昨日、小雨の中、青梅線の先の御嶽という駅まで、でかけました。地元古文書研究会の先輩の方から29日までやっていると伺い、さっそく行ってきました。
30年ほど前に、夫と二人で河鹿園に電車で行ったことがありました。食べたものや建物のことはよく覚えていますが、どんな電車だったかとか、途中までのことはすっかり忘れています。おそらく、多摩ニュータウンの賃貸団地にいたころ、二人で出かけたはずですが、どこ経由で行ったのかは全く覚えていません。
今は、そのころとは違って、とても便利になりました。青梅からは本数は減るものの、うまくいけばそのまま行かれる経路です。ところが、昨日の朝は事前に調べていた電車は遅れていたので、その前の電車に運よく乗り込むことができ、ラッキーと思ったのですが、青梅からは遅れた電車の乗り継ぎに待つことになっていたので、もう1本遅い電車でもよかったのでした。もう、福生より先は、30年前のことなんて覚えていないのでほぼ初体験の沿線、あっちこっちみながら、すっかり観光客みたいになっていました。
青梅の駅のホームには、不思議な待合室があるんです。まあ、なんというレトロな空間でしょうか。
映画のポスターが目立つ待合室。
そういえば、亡夫がアルバイトでウッドデッキの営業をしていたころ、青梅に行っていたことがあり、赤塚不二夫の記念館の話もよくしてくれました。青梅の街自体が、レトロな映画の街みたいだとか・・。
私は青梅のその先の、御嶽という駅まで行きました。途中、古文書研究会で読んでいる谷合氏文書の二俣尾というところも通りました。沿線には、明治村?と思うような古い洋館もあり、びっくりです。
御嶽の駅から河鹿園は、本当に近いです。駅を出てすぐのところ、坂を下りていけば行きつきます。
雨模様で、山もかすんでいます。
どこが入口かよくわかりませんでしたが、入り口を入って、入場票に記入して千円を支払い、展示品一覧の詳細をいただき、ちょっと説明を受けてからは一人で好きに回っていいとのこと、時間をかけて回りました。
つい今年3月まで営業していた料亭旅館です。すっかり人も途絶えた静けさが少し、さびしいです。それでも、部屋の調度品や掛け軸、絵画、屏風、書画など、本当に素晴らしくて、息をのみました。
渓谷近くに作られた80年以上もたつ建造物です。曲がりくねった回廊や離れなど、一つ一つじっくり見ていくと、時間はどんどん過ぎていきます。料亭だった部屋、旅館だった部屋、もう今では息を殺しているような空間・・。
どの部屋からも眺めは素晴らしい。
障子の枠の意匠も、凝っています。
ぐるぐる階段を上ったり下ったり、たくさんの部屋をめぐって、ようやく大広間にたどり着きました。
ここで、飲み物をいただきました。掛け軸の絵が並ぶ、絶景です。
古文書もいくつかあって、とても勉強になりました。私もこういう古文書をすらすらと読めるようになりたいものです。
台風が来るからと、29日までの展示を慌てて見に行きました。時間を忘れてタイムスリップしてきました。不思議な空間と時間を体験して、とても幸せでした。奥多摩って、いいところですよ。父がよく絵の題材を探しに行った場所です。私も行くようになるとは・・・。
河鹿園、30年前に夫と訪れた料亭です。当時、入り口近くの池には、養殖の鯉と鑑賞用の鯉の両方が泳いでいて、養殖用を食べることになるのが、ちょっと切なかったです。そして、沢蟹のから揚げも初めて食べたのが、こちらでした。あっという間の30年でした。
夫と行った鎌倉のモンテコスタ、そして御嶽の河鹿園。楽しかった思い出です。今は亡き、というようなことが増えるのは、年取った証拠ですね。