原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昨日青色申告会場にて実施した義母の「青色申告」にて、不本意ながら痛恨のミス…

2024年01月30日 | 仕事・就職
 やはり年齢には抗えないというべきか…


 実は 義母の青色申告に先立ち、自宅にて実施した亭主と私の確定申告にても痛恨のミスをしでかした。

 亭主の確定申告は、一昨年からパソコンにて仕上げ送信する形式で税務署へ提出している。

 当初 この自宅パソコン申告を開始した時には何らの不都合もなく、今までのように税務署へ出向いて税務署のパソコンにて作成しその場で提出してくるよりも、数段楽ちんになったと言えよう。

 ところが マイナンバーカードがある程度一般的になった昨年からは、税務申告にこのマイナンバーカードが絡んでくるのはやむをえないとして。
 本年からの自宅パソコンにての確定申告に際し、「マイナンバーカード読み込み制度」が導入されたようだ。

 この「マイナンバーカード読み取り器」に関しては既に亭主が購入していて、それを使っての申告となったのだが。
 これが読み取り機の調子が悪いと言うのか、私の扱い方が間違っているのか、なかなか読み取ってくれないのだ…!?!?
 何で税務申告とはまるで無関係のこんなところで躓かねばならないのか?!!? と怒り心頭の私だ!!😡  これに手間暇かかっているうちに、何とか税務申告スタートラインに付けたのだが。

 それに苛々しつ、入力作業を続けていたのと。
 同時進行で義母の「不動産貸付業青色申告」(こちらはパソコンではなく手書き作業)と我が頭の中がごっちゃになってしまったようだ!!(これは自己責任と認めるが、それにしても身内2名の確定申告を同時に進行している身にもなって欲しい!)

 頭がこんがらがったまま、亭主と私の確定申告をパソコンにて続行していて、私は亭主申告に「青色申告」を選択してしまったようだ… (あくまでも自己責任であることは分かっちゃいるが…)
 それに気づかぬままに申告作業を続行して最後の方の画面で、「青色申告」がどうのこうのとパソコンからの指示が出始めて作成が進まなくなってしまった。
 訳が分からないままに、亭主の申告を中断せざるを得ず。
 明くる日に、最初からやり直しせざるを得なかった。

 さて、次の日にパソコン画面から再度一から申告をし直し始めると、やはり「青色申告か否か」を問う画面があった。 今度はきっぱりと「No!」の返答をしてその後の申告作業はうまく行って、昨日午前中に亭主と私のパソコンにての確定申告は仕上がった。 (還付金¥50,000-也 をゲットしました!!)😜 



 昨日午後の、義母「不動産貸付業青色申告」に話題を移そう。

 こちらは当然ながら青色申告会場にて、プロの係員が主体となって申告作業をパソコンで進めて下さる。
 例年ならば自宅でその作業を完璧に実施して持参する私故に、一発でOK!!となり、すぐに申告が完了するのだが。

 昨日の青色申告に於いては、我が準備作業に於いて大きなミスをしでかしていたようだ。😱 

 なんと、「高齢者医療保険」項目をまったく飛ばしてしまっていた!(これ 費用項目としてはかなりの高額になるが故に、申告では落してはならない項目だ。)
 そんなミスは、義母の青色申告を開始して10年以上の身にして一度も無かった。 

 助けられたのは、青色申告の我が担当者氏の指摘だった。
 それの記載を飛ばしていた私に対して、「義母登録の自治体(豊島区だが)に今すぐ電話して確認するとよいです。」
 そのご指導に従ってすぐに豊島区へ我がスマホから電話をかけると、随分と親切に対応して下さる。 ただ、当然ながら本人でもない私にその金額を伝える事はできない。 「代替案として、例えば義母の通帳からその金額を計算可能です。」なる素晴らしいご回答を頂戴した。

 すぐさま私が応えて、「義母の預金通帳を青色申告会場に持参しています! この『高齢医療』の昨年12か月分合計額を計算して青色申告に利用すればいいのですね!!」
 担当者氏が応えて、「その通りです!!」

 その電話のやりとりを傍で聞いてくれていた青色申告会の担当者氏がすぐさま私から義母の預金通帳を取って、即刻計算を始めて下さる!!

 豊島区の電話に出られた担当者に懇切丁寧にお礼を申し上げたら。
 担当者氏も、「青色申告会場に義母様のご通帳を持参されていてよかったですね!!」と喜んで応えて下さった。



 すべては、この私の“老化現象”が引き起こした税務申告上のトラブルだった訳だが。😨 😭 

 そうだとしてそれを精一杯指導・応援して下さった税務関係担当者等の方々のお陰で、今年も身内の税務申告を早期に片付けられた事実に心より感謝申し上げたい!


義母所有・山手線沿線不動産物件の外壁工事が終了し、現地へその確認に行ってきました。

2023年10月27日 | 仕事・就職
  (冒頭写真は、表題の義母所有不動産外壁工事完了後の写真。 昨日現地にて撮影。 相変わらずパソコン写真処理方法が分かりにくく、不明瞭な写真を掲載したことをお詫びします。)


 昨日 秋の晴天の下、亭主のお供をしてJR山手線某駅より徒歩10分程の位置にある、義母所有不動産物件の外壁工事終了に伴う現地確認に行ってきた。

 最初からその費用に関して記載すると。
 今回の場合、賃貸物件の外壁すべてと屋根、そして建物の周囲のブロック塀までの大規模工事を実施したため、数百万円に達する費用が発生した。

 この物件の場合、そもそも木造建築なのだが。
 どうやら、建設当初その木造建築に関して当時としては最高に丈夫な木材等々の素材を使用したり工法にこだわる建築としたため、通常の建売木造住宅よりもはるかに長持ちすることは保証されていたようだ。

 その木造物件を13年程前に、亭主の義理姉(既に他界)の希望で「新築そっくりさん」業者に依頼して、全く別物の建物に変身させた経緯がある。 これに要した費用を記載するならば、4000万円近い金額をかけている。 (そんなに多額の費用を計上するなら いっそ新築にすればよいか、と私など思うのだが)。
 これが、如何なるいきさつで「新築そっくりさん」に依頼したのかに関しては、他人の私は把握していない。


 その後年月の経過と共に、当然ながら各所に痛みが出てくるのだが。
 今回は 不動産賃貸借仲介企業の勧めもあって、外壁工事等々をお願いしたとのいきさつだ。

 さて、現地に到着してみると、人が良さそうな工事担当企業の責任者が待っていて下さった。 その後、不動産仲介企業の担当者も現地へやってきて、我々と共に外壁工事等々が仕上がった建物の点検が開始した。
 
 
 以下の写真は、私が現地でスマホにて撮影したものだが。(冒頭にて説明した通り、我がパソコンの写真処理が未だ使い辛く、やむなくスマホ画面からデジカメに撮影し直してなんとこさパソコンへ入れたため、不鮮明な点をお詫びします。)
          
 外壁工事後の 物件正面玄関付近の外壁。 確かに一見新建築かと見間違う如くに美しく蘇っている。

          
  こちらは、横壁。 同じく、以前よりは美しく仕上がっている。

 
          
 
 こちらは正面玄関付近から撮影した外観だが、外壁やフェンスや門扉のすべてを白色系で統一したことも功を奏したのか。 
 まるで新築の如くに仕上がっていて、今回 数百万の投資をした甲斐はあったかと唸ったものだ。


  義母所有と言ったとて 本人はずっと以前より認知症に難聴を患い、今となっては現地を訪れる事すらままならないが。

 それでも その物件を引き継いだ我々世代が、当該物件をなるべく長持ちさせ有効活用するべく頑張っている事実を、おそらく義母は喜んでくれることだろう。

 幸いなことに山手線駅から徒歩10分との好条件に恵まれ、我々が義母から引き継いだ後は、入居者が途切れることは無い。


 昨日 久々に現地へ出向き、当該物件が美しく蘇っているのを見て。
 普段から賃貸借料金収支の確認に励んだり、毎年青色申告を担当している私としては まんざらではなかったとの結論だ。


私の現役時代の「肩書」は職が変われどいつも至って“明瞭”だった

2023年09月16日 | 仕事・就職
  (冒頭写真は、原左都子30代頃の職業だった「教諭」の身分証明書。 何の職業に就こうが 自らの外見的個性には常にこだわりがあった私だったため、教員の割にはド派手なヘアスタイルだったなあと、写真を見て振り返ります…)


 2023.09.13付朝日新聞  牟田都子氏による「落ち穂拾い」より、“肩書ひとつに宿る自分”と題する記事より、以下に一部を引用させていただこう。

 会社や組織に属さず仕事をしているので、活字化を前提にした取材を受けると「フリーランスの校正者」と書かれることが多い。 
 主体性の無さゆえ就職活動から早々にドロップアウトして、非正規雇用で食いつなぐうち、気が付けば今の働き方になっていた人間には、いささか荷が重い肩書だ。
 自らの意思でフリーランスという働き方を選び、腕一本で世を渡っている人も周囲には多い。 だからこそ、自分がそこに並ぶのはおこがましい… (中略)
 分子生物学者・福岡伸一さんの略歴からは、ある時「分子」の二文字が消えた。 実験と研究に邁進する日々を経て、「もっと総合的に生命のことを考えたい。文化や社会とのかかわりの中で生命感を深めたい」との思いが募り、「ふつうの生物学者に戻ろう」と決意したという。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 上記朝日新聞よりの引用文を読んだ直後の、原左都子の感想を書かせていただこう。
 
 「ふつうの生物学者」に戻られたとの、元・分子生物学者・福岡伸一氏に関しては、医学関係者としての活躍時期も長かった原左都子にして、当然よく存じているのだが。

 へえ、分子生物学者として世に大いに名を売られていた福岡伸一氏にして、御自身の「肩書」に関するそんな葛藤(と言う程ご本人にとっては大げさではなかったのかもしれないが)の時期があったのだ!! と、興味深く拝見申しあげた。


 その「肩書」に話題を戻そう。

 この原左都子など、現役時代には自分の名刺や冒頭写真の身分証明書のごとくの書面に於いて、「肩書」をどうしようか?? なるある意味では楽しい迷いの時間など皆無だったものだ。
  
 それもそのはず、上記写真の「教諭」もそうだが。
 私が携わった仕事のほとんどが、それ以外の表現の仕方が皆無である程に、世に一般的に蔓延っている職業であったからだ。
 この冒頭の「身分証明書」に関しては、当時通勤していた高等学校現場で作成して下さったものだが。
 突然「身分証明書」用の写真を映します、と告げられた際には、このヘアスタイルでOKかな、と私本人が尻込みした程だった。

 そして出来上がって来たのが、冒頭の「身分証明書」だ。
 これが当時職場の誰に責められることも無い程、この我が風貌は職場内で受け入れられていたと言えよう。

 生徒にも一番人気の女性教諭として、高齢域にしての出産退職まで当該高校教育現場で思う存分に活躍出来た事実こそが、我が誇りでもあり忘れ得ぬ学校現場での思い出でもある。


 我が医学経験も 教諭経験同様にずっと順調な道程を辿った事実を、その“正当”な「肩書」と共に語ろうと考えていたが。
 字数が既に多くなってきたため、次回以降に回そう。
 

私が高校教師を経験したきっかけは、自ら“選んだ”のではなく“突然降って湧いた”のだが…

2023年07月20日 | 仕事・就職
 ただ、そんな“突然降って湧いた”との思いもよらぬきっかけだったからこそ 我が高校教諭生活はあれ程に充実していたものと、後で思えるのだ。


 この話題は、本エッセイ集バックナンバー内にも幾度か既に記載しているが。

 時は、次年度より大学院修士課程生にならんとしている平成4年(1992年)春だった。
 2度目の大学時代よりずっと“勤労学生”を続けていた私は、大学院進学後も当然それを続行する予定でいた。
 特に修士課程大学院生とは、とにかく「修士論文」を作成するのが第一義だったため、授業自体はさほど多くはない。
 これが功を奏して週何日かを丸ごと仕事に当てられるのを利用して、私はそれまで続行していた「医学企業にての業務」を週3日務める契約を既に交わしていた。

 そうしたところ、大学院入学が近づく3月終わり頃のことだ。
 突然、夜遅い時間帯に我が家の電話が鳴る。 出てみると 相手は「神奈川県教育委員会」だった。
 担当者が命令口調で曰く、「貴方は4月から、県立定時制高校にて教諭として商業科を受け持つことが決定しています。」
 “寝耳に水”と言うのか、もっと言うなら“暴力的”な電話ですらあった!

 早速私が反論して、「私は元々医学関係者でもありますが、4月からは医学関係企業にて週3日の勤務が既に決まっています。 こんな時期にそんな電話を頂いても、受け入れる訳にはいきません!」

 そうしたところ 向きになった教委担当者が言うには、「これは教委からの命令です。必ず従っていただきます。 明日あなたの勤務予定高校に出向いて頂いての学校長及び教頭面談がありますので、必ず行って下さい!!」
 教委の無茶ぶりに驚きつつ、私も反論を続ける。「ちょっと話が無茶苦茶過ぎです!  それでは私側から条件を付けましょう。 報酬が多い方を選択させていただいてよろしいですか!?? 明日、勤務予定校へ行って学校長に報酬額を伺った結果、もしも神奈川県立高校教諭の報酬が私が予定している医学業務より高いようでしたら、教員を引き受けるという事でどうでしょうか?」

 教委担当者はかなり呆れつつも、それでも差し迫る4月新学期に教員欠員ではどうしようもないと考えたのであろう。 私の希望条件を承諾した上で、次の日の面談と相成った。

 そして次の日、我が勤務予定校へ単身で行ってみると。
 何とも人が良さそうな学校長と教頭2人が私を待ち構えていて、曰く。「よく我が校へお越し下さいました。 教委は何とも素敵な女性先生を紹介して下さったものです! こんな女性先生が我が校へ来て下さると、子ども達(生徒)が大喜びするでしょう! ナンタラカンタラ…」
 それを遮って早速私曰く、「私は元々医学関係者なのですが、4月から医学関連企業にての就業が決定しております。 それでも教委がどうしても面談を受けて欲しいと言うので本日参りました。 正直に伺いますが、私がこの学校に教員として採用された場合の「報酬額」の詳細が知りたいのですが。」
 どうやらこの話は教委から学校長に伝わっていた様子で、校長自らがさっそく給与体系の資料を開いて詳細を説明して下さった。
 その結果、大学生時代より非正規として採用してもらっていた医学企業よりも、教諭としての採用の高校の方がはるかに報酬が高かったのだ!!😲 

 これはもう、高校教諭の仕事オファーを引き受けるしかない! と即断した私は、その面談時に教諭としての採用を承諾した。
 (参考だが、夜間定時制高校の場合は昼間大学院生として通学しながら同時に教諭の仕事がこなせることが判明していたための、教諭⦅正確には“臨時的任用教諭”との名称だっただろうか。とにかくいずれにせよ、通常の教諭と報酬も業務内容も全く同一だった⦆としての正式採用となった。)


 その後、大学4年時より週2日ペースで派遣医学社員としてお世話になっていた某医学企業には、4月からは高校教諭として採用が決定した旨を告げ退職手続きを取った。 皆さん良き人たちばかりで、拍手喝采で私を送り出して下さった。
 結果として 私は生徒達や教員仲間に大いに恵まれつつ、その後私から「(高齢)出産退職」を申し出るまで、足掛け4年半に渡り高校教諭を充実かつ嬉し楽しく続行できたのは、我が経歴上の貴重な誇り高き過去歴でもある。
 (更に参考だが、その後高齢出産にて産んだ一人娘が5歳時に医学分野業務に舞い戻っている。)



 2023.07.19付朝日新聞、“教育の小径”コーナーに、「教職、なぜ選ばれない」なる記事があった。

 詳述は避けるが。
 これを読むと何故現在の学校教育現場における「教師」という職業価値がこれ程までに低下してしまったのか、虚しい思いにすら陥る… 

 
 私の場合、「医学」「教育」と大きな主柱2本の道程を経験してきた身だが。
 いずれの経験も我が血となり肉となってくれて、現在の我が身を大いに支えてくれている感がある。

 どちらの仕事も(内容、報酬共々)甲乙つけがたい程に、私にとっては“素晴らしい過去”を誇れる職業であることは間違いない!!
 

発達障害、職場に特性を伝えるより本人が持てる能力で仕事を精一杯頑張るべき!

2023年06月08日 | 仕事・就職
 少なくとも私は親の立場として、発達障害の一人娘の教育を冒頭表題のごとくの徹底したポリシーの下に実行してきている。


 それ故に 私は今までの娘の人生に於いて、本人に向かって直接「貴方は“発達障害児(者)”だ」と告げたことはただの一度も無い。
 ただし、娘が子ども時代にその専門研究指導機関へ連れて行ったりした経験があるため、娘本人がそれを薄々感じ取っている可能性は否定できない。

 通学した学校に関しても。
 さすがに小学生時代には、娘小5まで「発達障害」がある旨を担任に伝えた。
 小6時の担任はその分野に関する力量が無い教員と私が推測したため、むしろそれを伝える事が娘に悪影響を及ぼすと母の私が判断して一切公開しなかった。 それが功を奏し、我が娘は無事私立中高入試合格が叶い進学した。
 中高・大学に至っては 娘本人の能力を信じつつ、私は家庭内のみで娘の支援を続けた。 この我が家庭内支援(要するに我が“サリバン力”)が、娘が立派に成長する“大いなる陰なる力”だったと自負している…

 娘が30歳を迎え一人立ちしている現在、もはや、その“サリバン力”の出番も極少なくなっている。
 たまに我が家へやって来た時には、必ず仕事をはじめとする娘の生活状況を確認するのだが。 多少のアドバイスをする程度で、今のところは事無きを得ている。




 ここで、2023.06.07付朝日新聞記事「発達障害の特性伝え 入社したのに 配慮求めた末突然雇い止め」と題する記事の一部を、以下に引用しよう。

 40歳女性は、子どもが発達障害と診断されたのをきっかけに自分もADHD(注意欠如・多動性)とASD(自閉スペクトラム症)だとわかった。 5年前、障害者雇用の枠で東京都のIT企業に契約社員として採用された。 だが、配属された部署は、業務補助という役割以上の仕事を振られることもあった。 女性は「仕事の連絡は文字に残るものでしてほしい」など、配慮してほしいことを文書で伝えた。 
 2016年に施行された改正障害者雇用促進法は、障害者が必要な配慮を伝えた場合、過重な負担にならない範囲で対応する「合理的配慮」を企業に義務付けている。 (中略)
 10月中旬、「11月30日をもって契約更新を行わない」とする雇止め通知書が届いた。 女性は弁護士を通じて雇い止め撤回を求めたが「業務遂行能力に大きな懸念がある」と会社は契約を更新しなかった。
 21年7月、女性は会社を相手取り。労働者としての地位確認と、「合理的配慮」の提供義務違反に当たるとして損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。 (途中大幅略)
 発達障害の人は障害の特性がわかりにくく、配慮を受けにくい実態がある。訴訟も長びくが、誰もが働きやすい職場環境はどうやるべきなのか。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 我が娘に話題を戻そう。

 娘が小1の時に、同じく発達障害にて研究所へ通っている小1男児親子と出会った。 その母親氏曰く、「この子は既に役所へ“障害児”登録を済ませ“障害者手帳”を持たせている。 そうした方がすぐに障害者である事実が分かり易く周囲の理解が得やすいと考えてそうしている。」

 これを聞いた私は実に驚いた!
 確かに親の立場としては、その方が何事も“手っ取く”物事が進むのかもしれない。 未だ息子さんは小1。その小ささでは本人も「障害」の持つ意味もさほど分からないかもしれない。
 ただ、子どもとは大きく成長していくものだ。(障害児登録を後で取り消せるか否かに関しては私は周知していないが) もしも本人が大きくなるにつれ障害の程度が軽くなりそれを取り消したいと考えたとして、それが可能だとよいのだが…

 私など、まるで逆の考え方のスタンスを貫いた。
 娘には たとえ発達障害を抱えていようが、とにかく最大限の努力をしつつこの世を渡って欲しい。 そのためのサリバン教育は一貫して厳しかった。
 その成果があり、娘は普通(いやむしろ優秀だったかも??)に大学までの教育課程を通り行き。 大学卒業後は正社員(中小企業だが)のIT技術者正社員として身を立て、現在は自ら転職を志しその職場にて活躍中の身だ。

 今後の事は、母親の私にも分からない。
 もしかしたら 転職先で躓くかもしれないし、うまく行くかもしれないし…


 それでも、発達障害を抱える娘に対する母親の私なりの確固としたスタンスはある。
 職場では、培ってきた自己能力を最大限発揮せよ!
 何らかのトラブルがあった場合は、必ずやひとまず上司の指示に従うように。
 職場の皆さんとは、出来得る限りのコミュニケーションを取るように。(実はこれが我が娘が抱える発達障害の一番苦手な部分なのだが。)
 それでもサリバンの指示に従って、少なくとも我が娘の場合は周囲に悪態を突いたり反抗したり、ましてや訴訟を起こすなどとの“悪戯”を働くことがないため、身が持っていると言えるだろう。


 たとえ「発達障害」であれ障害を抱えているという事実が生易しいものではないことを、私は娘の今までの人生を通して十二分に理解できているつもりだ。

 それでも私は主張したい!

 訴訟を起こし物事を荒げて敵を増やすよりも。
 とりあえず職場内では本人自身が出来得る限りの努力を惜しまず仕事に励み、少しでも職場のお役に立てるよう目指すことこそが。

 たとえ発達障害者であろうが 最優先課題ではなかろうか!?!