『特別展「画聖(カリスマ)の誕生」京都で開催、ぜひ東京開催も』
『水墨画で著名な絵師といえば雪舟、脅威の国宝6点・重文18点』
『それでも、不器用・遅咲きの画聖雪舟の作品総数は36点と少ない』
15世紀後半に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる雪舟。 江戸時代に神格化され、日本の水墨画を一変させ、後世の画家に多大な影響をおよぼしたと言われるのが雪舟です。
冒頭から余談です。
一方、葛飾北斎は日本の画家、浮世絵画家、江戸時代の版画家。 雪舟をはじめ中国絵画の影響を受けたスタイルで、シュルレアリスティックに日本の風景や春画を描く、葛飾北斎ですが、実はその名前は本名ではありません。 45歳から5年ほど使っていた号(ペンネームみたいなもの)であり、しかも北斎はこの号を生涯で30回以上変えているのです。
この二人、『画聖』と、『幽霊から漫画まで描く「鬼才」』の世界での評価と影響度は、水墨画と浮世絵版画・漫画の異なる世界ですが、二人のその凄さには、ただ驚くばかりです。
京都国立博物館のウエブ情報です。 今後の調査に備え備忘録に!
ウエブ情報から引用
展覧会の見どころ
日本美術史上もっとも重要な画家の一人である雪舟(1420~1506?)。 6件もの作品が国宝に指定されていることが象徴的に示しているように、雪舟に対する現在の評価は突出したものがあります。 しかし、それは単純に作品が優れているという理由だけによるのではありません。 雪舟とその作品に対し、歴史的に積み重ねられてきた評価の上に、今日の高い評価があるのです。
本展では、主に近世における雪舟受容の様相を辿ることで、「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきたのかを検証します。 桃山時代に雪舟の後継者を自称した雲谷派と長谷川派、雪舟画風を流派様式の礎とした江戸時代の狩野派はもとより、これら漢画系の画家とは異なる実にさまざまな画家たちが雪舟を慕い、その作品に学びながら、新しい絵画世界を切り開いていきました。
一口に雪舟受容といってもそれ自体複雑な性質を孕み、多角的に把握すべきものです。その多様な雪舟受容を通して、「画聖」雪舟誕生の過程を明らかにすることを目指します。
本展では、主に近世における雪舟受容の様相を辿ることで、「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきたのかを検証します。 桃山時代に雪舟の後継者を自称した雲谷派と長谷川派、雪舟画風を流派様式の礎とした江戸時代の狩野派はもとより、これら漢画系の画家とは異なる実にさまざまな画家たちが雪舟を慕い、その作品に学びながら、新しい絵画世界を切り開いていきました。
一口に雪舟受容といってもそれ自体複雑な性質を孕み、多角的に把握すべきものです。その多様な雪舟受容を通して、「画聖」雪舟誕生の過程を明らかにすることを目指します。
第1章 雪舟精髄
雪舟筆と伝わる作品は数多く残っていますが、誰もが間違いないと認める作品は多くはありません。 まずは、雪舟の代表作と呼び得る作品を通して、「画聖」の原点を確認します。 雪舟の名声は決してそれだけが独り歩きしたわけではなく、その源には優れた作品の存在がありました。 ことごとく国宝や重要文化財に指定されるこれらの作品は、雪舟に対する現在の高い評価をも示しています。
第2章 学ばれた雪舟
雪舟の代表作を一覧できるのは、現代であればこそ。 江戸時代には秘蔵され、容易に見ることのできなかったものもあります。 ここでは、近世においてよく知られ、それゆえに大きな影響力をもった作品をご紹介します。 現在では雪舟その人の作ではないと見なされるものも含まれますが、こうした作品を通して、近世の雪舟理解は深まり、その主題や様式が継承されてゆくのです。
第3章 雪舟流の継承―雲谷派と長谷川派―
雪舟は、秋月や宗淵、等春など多くの弟子を育てましたが、その画系は必ずしも長くは続かなかったようです。 そんな雪舟の画風を継承、再生させたのは、桃山時代に活躍した雲谷等顔(1547~1618)や長谷川等伯(1539~1610)でした。 彼らは雪舟に師事したわけではありませんが、その後継者を名乗り、雪舟画風を規範とする作品を数多く制作しました。 江戸時代には、この二人が雪舟正系を争ったという逸話も流布しました。
第4章 雪舟伝説の始まり―狩野派の果たした役割―
近世における雪舟神格化の動きに最も大きな役割を果たしたのは、狩野探幽(1602~1674)です。 探幽の画風は、狩野派のみならず江戸時代絵画全般の一つの共通基盤となりましたが、その探幽が自らの画風を形成するにあたり拠り所としたのが雪舟だったのです。 探幽をはじめとする江戸時代の狩野派作品を通して、雪舟作品の主題・様式が継承されてゆく様相を確認します。
第5章 江戸時代が見た雪舟
江戸時代には、現在知られているよりもずっと多くの「雪舟画」が流通していました。 もちろん、それらのすべてが雪舟の真筆であったわけではないでしょう。 しかし、現在では雪舟筆と認められていない作品や、所在が知られない作品 も、当時は雪舟画として受容され、画家像の形成に一役買っていたのです。 狩野派画家が残した縮図や模本を通して、江戸時代の人々にとっての雪舟画を探ります。
第6章 雪舟を語る言葉
雪舟は、作品そのものがもつ力だけでなく、さまざまな人々が雪舟について語る言葉、言説によって、いっそうその存在感を高めていきます。 特に作品の図様を含めた情報の伝播という点で、出版物の果たした役割はきわめて重要です。江戸時代、雪舟はどのように語られてきたのでしょうか。 ここでは、版本や手紙をはじめとする文字資料を中心に、その一端をご紹介します。
第7章 雪舟受容の拡大と多様化
雪舟の神格化に寄与したのは狩野派ばかりではありません。 雲谷派や長谷川派、狩野派のように、漢画(主に宋・元の中国絵画に学んだ絵画)をもっぱらとした画家だけでなく、江戸時代の多くの画家がさまざまな観点から雪舟を規範として仰ぎ、新たな絵画世界を切り開いていきました。 特に、江戸時代中期以降に拡大、多様化してゆく雪舟受容が、「画聖」雪舟という現在の評価へと確かに繋がっているのです。
『水墨画で著名な絵師といえば雪舟、脅威の国宝6点・重文18点』
『狩野派が室町~江戸約400年の作品が国宝4点・重文37点に比べ凄い雪舟』
狩野派の内訳は、
狩野正信 国宝1点、重文 7点
狩野元信 重文16点
狩野永徳 国宝3点、重文 3点
狩野山楽 重文11点
とにかく孤高の雪舟、狩野派集団、どちらも凄い。 日本は、日本人は凄い中で雪舟は群を抜く。 雪舟は『万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチに比肩される画聖雪舟等楊、日本美術史の草創期に唐絵からやまと絵へという画期を形成した時代を見直し、近世への幕開けを準備した』と言われています。
雪舟等楊(水墨画家、禅僧、1420年 - 1502年または1506年)と桂庵玄樹(臨済宗の僧侶、薩南学派、1427年 - 1508年)・らが随行した、『遣明使(遣隋使と遣唐使は知っていましたが)』についても、調べるため・知るために国会図書館通いが続きそうです。
(記事投稿日:2024/04/05、#736)
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