『日本の城郭 014(62年ぶりの松江城は、記憶より大きく・堅城)』
『輪郭連郭複合式の平山城の天守閣は高さ22.4ⅿ日本史上14位』
『標高29mの亀田山に建つ天守閣から宍道湖を、城主のための最上階の造り』
松江城の、昔の印象・記憶は小ぶりで、『江戸城の三層の富士見櫓』くらいと思っていました。 今回は見直しました。
先ずは天守閣のこと、
江戸城の富士見櫓は『八方正面の櫓』と言われ天守閣の代わりに使われたほどのものでした。 明暦大火で寛永天主閣消失後、再建を断念(江戸城天守再建を後回しに、江戸町民の生活を優先させたのは、江戸時代の初めの稀代の名君は保科正之、家康の孫)し、一時期は天守閣代わりの江戸城の象徴でした。 ごく最近のこと、大失敗の『ハコモノ』濫造時代がありました隔世の感があります。
天主閣に居住した織田信長の安土城の天主閣は特別で、標高199ⅿの急峻な独立峰に5層7階の、後の大阪城より『超巨大な山城』でした。 一般的には、城の天守閣は『武器庫・塩蔵・食糧庫』等、貯蔵に使われました。
西洋の城のキープ(英語: Keep)またはドンジョン(フランス語: Donjon)は、中世ヨーロッパの城で中心となる建造物のことです。 日本語では日本の城の天守との性質の類似性から天守と訳される。 日本の城と同様に『武器庫・塩蔵・食糧庫等』等、貯蔵に使われました。
『現存天守閣』の大きさ比較
ウエブ情報から引用
『日本歴代天守閣』の高さ比較
1位 寛永度 江戸城 44.8m
2位 徳川大阪城 44m
3位 名古屋城 36.1m
4位 駿府城 33.5m
5位 安土城 32.5m
6位 姫路城 31.5m
7位 豊臣大阪城、福山城、名護屋城 30m
8位 大垣城 28m
9位 高松城 26.5m
10位 広島城、丹波亀山城 26m
11位 松本城、島原城、今治城 25m
12位 岡山城 24m
13位 津山城、小倉城 23m
14位 松江城 22.4m
15位 岩国城、水戸城 22m
『歴代巨大天守閣』の大きさ比較(安土城は唯一山城、他は平城・平山城)
(徳川家光の三代目寛永江戸城の天守閣が群を抜く、四代目は再建できず)
ウエブ情報から引用
標高20ⅿ 標高30ⅿ 標高46ⅿ 標高199ⅿ 標高60ⅿ
冒頭から余談でした。
標題『日本の城郭 62年ぶりの松江城は、記憶より大きく・堅城)』に戻ります。
松江城の総構えの縄張り(機会を見つけて外堀探索をしたい!)
ウエブ情報から引用
先ずは松江城の特徴です。
松江城天守閣の特徴は、外観は4重、内部は5階地下1階付きの構造。 高さは、石垣を含め約30m、天守のみが約22mになります。 現存する12天守の中で姫路城、松本城に次いで3番目の高さ、天守の総床面積は姫路城に次いで2番目の大きさです。 松江城は美しい外観だけでなく、攻守に優れた構造をもち、戦に備えた工夫が随所に凝らしてあるのも特徴の一つです
松江城天守の階段は1階から6階までの全て急階段はよく知られています。 傘寿と喜寿の老夫婦には本当にきつかったです。 最上階に上る階段は桐造りで、イザってときには、取り外して最上階に引き上げ、城主が落ち着いて最後を迎えるためと、62年前に説明を聞いて、以来『城マニア』になりました。
美しい松が多い松江ですので、その名前の由来を、すぐに比較したのが関東湘南の『江ノ島』の由来『絵のように美しい島』でした。 江ノ島の場合も、数ある説の中でこれが一番もっともらしいと納得しました。
松江の名前の由来ですが、『その風景が、中国大陸の杭州の西湖のほとりにある「淞江」(ずんごう)に似ている』という説とか、いろいろありますが『形の良い松が沢山生えていて、絵のように美しい』が、最も相応しいと、この度の旅で思いました。
インスタ映えする『雪の松江城』を期待しましたが、先日10日、東京は雪でも、松江は曇り時々晴れでした。 松江城の大手門は石垣のみが残るが巨大な枡形を形成しており、江戸城や大阪城に匹敵する規模。 壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を白漆喰塗、その下を黒塗下見板張りとする。 南北の出窓部分の壁も白漆喰塗。
大手門跡
南櫓・多門櫓・天守閣(後方)
天守閣
1638年(寛永15年)譜代大名、信濃国松本藩より松平直政が出雲18万6千石で入封、西国の外様の抑えの最前線になった松江城です。
(記事投稿日:2023/02/17 #627)
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