『大ピラミッドのこと 11(化粧石・化粧板は何処へ、古代エジプトの美的センスが!)』
『約10トンの石灰岩の化粧石・化粧板、10数万個はいつ剥がされ、何処へ』
傘寿はせっかち(語源は急き勝ち)で、いつも結論を急ぎます。 化粧石・化粧板の『行き先・何処へ』ですが、想定は三つあります。
❶ギリシャ時代に、ギリシャの他の建造物を造るために剥がされた。
(海路で1,200㎞以上、その上、積み込み・積み下ろしの荷役が困難)
❷ピラミッドの化粧石は温度差で剥離した? ピラミッド表層崩壊。
(高さ1.5m、幅1.5m、断面は台形、『上辺奥行1.3m、下辺奥行2.3m』、
重量約10トンで、これは化粧板ではなく、超安定の化粧石『塊』)
❸カイロの市街地を舗装するために使われた。
(これが本命ですが、現時点ではエビデンスなし、写真記録もなし)
最近の世の中には、世界にも・日本にも、ボヤキたくなることは沢山ありますが、まだ我慢できる大昔の時代のボヤキから入りたいと思います。 これからは、どうすればボヤキを減らせるかも、他のテーマで考えていきたいと思っています。
世界には、人類の遺産としての重要な遺跡が破壊された事例が、いくつもあります。 ひとつは、お隣の中国の『文化大革命』であり、身近にもありました。 日本の『廃仏毀釈』です。
文化大革命(ウキぺディアから抜粋・引用)
文化大革命中、各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。 またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。
有名なのは明の万暦帝の陵が紅衛兵によって暴かれて万暦帝と妃の遺体が焼かれてしまったこと。
ウェブ情報(明 万暦帝の画像)から引用
廃仏毀釈(ウキぺディアから抜粋・引用)
明治初期に神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で、各地で仏像・経巻・仏具の焼却や除去が行なわれたが、この事件が仏教覚醒の好機ともなり、日本近代仏教は廃仏毀釈を梃子として形成されていった。
ウキペディアから引用(破壊された石仏、川崎市麻生区黒川)
表題『大ピラミッドの化粧石・化粧板は何処へ(古代エジプトの美的センスが!)』「約10トンの石灰岩の化粧石・化粧板、10数万個はいつ剥がされ、何処へ」に戻ります。 『石』の建造物は、造るときは大変ですが、壊すときは、いとも簡単に壊すのが『人の性』・『人間の業』です。 一旦壊したら修復の方、はなかなかできません。
大ピラミッドの場合は『石材の剝奪』だけですが、化粧石・化粧板が再利用されたケースです。 『化粧石・化粧板』の剥奪だけで済んだのは、大ピラミッドはあまりにもスケールが大きくて、且つ精巧に建造されており、更に、四角錐の面傾斜は51度以上もあり、壊すための大掛かりな装置が必要であったようです、これ以上の破壊が出来ず、表面の化粧石・化粧板の剥奪に終わったのが真相のようです。
歴史的時間スケールの中では、上記の例、前者の二つは最近のことです。 ただ情けないことはこの二つ(中国の文化大革命と日本の廃仏毀釈)は理由はともあれ、目的が破壊でした。 唯一の救いは後の一つの例は『歴史的遺産の破損』とは言え、大ピラミッドの化粧石・化粧板は、道路や建造物に再利用されたことです。
三大ピラミッドは大きい順にそれぞれ、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の王墓であると考えられていますが、現在では神殿であることも考えられており、厳密には、真相は未だに分かっていません。 化粧石・化粧板はこれらの三大ピラミッドを中心に施されていたようです。
それらの石材を何処からギザ台地まで運んだかですが、本体に使われている石材はギザ付近に産出する石灰岩を用いている。 表面を覆うために必要な十数万個の白色石灰岩(一部は赤い花崗岩)の化粧石(表石)は、ナイル川を溯った15キロ程先の上流から運ばれたものです。
ギザのピラミッドは完成時の想像図最近、ウェブ情報で見つけました。
ウェブ情報(ギザのピラミッドは完成時の想像図の写真)から引用
3基の中央のカフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)最下部だけが赤で、他の大部分が白く外装されていた。 現在は最下段の1列だけに赤い花崗岩の外装が残っている。 3基の手前のメンカウラー王のピラミッド(第3ピラミッド)は下から16列がやはり赤い花崗岩となっていた。
『ギザの三大ピラミッドの現在の風景』です。
ウェブ情報(ウィキペディアの「ギザの大ピラミッド」)から引用
あの巨大な3基のピラミッドに貼り付けた化粧石・化粧板は何処へ
先ずは、一般的に言われているのは、『ギリシャ時代に、他の建造物を造るために剥がされたという事と、さらに現代に入ってもカイロの市街地を舗装するために使われてしまったということ』のようです。
更に、新説には、『ピラミッドの化粧石は温度差で剥離した? ピラミッド表層崩壊』があります。
クフ王の大ピラミッドのてっぺんにあったキャップ・ストーンは、下に転がり落ちている状態で発見されたが、その原因は地震だとか。 地震で表面が崩れやすくなったとか、人の手による以外の場合の破壊の可能性は、色々考えられそうです。
三大ピラミッドのクフ王のピラミッドの北側の斜面の最下段には、白い化粧石の一部が今も残されている。 この『材質石灰岩の化粧石;高さ1.5m、幅1.5m、断面は台形、上辺奥行1.3m、下辺奥行2.3m、重量約10トン、三基ピラミッドで十数万個か?』。 大ピラミッドの階段状を斜面に仕上げる素晴らしい設計コンセプトです。
ウキペデイアより引用
この写真から、理由❷ピラミッドの化粧石は温度差で剥離した? ピラミッド表層崩壊。 (高さ1.5m、幅1.5m、断面は台形、『上辺奥行1.3m、下辺奥行2.3m』、重量約10トンで、これは化粧板ではなく、超安定の化粧石『塊』)が想定された可能性がありそうです。 そしてそんな化粧板で覆われたピラミッドは、太陽の光を反射して白く輝いていたのではないかと考えられていて、さぞかし荘厳な光景であったと思われます。
また何故、そのような化粧板で覆われていたのかの理由については、よく分かっていないようですが、それらの運搬と加工する事も大変な作業だったでしょうから、単に見栄えの問題だけでなく、何かしらの深い意味が有ったのかも知れません。
大ピラミッドのこと、いろいろ解ったような錯覚していましたが、まだまだ奥が深いし、楽しみが残りました。 次の課題、『クフ王の大ピラミッドには、260~280万個が組み込まれているが、石材のサイズが、下段から201段のトップまで、リニアに小さくなっていない、途中で大きくなっている層がいくつかある』ことです。 古代エジプトの『エジプト数学』恐るべしです。 これらの点からも、調べてみたいと思っています。
(記事投稿日:2021/03/06、最終更新日:2022/12/29、#292)
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