知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『インカは凄い 1(インカ オリャンタイタンボの6枚屏風岩)』ー80トンの巨石を330mの高さで切り出し、降ろし150mの丘に上げたー

2018-12-29 22:21:30 | 歴史・世界

『インカは凄い 1(インカ オリャンタイタンボの6枚屏風岩)』

      ー80トンの巨石を330mの高さで切り出し、降ろし150mの丘に上げたー

 

世界中の著名な、先生方も、この16世紀に構築されたインカオリャンタイタンボの遺跡について石の切り出し・運搬・構築方法に関して全く推測さえしていない。  今回は、ウェブ情報チェックでは限界でした。

 写真(1)、15世紀構築のインカオリャンタイタンボの6枚屏風岩

6枚中最大のものは、高さ4m、幅2.5m、厚さ平均1m、重さ約80トン。

 

 日本にもある石舞台(7世紀、時間差は約1,000年)には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。

 ユーラシアとその諸島、英国・日本等の巨大な石を使った遺跡は、ある程度、切り出し・運搬・構築方法は、推測できるし、一部には痕跡もある。  このインカオリャンタイタンボの6枚屏風岩遺跡を含む、精緻に加工されたインカの遺跡には、殆どその痕跡がない。  先ずはウェブ情報です。

 

 一番近くの花崗岩の石切り場は、直線距離で10キロ、実際の運搬距離では少なくとも15キロ離れた川()向こうにある。

ウルバンバ川支流のパタカンチャ川の流れ込む谷間

6枚屛風岩のある地点は150mほどの高さ。 花崗岩の石切り場のある地点は330mほどの高さ。 つまり、6枚屏風岩の建造者は80トンもの重量のある巨石を330mの高さの山上で切り出し、一度山の麓まで降ろし15キロもの距離を運ぶ途中で、川を渡らせ、再び、150mもの丘の上に上げたことになる。

 

50トン以上の石6枚を切り出し・運び・並べて建てるのは不可能に近く、機械を使わずに、どのようにしてこれを作ったのかは解明されていない。インカ帝国には、巨大な石を使った遺跡が数多く残されており、その加工技術も謎のままで、石の表面が非常になめらかに加工されているものが多い。

 

写真(2) 写真(1)の右から一番目と二番目のつなぎ目

このつなぎ目は『サネハギ(実矧ぎ)式』に見えるが、『ホゾサシ(枘差)式』。

私見です。 鉄製工具がなく、石製・青銅製工具で写真(3)に見えるホゾ突起造りより、ホゾ穴堀の方が難しく、このつなぎ目の石で、ホゾ穴堀加工で失敗したときに、新規に造り直しが出来るようにした。 この石板でなら百数十キロであり、比較的容易に、新規に造り直しができる。  つまり数十トンの巨石での、ホゾ穴堀加工の『オシャカ』対応をしないで済む。

 

 写真(3) ホゾサシ(枘差)のホゾ突起が見えている。

 

木材・石材などをつなぐとき、一方の側面に作った ホゾ突起で、反対側のホゾ穴に嵌める。

どちらも木造建築で発達した技術で、英国のストーンヘンジは、横石はただ乗せただけではなく、立石と横石は凹凸の組み合わせで接合されており『ホゾサシ(枘差)式』。 一部の横石どうしは、溝では継ぎ合わされている『サネハギ(実矧ぎ)式』。

それらは、石に利用された木工技術で、昔、英国は針葉樹林帯であった。    インカには、大型木造建築技術があったかどうかは不明で、突然、巨石建築に『ホゾサシ(枘差)式』技術が、使われた可能性がある。

ストーンヘンジ遺跡とオリャンタイタンボ遺跡には、仕上がり面での大差は、ありますが、その時間差は約3,500年です。 インカの巨石加工技術と運搬技術は、今後『調べ甲斐』がありそうです。

                              (20181229 纏め #045)


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