知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『登場が早すぎた清原和博氏、「打」の才能が凄すぎ「二刀流は」は実現せず』

2023-08-26 09:34:31 | スポーツ

『登場が早すぎた清原和博氏、「打」の才能が凄すぎ「二刀流は」は実現せず』

『リトルリーグ入団テスト(小学三年)で遠投70ⅿを記録、以来投手で4番』

『PL学園一年生の時、清原選手は桑田選手の投球を見て投手をあきらめた!』

『落合博満氏は「清原だよ、自分の後の3冠王はあいつしかいない」といった』

リトルリーグの清原選手は30校近い高校のスカウトがあったが、奈良県の天理高校とPL学園高校でどちらに行くかで悩んでいたが、両校の練習を見学した際に、毎年100人前後の部員を抱える天理高では3年生が練習をしている際に1年生が球拾いをしているのに対し、少数精鋭をとるPL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手となったそうです。

PL学園で新入部員が最初に集まった際に、桑田(身長174㎝、体重80㎏)部員を探しその姿を発見すると『なんだ、こんな小さい奴か』と思ったが、実際の投球を見て驚嘆し、PL学園で投手になることを断念したと。
 
ウエブ情報から引用

PL学園を選びKKコンビを組めたからこその、3年間で5大会に出場と、その実績があります。

清原選手(身長186㎝、体重90㎏)の高校時代・甲子園での当時記録;
  • 甲子園での通算ホームラン数は13本
  • 通算打率は4割4分
  • 1大会で5本のホームラン

KKコンビのPL学園での成績
1年夏:優勝
2年春:準優勝 - 岩倉(東京)に敗れる。
2年夏:準優勝 - 取手二高(茨城)に敗れる。
3年春:ベスト4 - 渡辺智男を擁する伊野商(高知)に敗れる。
3年夏:優勝
やまびこ打線の池田高校(1982年夏・1983年春)、松坂大輔を擁した横浜高校(1998年春・夏)、北海道勢初の甲子園制覇、さらには田中将大を擁しての夏の甲子園連覇(2004年夏・2005年夏)をした駒大苫小牧を含め、春夏連覇や夏春連覇を達成したチームは多数あるが、5季連続でここまでの成績を残したチームは学制改革後KKコンビ時のPL学園だけ。

米国のメジャーリーグで大活躍した松井秀喜(身長188㎝、体重99.8㎏)氏、さらには大活躍中の大谷翔平(身長190㎝、体重95.3㎏)選手が居りますが、もっと凄い『清原和博(身長186㎝、体重90㎏)』氏が居りました。 三人の入団一年目の実績です。

  • 清原(1986):打率(.304)・本塁打(31本)・打点(78点)・塁打(236)
  • 松井(1993):打率(.223)・本塁打(11本)・打点(27点)・塁打( 83)
  • 大谷(2013):打率(.238)・本塁打( 3本)・打点(20点)・塁打( 71)

高校野球でも,プロ野球でも、野球界の二刀流元祖になれた凄い逸材が居りましたが、甲子園大会での通算本塁打数の最多記録保持者(13本。春に4本、夏に9本)は清原和博氏です。

小学3年生の時点で、すでに身長が155cmあり、入団テストの遠投では70mを記録したとのこと。 1977年、6年生ばかりのレギュラーに混じり唯一4年生でレギュラーを獲得。

野手への転向
清原は早くから1年生では田口権一と共にレギュラー組に選ばれていたが、6月頃に(入学当初から希望していた)投手の練習はもうしなくていいと言われた。その後、同期の桑田真澄の傑出した実力を知り、「桑田には絶対勝てない」と野手を選んだ。
新入部員が最初に集まった際に、桑田を探しその姿を発見すると「なんだ、こんな小さい奴か」と思ったが、実際の投球を見て驚嘆し、PL学園で投手になることを断念したと、後にコメントしている。

落合博満氏(日本の元プロ野球選手・監督、野球解説者、タレント、YouTuber)の今まで見た高校球児で一番凄かった選手明かす 『清原だよ。自分の後の3冠王はあいつしかいないと思っていた』とコメントしていました.

ウエブ情報から引用

今後も続けます。 『野球界の歴史的なスーパースター・清原和博氏のエピソード探し』を。
(記事投稿日:2023/08/26、#682)
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