今月の上旬に、危ないという話で親戚の主だった人間が入院先の病院に、叔父に会いに駆けつけ、その後、人工呼吸器が取れて自力で呼吸、二人部屋に移ってから私は会いに行き、そしてその日の夕方、叔父の弟(当然、私には叔父)が行ったときは大部屋に移ったのでした。10年も寝たきりでわがまま放題の叔父に翻弄され、叔母はとても疲れていました。一体これから先どうなるのか、不安だったと思います。
その病院は、病室に「この部屋は一日 いくらです」としっかり明記されているのです。びっくりしましたね。
さっき、その弟叔父から電話があり、私は呑気にも「何?」なんて聞いてしまいました。叔父が今朝7時に亡くなったそうです。
明日がお通夜、あさってが告別式。
母は兄弟で最初になくなったのです、昭和天皇崩御の頃に。それから母の姉、母の妹、そして今回長男。もう、母方の兄弟は次男だけになってしまいました。
享年71歳。そこひをきちんと治療できないまま、ぐれてしまった叔父は、家業の八百屋をさっさと廃業し、何がしたかったのか・・。もう直接聞くことはできませんが、聴いたところで、飲んだくれて「ちっ、何聞いてやがんだ」くらいはいったかもしれません。この下町育ちの叔父と山の手育ちの夫の共通点はまさに、「酒飲み」。夫は、私の親戚に夫の酒飲みのことを言うなというのですが、事実なんだからしかたないでしょう。通夜や葬式で、夫が飲みすぎて眼が据わらないよう、祈るばかりです。寝たきりになる前、ということは10年以上前ですが、叔母と叔父と夫と私で、叔父の家から歩いていかれる森下の「みの家」に連れて行ってもらったことがありました。あの老舗には、私は子供のころからよく連れて行ってもらっていましたっけ。
寝たきりになってから、たまたま父のスケッチで私が中学生くらいのときの八百屋周辺の絵があったので、叔父に見せたら大喜びして、結局その絵をプレゼントしておいてきてしまったのです。今もちゃんとあるかなー。
叔母が言うには、「男はやっぱり、外で仕事しなきゃだめよ!」とのこと。たしかに!今の夫を見ていると、仕事が嫌で退職したけれど、毎日家でぶらぶらしているのを見るとがっかりしてしまいます。ひじの腱鞘炎や腰痛で、畑仕事手伝ってともいえず・・。土作りが済んだので、早く何かを植えたいんだけど・・・。
通夜と告別式では、いろいろな昔話がでることでしょう。