから、午前中から来れるけれど、どうする?ときくと、早く来てほしいようでした。じゃあ、ピクニックだね、お昼持ってきて、ピクニック、ピクニック!というと、喜んでいるようでした。あまりばかばかしいことをいうと、今までは「おれをからかっているのか」と怒っていたけれど、そのラインが少しゆるくなったのかな。
今日は急遽、代わりの勤務をお願いして休みを取って、午後の面会の時間から最後まで夫のそばにいるつもりで病院に行きました。京王線北野駅からバスに乗っていくのですが、北野駅のフレッシュネスバーガーでお昼を食べるのが楽しみになりました。
永山団地に結婚当初から13年住んでいたので、聖蹟桜ヶ丘は故郷のようなものです。だから、宮崎駿の「耳をすませば」は私たちの映画のようなもの。その聖蹟桜ヶ丘の駅近くにあったフレッシュネスバーガーは大好きでした。
昨夜、遅番で勤務しているときに夫が検温を拒否して興奮して私を呼んでいるという電話を受けました。強力な睡眠薬を注射して落着けさせるという同意を求められました。
紙おむつになったので、パジャマは不向きで、着物のような寝間着スタイルをお願いされ、今日の午前中、イトーヨーカドー八王子店で見つけました。でも、Mサイズは同じ柄の2着しかありませんでした。それを持っていきました。
今日、会ってみると、昨夜は大変だったのでしょう、酸素の管が鼻に入っていました。
痛みがひどく、とてもうらそうでしたが、いつもは「うるさい」というはずなのに、ずっと手を握って過ごしました。夫が長年愛用していたタバコの紙を、母が作っていたような鍋敷きにする折り紙を、せっせとしていました。夫が吸っていた「わかば」の包装紙を分解してたくさん保管していたなんて・最近、コルクの鍋敷きがとても傷んできたので、母の鍋敷きを作るにはいいタイミングかもしれませんね。
消えゆく魂。がんばっていますよ。でも、母や父のように、がんで最後を迎える夫。穏やかな最後を迎えてほしいと思います。私も、取り乱すことなく、穏やかに現実を迎えるようであってほしいと思います。
生と死は背中合わせ。死を怖いと思うなかれ。
苦しみから解放されます。聴力は人間の最後まで残っているものだといいます。だから、最後に私が何を言って、彼が何を聴いてあの世に行くのか、よく考えなくてはいけません。
といいながら、私は今日、主治医に、自分の診察をお願いしました。会社の県央診断で、再検査の指示があったのです。市の嘱託職員になって3年目、毎回、検査の時には高血圧になるのです。夫の看病の毎日なのに、本部の上の人は、再検査の報告を出せってうるさいのです。人間性を疑いますよね。そこで、夫が入院している主治医の内科医の先生にお願いしました。私の、検査の時だけ高血圧というのは「白衣高血圧」と呼ぶのだそうです。ほかの数値が標準値なので、問題ないだろうと言ってくれました。
夫は、高熱が出ています。とても具合が悪そうです。言っていることには反応しますが、目を開けてくれません。めやにでふさがっていて、どうしたらいいのかと聞いたら、無理にひっぺがすと開くとのこと。でも、無理しても・・。口もからからで、おとといの歯磨き以来、そのままだとか。強烈な口臭です。父もそうでしたが、死に逝く人の口のにおいは相当です。モーツァルトもベートーヴェンもそうでした。
そういえば、夫は髪の毛ぼさぼさでしたが、先日、に病院にくる理髪店に夫の髪を切ってもらいました。本人はそのままのほうがよかったみたいでした。ベートーベンから、気難しい職人にイメチェンしただけかな。本当に体中が痛いと思います。それでも、今日もがんばっていました。悪性黒色腫の父は、最後には「もう、けりをつけてくれ!」といいました。痛みからの解放、それが死なのです。どうか、安らかに。覚悟をしっかりしてほしいと思います。
年目。