高野公彦選
十月の雨に学徒の出陣を見しや外苑の樹木危うし 中央市 前田良一
スーパーで車を停める定位置が日陰になりて秋を感じる 埼玉県 永井久恵
戦争をしたがる人は行かぬ人御霊(みたま)に哀悼捧げるだけで 東京都 塩田泰之
一首目、1943年10月21日に神宮外苑競技場(今の国立競技場)で、それまでは大学生は召集免除になっていたけれど戦況悪化(という表現はしていなかったけど)で学生にも召集がかかって壮行会が雨の中行われたのでした。その様子は、何度もテレビで放映されていました。当時、今と違って誰でも大学生に慣れるわけじゃなかった。旧制高校に行っていれば旧制帝大に入るのは当たり前だったでしょうけれど、将来を学問や研究にささげるつもりの若者が、いつ死ぬかもしれない戦争に駆り出されてしまうのです。当時は本音なんか言えない社会だったはず。そして、大勢の未来ある若者が悲惨な戦争で命を落としたのでした。私は高校生の時だったかな、彼らの遺書や手記をまとめた「きけ わだつみのこえ」を読みましたが、涙なしには読めないものでした。今のウクライナ戦争だって、イスラエルとパレスチナの紛争も、子どもや若者が大勢犠牲になっています。こんな社会でいいのか?その若者の命と同じように、再開発で外苑の樹木が伐採されようとしているのです。森を壊すという行為は、いいことなのでしょうか?坂本龍一さんも反対していました。樹は何年も何十年もかけて育つものなのに、簡単に伐採していい訳がありません。二首目、停車位置の陰のつき方で季節の変わり目を感じるというのは、面白い視点だと思いました。あの猛暑がウソのように終わりましたが、まだまだ昼の日差しの強さは感じますね。ただ朝晩の冷え込みは、やっと秋が来たと思えます。外出するときは何を着ていけばいいのか悩みますね。三首目、靖国神社にお参りして、ケロッとしている国会議員たち。自分たちは兵士になるわけじゃないからって、いい気なものですよね。プーチンも同じ。あんたのせいで、どれだけの血が流れているか、わかっているのか、極悪人!
永田和宏選
「してやる」の「やる」は要らない団塊の夫の優しさ男の顔よ 横浜市 井上優子
そうなんですよ、してやるなんて、何様だと思いますよね、上から目線です。それは本当の優しさじゃないし、対等ではないですね。いい加減、変わらなければいけませんよ。言葉の問題では、かつては若い社員が「こういうヤツ」という表現をしたときにとても違和感を感じたし、同じように「ラ抜き言葉」にも抵抗があったけれど、今は当たり前になってしまいました。そして、他人に両親の話をするときに「父は」とか「母は」とかいうのが常識だったのに、「お父さんは」「お母さんは」というのが当たり前になってしまって、なんだか慎みがなくなってしまったような気がします。テレビでもみんな当たり前のように言ってますよね。謙譲語というのが減ってきてしまっているのかしら。とはいえ、言葉は社会が変えていくものですから、受け入れなくてはいけませんね。そう、LGBTQやジェンダーのことなど、社会はもっともっと変わらなくては、日本は本当に国際的に取り残されてしまいますよ。同性カップルが気持ち悪いなんて言っていた議員は、議員の資格なしです。そういうヤツって、けっこう女性蔑視なんですよね。医学的な性差はあるけれど、男女は対等なのですから。異次元の少子化対策なんて、本当にできるのかしら?専業主婦という考え自体が対等じゃない。共に働き、ともに正社員で同一賃金を得ること。女性が多い職種の賃金を引き上げること。国会議員の報酬を思い切り減らせば減税につながるんじゃなくて?ろくでもないヤツらばかりだしね。選挙のためにしか働かないし、長期計画してないし。いつか日本は流浪の民になって、かつてのユダヤ人みたいになるのかも?まあ、結束力もないから、永遠に流浪なのかもね。それはそれで、しょうがない。考える程、未来が明るく思えません。とにかくお金のかかることはやめましょうよ、オリンピックとか万博とか。あ~、くだくだと書いてしまって申し訳ありません。もう寝ます、とほほ。