『絵画の印象派と、絵画の朦朧体と、七宝焼きの無線七宝と、有線七宝が、ほぼ同時代に!』
『フランスの印象派も、当初は、不明瞭で・曖昧で、単なる印象と』
『日本画の朦朧体も新表現の試みも、明瞭な輪郭をもたないなどと理解されず』
『二人のナミカワ、海外で高評価の無線七宝の濤川惣助と有線七宝の並河靖之』
昔、絵がうまく描けないので、二眼レフのボックスカメラ・ローライフィックス(Rollei Fix )で写真を始めました。 そのようなことで残念ながら、生涯、まともなデッサンも水彩画も描けませんでした。 当然、写真のぼかしも上手くできたことがありません。 冒頭から傘寿プラス爺の愚痴をご容赦願います。
フランス印象派、クロード・モネ『印象・日の出』1872年
ウキペデイア情報から引用
印象派は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動であり、当時のパリで連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。 フランスの印象派も、当初は、不明瞭で・曖昧で、単なる印象と言われた。
日本画朦朧体の横山大観作の『雨霽る(はれる)』1940年
ウエブ情報から引用
朦朧体(もうろうたい)または、縹緲体(ひょうびょうたい)は、明治時代に確立された没線彩画の描絵手法。 岡倉天心指導の下、横山大観、菱田春草等によって試みられた没線描法。 洋画の外光派に影響され、東洋画の伝統的な線描技法を用いず、色彩の濃淡によって形態や構図、空気や光を表した。 絵の具をつけず水で濡らしただけの水刷毛を用いて画絹を湿らせ、そこに絵の具を置き、空刷毛で広げる技法、すべての絵の具に胡粉を混ぜて使う技法、東洋画の伝統である余白を残さず、画絹を色彩で埋め尽くす手法などが用いられた。
日本に七宝焼・無線七宝の濤川惣助作の『七宝富嶽図額』1893年
ウキペデイア情報から引用
無線七宝は、有線七宝のように金属線を使って模様を作り、釉薬を盛って焼成する前に金属線を取り除く技法を指します。 金属線を取り除くことで釉薬の境界が混ざりあい、柔らかくぼかしたような色合いに仕上がります。
1896/06/30に、その優れた創意と技術が認められ帝室技芸員が任命された。 七宝の分野で帝室技芸員に任命されたのは濤川惣助と並河靖之の2人。 苗字の読みが同じ2人は国内で「東京の濤川、京都の並河」と東西で活躍した。 並河靖之と共に『二人のナミカワ』と並び評された。 その名声は海外の美術愛好家にも知られていた。
西洋絵画の浪漫主義的風潮を背景とした造形と正面から対峙し、日本画に近代化と革新をもたらした。朦朧体によって生じる混濁した暗い色彩は、評論家から「幽霊画」と酷評されていた。 この弱点を克服すべく大観と春草は、欧米外遊の際、発色の良い西洋絵具を持ち帰り、没線彩画描法を考案した。 菱田春草の《落葉》や《黒き猫》、横山大観の《流橙》や《群青富士》等、その後の傑作へと繋がる明瞭な色彩表現を可能にし、大観と春草の試みはようやく肯定的な評価を得るようになる。
(記事投稿日:2023/04/23、#651)
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