原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“この子の親で良かった” とつくづく思える親としての幸せ

2023年04月23日 | 仕事・就職
  本日のエッセイは、完璧“娘自慢”話題となりますので、その種の自慢話が苦手な方はスルーされることをお勧めします。



 高齢出産で産んだ我が一人娘が大学新卒で入社し 8年間正社員のIT技術者として勤務した企業を退社して、4月から新たな企業に再就業した話題は、少し前の本エッセイ集内で公開させていただいている。


 その再就職の日から早いもので2週間が経過した。
 親としては、(転職先企業が娘に合っているのか? 新たな職務がきちんとこなせているか??) と日々心配が尽きない。
 そうだとしても、既に29歳を過ぎている娘だ。
 やたらとせっついて、「どうだった? どうだった??」と騒ぎ立ててることは避けたいと、我がはやる気持ちを抑えて。 娘への連絡は週一でSMSにて確認することとしている。

 さて、第一週目の週末に届いた娘からのSMS回答は、以下の如くだった。
 「仕事のおおよその流れはほぼ把握できたが、未だに各業務の細かい流れが完璧に把握できていない部分がある。 今後は更に業務が増えるが、それに備えて着実な業務への取り組みとペースアップを目指したい。」

 以上は原左都子が多少編集したものだが。
 それにしても驚かされたのは、娘の文章が我がエッセイ集の文体と酷似していることだった。
 (手前味噌ながら、この娘、いつの間にこれ程の文章力を身に付けたのだろうか??)なる感想と共に、娘の成長を心より喜んだものである。)

 そして2週目が終了して一日過ぎた昨日土曜日に、2本目のSMSにて娘の新たな業務の状況を確認してみると。 業務にはかなり慣れて来たとの返答が返って来た。 これぞ、何よりである。

 それにしても、この2週間の親の心配とは裏腹に、娘がこれ程までに成長を遂げている事実を嬉しくも思い知らされた。

 亭主ともこの喜びを分かち合ったのだが、「この子、このまま定年まで2度目の企業で勤め上げそうだね。」と糠喜びし合ったものだ。


 ところで、娘の再就職先で娘は「品質管理業務」を担当しているのだが。
 IT技術者としてのデータ入力はもちろんの事、「実験業務」も担当しているらしい。
 「実験」と聞くと、まさに母親の私が医学業務に於いて医学実験を担当していた経験がある。

 娘が「実験業務」?? と聞いて最初はキツネにつままれたのだが、その理由がすぐに判明した。
 我が娘の大学の専攻が「実験」を要する分野だったことを思い起した。 入学時に「実験着」を購入して、大学で実験がある都度、母の私がそのレポートのまとめを手伝った記憶も蘇った。
 (参考のため、娘が大学時代に取得した資格とは「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」です。)
 通常、それらの資格を取得した学生達のほとんどは、その専門分野へ就業するのだが。 
 娘の場合は自身の持って生まれた特質である寡黙さ等々の適性を考慮して、自らが「IT技術者」となることを急遽目指し、大学卒業までにその分野の国家資格を自主的に取得したとの経歴がある。

 この度の娘の2度目の就職先にて「品質管理」分野での再就職が叶ったのは。 大学時代に「実験経験」がある事実と、8年間の「IT技術業務経験」の両者が認められた故だったのだと親としては改めて感銘させてもらった。

 やはり資格や経験とは一生に於いて役立つものであり、親としても娘の教育指導に於いてその点を重視して来た事実が活きた!、と嬉しい限りである。

 
 いま現在は社会的に特に専門分野において、若手専門職労働者不足だと見聞したりもする。

 そんな時代背景に於いて、娘に受けさせた教育課程や我が指導が役立っている事実に触れることが叶い。
 改めて、我が娘に対する「サリバン教育」に誤りは無かったと自負させてもらっている次第だ。

 何よりも “勤勉な働き者の娘”に育っている事実に、拍手を贈りたい母の私である。
 

企業では “人事異動 ”の4月ですね

2023年04月14日 | 仕事・就職
 この原左都子も、新卒入社した医学関係企業内の人事異動を29歳の春に経験している。

 実はその頃、私は社内では極秘で2度目の大学進学を志していた。
 そのため我が29歳時の春とは、怒涛の如くの変動の時期だった。
 ただ、社内では我が大学進学を極秘にしていたため、それを一言も漏らさずに事を進めるしかなかった。

 とにかく、勤務企業の最前線にての医学作業現場を去る事のみは決定していた。
 さて、一体何処の部署へ私の異動辞令が出るのだろうと思っていたら。
 やって来た指令は、「人事部教育課」であるという。

 我が心内では、(この医学関係企業では、最後の1年だ。ただ、1年後にこの企業を去るとは言えども、“我が人生に於いて悔いの無い1年を送りたい” との身勝手な意志も強靭だった。)

 さて蓋を開けてみると。
 人事部教育課での我がメイン業務が、全社員(間接部門では医学素人が多かったが)向けの「臨床検査を網羅した200ページほどの冊子」を1年間で執筆するというのが、第一義の指令だった。

 最後の年とは言えども、何とラッキーな仕事が舞い込んで来た!! とその幸運を心より喜んだものだ。
 元々、共同作業がさほど得意ではない人格の私だ。 医学業務最終段階で本を単独執筆させてもらえるとはこんなラッキーは無い!!と本気で感激した。

 ただしそんなに甘くはなく、教育課本来の業務(社員教育等々)も怒涛の如く押し寄せて来た。
 時は4月。 ちょうど新入社員教育の時期だ。 毎年教育課が主催してその新人教育が実行されるのだが。
 当然ながら、私には医学業務に配属された各課の新入生相手の「医学専門教育」が待ち構えていた。
 まあこれは、得意技だったかな??  とにかく、元々学業好きの私だ。 それまでの我が専門だった「細胞性免疫」分野のみならず、ほぼすべての医学分野を網羅出来ている自信があったため、比較的スムーズに新人教育をこなし終えた。
 (余談だが、新人教育最終日に新人達を引き連れて新宿の盛り場にて酒宴を執り行ったのだが。 飲兵衛の私の飲みっぷりに新人達が驚いていた😲 のが思い出深い。)

 それが終了した後も、間接部門各課での“個別医学教育”も実施した。
 受講者の皆さんは医学素人とは言えども、皆私より先輩社員ばかり。それにもかかわらず、皆さんが熱心に我が講義に耳を傾けて下さったのが実に有難かった。

 それらの合間に、我が主たる業務である「臨床検査を網羅した200ページ程の冊子」の執筆に励んだ私だ。 何分他の業務をこなしつつの執筆だ。
 正直言って集中力が途切れることもあったが、無事に3月には発刊に持ち込めた!


 実は、私はその陰できちんと大学入試勉強にも励んでいた。 
 一体いつ勉強したんだ?? と皆に不思議がられたが、我が勤務企業が完全週休二日制であったことに大いに助けられた。 土日は脇目も振らずに受験勉強に励んだことを、誰も知らなかっただろう。
 お陰様で、4月には二度目の大学の入学式を無事迎えることが叶った。

 そのちょっと前の3月に、社内少人数(上部管理職員がほとんど)で我が送別会が催された。
 その際にわざわざ出席して下さった副社長(某都市銀行頭取経験者)より、「貴女は当社を退職して2度目の大学へ進学するらしいが、一体何を専攻するんだ?」
 私応えて、「経営学(実際には「経営法学修士」を取得した)です。」
 副社長曰く、「そんなものボクが教えてやるから、馬鹿なことを言っていないで貴女は我が社で医学を続けなさい!!」

 これぞ、最高の“贈る(送る)言葉”だった。 (この事実はバックナンバーにても数回公開しているが。) それ程に、我が人生に於いて忘れ得もしないこれ以上無い 素晴らしい“贈る言葉”だった。😭 



 さてさて、最後に話題を「企業の人事異動」に戻そう。

  2023.04.13付朝日新聞内に「異動に不満 どうする?」と題する記事があったが。
 人事異動には不満がつきものの様子だ。
 例えば、入社10年目にして出世コースから「左遷」されたり…

 いえいえ上記我が事例も、そもそも会社側は「左遷」目的だったのかもしれない。
 それでも、そんなことは私にとってどうでもよい事実だった。
 そう思えたからこそ、私は我が新たな業務である「一冊の医学書執筆」なる超恵まれた業務を単独でやり遂げることが叶ったのだと、今更ながら実感する。


 あの充実した我が医学企業勤務の最後の1年の日々と、副社長からの最高の贈る言葉を、私は一生忘れることは無い。
 

理化学研究所本部でストライキがあったの??

2023年04月02日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、ネットより転載した “03.29午後 埼玉県和光市の理化学研究所本部前でストライキを行う職員ら” の写真。)


 いつものように我が愛読新聞である朝日新聞を読んでいて、「声」欄“かたえくぼ”コーナーで、この投稿を見つけた。

          
 こちらは、2023.03.31付朝日新聞「声」欄より転載した “かたえくぼ” への投稿。

 「『理研でストライキ』  計算外でした ー 量子コンピューター 」

 原左都子の感想だが、ウィットに富んだ投稿じゃないか!!


 いや待てよ、理化学研究所和光市本部と言えば。 私が娘を産んだ後に「有期契約の研究系職員」として勤務した研究所だ!

 一体、何が どうしたんだ???
 と思いつつ、早速ネット情報を探って。
 以下の情報を発見した。 引用しよう。
 
 雇い止め巡り理研でスト 有期契約の研究系職員ら
  3/29(水) 21:43配信

 理化学研究所本部前でストライキを行う職員ら=29日午後、埼玉県和光市
 理化学研究所が有期契約で雇用する研究系職員らを多数、今月末で雇い止めにしようとしているとして、対象となる職員を含む十数人が29日、1時間のストライキを実施した。 埼玉県和光市の理研本部前には支援者も集まり「研究を続けさせろ」と声を上げた。  理研の労働組合は昨年7月、雇い止めが危惧される研究系職員が約380人に上ると発表した。その後、理研の人事制度変更で、短期間の雇用継続が決まったケースもあるが、契約打ち切りを言い渡され、今年4月以降は仕事がない職員もいるという。  一部の職員は雇用継続を求めてさいたま地裁に提訴した。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 私がこの理化学研究所和光研究所に勤務を始めたきっかけとは、朝日新聞の求人欄にてその募集を発見したことに遡る。 (既に本エッセイ集バックナンバーにても述べているが。)
 娘は未だ幼稚園児だが、幼稚園を卒園して小学校へ入学した暁には「学童保育」で夕方まで預かってもらえる。 それを利用して、私も自身の専門を活かせる仕事をしよう。
 と志していたところ、ちょうど朝日新聞に適切な理研の研究助手(実験担当者)募集の広告が出た。
 早速履歴書と共に詳細の医学関連「職務経歴書」を添えて応募したところ、間髪入れずその求人を出した基礎研究者氏より我家に電話が掛かって来た。 
 そしておっしゃるには、「貴方は私が欲していた通りの人材ですので、すぐに仕事をしていただけませんか? とりあえず、明日面談に来てください。」

 それに従って翌日私は理研本部まで面談に出向いた。
 開口一番、「明日から出勤していただけませんか? 今回の朝日新聞紙面での募集に20通程の応募があったのですが、適任者は貴方一人でした。 急いでやっていただきたい実験等々が盛り沢山ありますので、明日から出勤してもらえませんか? 」
 
 随分と急だなあ、と感じつつ、未だ娘が幼稚園児だったためその旨告げて。  「娘が小学生になったら学童保育に入れるので、丸一日の勤務が可能です。」との趣旨の返答をした。
 そうしたところ、「分かりました。とにかく娘さんが幼稚園を卒園するまでは午前中半日勤務で結構ですので、是非明日から勤務して欲しいです。」との快諾の元、私は理研の研究助手業務に入った。

 そうこうしつつ、娘が小3の終わり頃に都内へ引っ越すことになった時点まで、我が理研の研究助手業務が続いた。


 話題を理研のストライキに戻そう。

 一体どうしたのだろう?
 私が有期契約の研究系職員として理研に勤務していた頃には、その職員が決定的に不足していて、理研側としては辞職を引き留めるのに必死状態だった。 私が都内転居のために辞職する旨告げた時にも、「都内から通えないか?」とのオファーを頂いたものだが…  

 上記ネット情報によれば、「有期契約の研究系職員らを多数、今月末で雇い止めにしようとしているとして、対象となる職員を含む十数人が29日、1時間のストライキを実施した」との始末…

 いかなる事情が理研側にあるのかは不明だが。
 (失礼を承知で物申すならば、“不要な研究系職員も理研内に蔓延っている”とのことか???)😖 😵 

 何はともあれ急な解雇は仕事の分野にかかわらず、働き手にとっては生活資金を失うことにもなりかねないため。
 理研も、労働界(労使関係)の常識をわきまえて行動するべきであろう。


労働は苦役か?、喜びか?

2023年04月01日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、2023.04.01付「書評」ページより中山元氏著「労働の思想史 哲学者は働くことをどう考えてきたのか」を転載したもの。)


 本日も、朝日新聞「書評」ページより題材を得よう。

 早速、2023.04.01付朝日新聞「書評」ページより、冒頭写真の中山元著「労働の思想史 哲学者は働くことをどう考えてきたのか」に対する、朝日新聞文化部記者・有田哲文氏による書評「苦役か喜びか 古代からたどる」の一部を以下に要約引用しよう。

 「やりがい搾取」という言葉をよく聞くようになった。「世の中に役立つ仕事だから」「あなたの成長にプラスになるから」などと言いつつ、安い賃金で濃く使うことだ。 働くのはカネのためだとみなが割り切りれていれば、成立しない行為である。 それほど私たちは、働くことに意味や喜びを求めているのだろう。
 労働は苦役か、喜びか。 昔から宗教家や思想家たちが考え続けてきた。 その軌跡をたどる本書は、いわば労働観の通史である。(途中大幅略)
 19世紀、資本主義勃興期の過酷な労働に向き合ったのが思想家・革命家のマルクスだった。 このマルクスの社会主義思想には、ぎりぎりのところで労働を肯定する発想がある。
 著者によれば、「近代にいたるまでの労働の歴史は、労働にどのようにして肯定的な意味が与えられるかという歴史でもある」。 では現在のサービス業で笑顔や忍耐を切り売りする「感情労働」については、どう考えるべきか。 人工知能に働く場が奪われるなら、どう対処するべきか。 現代人すべてが引き受けるべきといであろう。
 著者は哲学者であり、哲学や社会科学の古典的名著の新訳を次々にものした翻訳家でもある。 本書で登場する顔ぶれは、一見労働話とは縁の薄そうなホッブスやハイデガー、フロイトなども含め、百花繚乱だ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 原左都子の私事を語らせて頂いて、恐縮だが。

 去年の年末に我が家にやって来た今は外部で一人暮らしをしている娘が、爆弾発言をするではないか!!

 なんと! 大学卒業後正社員として新卒入社したIT関連企業を退職したい、と言い始めた。
 親の目には娘の仕事は至って順風満帆そうに映っていて、 内心(これは定年まで勤めあげそうだなあ)と喜んでいたのだが。

 そう言えば、3年程前にも一度「退職」を語ったことがあったが、その時は職場の上司に説得されて、退職を思い留まるに至った。

 ところが、今回の娘の退職話はどうも本気度が高そうだ。 娘曰く、「既に他社のネット面談も受けてみた」。😲 
 ただし、娘の場合は現在の職場の契約が1年毎の更新制となっているため、この3月までは勤め上げねばならないとの状況だった。

 
 その3月がやって来て、昨日の31日に娘は8年間正社員として真面目に立派に勤め上げた企業を退社した。
 昨夜 母親の私が早速「長年の勤務ご苦労様でした。とりあえず早めに近くの職安へ行って失業保険取得手続きをしてくるように。」との趣旨のメールを送ると。
 真夜中に娘よりその返信メールが届いたのだが。

 その内容に、ビックリ仰天させられた!!
 な、何と!! 既に次なる就業先が決定している、と書いてあるではないか!?!😱 

 その娘の素早さと、自分自身のIT技術者としての活躍志望の強さに、母親の私は恐れ入ってしまった。

 そんなこんなで。
 我が娘は勤務先こそ新たになるが、今後共“IT技術者”として生きていく覚悟と熱意が十分にある事実を思い知らされた母親の私だ。


 冒頭の書評内にある、「やりがい搾取」「感情労働」等々とは一切無縁に。

 自身が主体的に選択した職業である“IT技術者”として、今後も精進して生きていくであろう我が娘(参考ですが、今年30歳になります)に。
 大いなる安堵と「労働の喜び」感覚をこの年齢になって再び感じさせてもらえた、本日の我が家の嬉しい大騒動だった。😃 


昨夜見た “高校教諭時代の鞄を無くし探し疲れた悪夢”

2023年03月25日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、表題の夢の中に出て来た鞄ではなく、50代頃に愛用していた別のルイヴィトン社製の鞄。) 



 昨夜、私はかなり疲れていたのだろうか???


 表題の“摩訶不思議な夢”を見た。

 そもそも夢の中に出て来た鞄とは、我が30代後半期の高校教諭時代に愛用していたものだ。
 今でもよく覚えているのだが、茶色の皮革の風合いが活きたデザインのお気に入りのビジネスバッグ(と言うのか、冒頭写真同様の四角形で教材等が入れやすい形の鞄)なのだが。


 話題を変えよう。
 
 私が高校教諭に新規採用されたのは、30歳代半ばの頃だった。(それまでは医学分野の業務に励んでいて、またその後高齢出産の娘が5歳になった時点で再び医学分野に舞い戻ったとの経歴があるが。)
 その時、同じ春に人事異動にて勤務校に転勤してきた同い年の男性教諭とすぐに仲良しになったのだが。 
 その男性教諭が通勤鞄に凝る趣味がある人物で、その影響を大きく受けた。

 教員とは一般の職種と少し異なり、勤務時に教科書や参考書、講義ノートや生徒の試験用紙等々の書類の持ち運びが常だった。
 それに適した鞄を上記男性教諭がいつも持参していたのを見て、私もあの種の鞄が欲しいとすぐに考えた。
 その後は、今まで使用していた通勤バッグは一切持たず、教員らしいバックにこだわり続けた。


 その数は数個に達しただろうか?

 それらの中で、昨夜の夢に登場したのは私が一番愛用した茶色のバッグだった。
 ある日、登校しようとするとその茶色バッグが“無い!!
 部屋中探しても、どうしても無い!!
 場面が突然電車の中に変ったり、旅行先になったりするのだが、とにかくどうしても茶バックが無い!

 夢の中を彷徨いつつ私は必至で探すのだが、やっぱり無い。
 これは道中落としたか、盗まれたか、とにかく無い…

 もう諦めかけた時に、一旦目覚めてトイレへ行った。
 その後ベッドに戻って再び寝ると、その夢がぶり返すではないか!!

 夢と薄々分かりつつも嫌気がさしつつ、私は今一度目覚めた。

 一旦起きて、部屋中を捜してみた。
 寝とぼけているせいで、内心(やっぱり無いなあ…)と思いつつ再び寝て朝目覚め、やっと夢だったことに気付いた。


 すっかり覚醒状態に戻った私は、今一度部屋中を捜しつつ思った。
 そう言えば、教員時代の愛用バッグは数個存在したはずだが、そんなもの既に処分しているに決まっていた。


 そして、見つけたのが冒頭写真のルイヴィトン社製のバッグだ。
 これは50代に購入したバッグ故に未だ健在だったが。 それでも使用せずに放置しておくと痛みが出てるなあ、と思いつつ。

 今となっては、この手のビジネスバッグには縁が無い生活(職業人をリタイアしている自身の現状)を思い知らされた との、ちょっと寂しい結末だ…