原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昨夜見た “高校教諭時代の鞄を無くし探し疲れた悪夢”

2023年03月25日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、表題の夢の中に出て来た鞄ではなく、50代頃に愛用していた別のルイヴィトン社製の鞄。) 



 昨夜、私はかなり疲れていたのだろうか???


 表題の“摩訶不思議な夢”を見た。

 そもそも夢の中に出て来た鞄とは、我が30代後半期の高校教諭時代に愛用していたものだ。
 今でもよく覚えているのだが、茶色の皮革の風合いが活きたデザインのお気に入りのビジネスバッグ(と言うのか、冒頭写真同様の四角形で教材等が入れやすい形の鞄)なのだが。


 話題を変えよう。
 
 私が高校教諭に新規採用されたのは、30歳代半ばの頃だった。(それまでは医学分野の業務に励んでいて、またその後高齢出産の娘が5歳になった時点で再び医学分野に舞い戻ったとの経歴があるが。)
 その時、同じ春に人事異動にて勤務校に転勤してきた同い年の男性教諭とすぐに仲良しになったのだが。 
 その男性教諭が通勤鞄に凝る趣味がある人物で、その影響を大きく受けた。

 教員とは一般の職種と少し異なり、勤務時に教科書や参考書、講義ノートや生徒の試験用紙等々の書類の持ち運びが常だった。
 それに適した鞄を上記男性教諭がいつも持参していたのを見て、私もあの種の鞄が欲しいとすぐに考えた。
 その後は、今まで使用していた通勤バッグは一切持たず、教員らしいバックにこだわり続けた。


 その数は数個に達しただろうか?

 それらの中で、昨夜の夢に登場したのは私が一番愛用した茶色のバッグだった。
 ある日、登校しようとするとその茶色バッグが“無い!!
 部屋中探しても、どうしても無い!!
 場面が突然電車の中に変ったり、旅行先になったりするのだが、とにかくどうしても茶バックが無い!

 夢の中を彷徨いつつ私は必至で探すのだが、やっぱり無い。
 これは道中落としたか、盗まれたか、とにかく無い…

 もう諦めかけた時に、一旦目覚めてトイレへ行った。
 その後ベッドに戻って再び寝ると、その夢がぶり返すではないか!!

 夢と薄々分かりつつも嫌気がさしつつ、私は今一度目覚めた。

 一旦起きて、部屋中を捜してみた。
 寝とぼけているせいで、内心(やっぱり無いなあ…)と思いつつ再び寝て朝目覚め、やっと夢だったことに気付いた。


 すっかり覚醒状態に戻った私は、今一度部屋中を捜しつつ思った。
 そう言えば、教員時代の愛用バッグは数個存在したはずだが、そんなもの既に処分しているに決まっていた。


 そして、見つけたのが冒頭写真のルイヴィトン社製のバッグだ。
 これは50代に購入したバッグ故に未だ健在だったが。 それでも使用せずに放置しておくと痛みが出てるなあ、と思いつつ。

 今となっては、この手のビジネスバッグには縁が無い生活(職業人をリタイアしている自身の現状)を思い知らされた との、ちょっと寂しい結末だ… 
 

二刀流、三刀流で行こう!!

2023年03月10日 | 仕事・就職
 原左都子の長年の愛読新聞である「朝日新聞」のコラム “リレーおぴにおん”の最近のテーマは「二刀流で行こう」のようだ。


 このコラムの存在を本日初めて知ったのだが。

 「原左都子エッセイ集」長年のファンの皆さんは、おそらく私が現役時代の職業として“二刀流”、いや“”三刀流”だったことを十分にご存じであろう。

 
 その我が職業経歴を少し振り返らせていただくと。

 まずは国立大学医学部卒業後上京し、民間企業にて「免疫学」関連の業務に従事した。

 順風満帆に医学業務をこなし30歳を過ぎた頃に、自らの希望で再び学業に励む道程を歩む決断をして。 医学分野の職業から一旦離れた。
 
 その後、二度目の大学生となると同時に。
 食い扶持稼ぎのために、アルバイトとして夜は「ラウンジコンパニオン」に励み。 大学の長き休暇中には、医学分野の派遣社員として活躍した。

 2度目の大学にて「教職免許」を取得した縁で、大学院進学と同時に夜間は高校教諭として日々勤務を頑張った。
 大学院修了と同時に、昼間私立高校にても教鞭をとり。 娘の高齢出産直前期に、高校教諭を出産退職して。
 娘5歳時に再び医学業務に舞い戻って、基礎医学研究の一端を担った。
  


 ざっと我が職業経歴を簡単に列挙したが。
 要するに私の場合、これらの職歴のみでも、「医学」「教育」「コンパニオン」と“三刀流”にて食い扶持を繋いだこととなる。



 さて、話題を朝日新聞“リレーおぴにおん” 「二刀流で行こう」に戻して、評論家・スージー鈴木氏による 「サラリーマンは2枚目の名刺を」と題する記事の一部を以下に引用しよう。

 サラリーマンは2枚目の名刺を持とう。 私の持論です。 (中略)
 変化の激しい時代、会社の先行きは読めず、早期退職制度も広がっている。 一生会社にしがみつくのではなく、自分の「腕っ節」一本で生きる準備を初めておくべき。 「2枚目」の肩書はスイーツ愛好家のような趣味の世界でもいい。 大事なのは、会社以外に打ち込めるものを見つけること。(途中大幅略)
 二刀流で大事なのは、会社から後ろ指をさされないこと。 (中略)
 (鈴木氏の)業界は、過労死問題が起きるなどして働き方改革が叫ばれるようになった。 部下に言ったのは、会社の仕事が人生の全てではないということ。 歯を食いしばってでも自分の時間をつくれ。 会社は最後の最後まで、あなたを守ってくれません。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見を書かせて頂こう。

 ははあ、評論家 スージー鈴木氏がおっしゃるところの「二刀流」とは、あくまでも「“会社”勤務人」との範囲内でものを言っていらっしゃるとのことのようだ。

 最後の記述で気になるのは、「会社に後ろ指をさされないことが二刀流で大事」と記されていることだ。

 
 元々専門分野での業務就業を目指していた原左都子にして、所属する会社はじめ企業など二の次だったものだ。
 ただただ自身が磨いてきた“専門力”を売り物にして世を渡ってきた身にすると、この辺の(“会社に後ろ指をさされないことが大事”なる)記述には違和感を抱かざるを得ない。

 この私も もしかしたら自分が所属した会社から「後ろ指」を指されたのやもしれないが、そんな事二の次以下のどうでもよい話だ。
 自分が選択して進まんとする次なる道程にこそ、我が夢の実現を描きつつ邁進して来た身としては。


 二刀流、いや、三刀流の我が人生もまんざらでは無いどころか。

 得るものが多大だったと、嬉しく振り返ろう!! 😃 


この期に及んで日本の男女格差が先進国最下位との事実に驚愕…

2023年03月05日 | 仕事・就職
 冒頭から、2023.03.03付朝日新聞記事「日本の男女格差 先進国最下位 世銀報告104位 労働分野で後れ」の一部を、以下に要約引用しよう。


 世界銀行は2日、190か国・地域の男女格差の現状を法整備の進み具合から評価した報告書を発表した。 日本は104位で、先進国で最下位だった。 職場でのセクハラを罰する法律がないなど、特に労働分野で後れをとっている。
 報告書は2022年10月時点で労働や結婚、財産など8分野の法制度を分析。 男性が得られる権利を100とした場合に、女性がどの程度の法的な保護を得ているか、国・地域ごとに指数化した。
 日本は「移動の自由」「育児」「資産」の4分野で法制度上の男女格差は無かった。 一方で、「結婚」では女性は男性の80%、「起業」は75%、「雇用」は25%の恩恵しか受けていなかった。
 さらに、経済協力開発機構(OECD)加盟の34の高所得国のうち、職場でのセクハラに関する法律がないのは日本だけだった。 大半の国には、刑事罰や救済制度があるとした。 8分野の評価をもとに計算された日本の男女格差のスコアは78.8。 OECD高所得国平均は95,3で、80を割ったのは日本だけだった。
 途上国も含めた世界全体の平均スコアは77.1で、前年からの伸びは20年ぶりの低水準に落ち込んだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)



 原左都子の感想に入ろう。

 少し前に当該goo上で、A氏が日本の女性の婚活の様子を取り上げた内容の記事を掲載されているのを発見し、読ませて頂いたのだが。
 驚いたことに戦後間もない頃ならばともかく、これ程までに“男女平等思想”が発展した(と私は捉えているのだが)時代背景下で。
 どうやら婚活希望の女性陣が相手男性に対して、例えば「収入」「学歴」等々で“高望み”ばかりしているとの現実らしい。😫 
 そして、婚活パーティに参加しているのはそれら“高望み女性”が大多数で、男性の参加者が極度に少なく婚活パーティとして全く成立しないそうだ。

 この状況を読ませていただいて、私が晩婚時に参加した“婚活パーティ”の様子を思い起した。
 参加者は圧倒的に男性が多く、逆にカップリングが成り立たないと言うのか。 (実は未だに本気で結婚の意思が無かった)この私など、楽しい一時を過ごさせていただいた記憶があるのだが。
 (参考ですが、この私はその後“お見合い”にて現在の亭主と知り合っています、悪しからず…。)



 テーマを表題に戻そう。

 そもそも何故、日本の男女格差が先進国最下位と成り下がったままなのか??
 その背景には、上記日本女性の婚活の実態がその現実を物語っているような感覚もある。 
 要するに、未だに “日本女性は特に職業的自立や婚姻に関して男性依存力が強い”のではあるまいか???

 女性の社会進出が急増しているとは言えども、その実態とは今尚“結婚” “出産”退職が後を絶たない現状なのであろう。
 かく言うこの私も教員時代に“出産退職”を実行した身だが、ラッキーにも我が子が5歳時に元々の専門であった「医学」への再就職が叶っている。


 上記記事内に、日本では未だに“職場でのセクハラを罰する法律が無い”との記述がある。
 私が職業人だった頃には、“職場でのセクハラ”を受けた経験が皆無なのだが。 この辺にも時代の移り変わりを実感させられる。
 それが真実であるならば、セクハラに対する法的発展を望みたいものでもあるが…

 ただ、それを充実させること イコール 女性の社会進出率を向上させること とは結論づけられない部分もあるような気がする私だ。


昨日、義理母の「不動産貸付業」青色申告を無事終えました。

2023年02月02日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、昨日 青色申告会場にて申告を終えた義理母の「不動産貸付業青色申告用紙の一部を個人情報保護観点より背面から撮影したもの。)


 上記写真は、申告書類(及びその準備作業書類等々)の中のごく一部だ。
 これらの他にも、各種書類(確定申告のお知らせ、源泉徴収票、後期高齢者医療保険の概要、各種領収証等々の書類が沢山存在する。)


 青色申告に限らず税務申告の段取りとは、それら各種書類のすべてを滞りなく収集し保管する作業から始まる。
 これらを1年間かけてちまちま収集・保管する能力の無い人物には、おそらく「税務申告業」は無理であろう。


 我が家では、亭主と婚姻後に義理姉が膵臓癌にて壮絶死した後は。
 義理母にとって嫁に当たるこの私が、義理母の「不動産貸付業」青色申告を担当して、既に12年程の年月が流れただろうか。
 何故実の息子である亭主がそれを引き継がないのかを説明するならば、至って簡単。 その種の根気強さと丁寧な処理能力に欠けているためだ。😵 

 しかも決定的な理由として、嫁であるこの私が「経営法学修士」を取得して「税理士試験税法3科目免除申請」を国税庁に提出している故でもある。
 要するに簡単に説明するならば、「税理士試験」を半分取得している身といえよう。 


 ただ何はともあれ、とにかく税務申告に必要な書類等の収集は年間を通して続く。
 これらの一部が欠落しても申告段階の不備となり、最終申告が不能となる。


 今年の申告に於いて一番困惑したのは、1月中に届くはずの義母の肝心要の「公的年金の源泉徴収票」が1月の終わり頃になっても届かなかった事態だ。

 これに関しては、思い当たることがあった。
 昨年夏頃から、義理母の郵便物の“転送”を中止に持ち込んだのだ。
 そして、義母宛重要郵便物に関してはそのすべてが長男宅(我が家だが)に届くべく、各所の公的機関等々へ住所変更手続きを実施したのだが。

 今年1月になって税務署への義母の住所変更届け出を忘却している事実に気付いたのは亭主ではなく、この私だ。 (義理母関連のすべての手続きを私が代行しているため、いつものことだが…)😖 

 急いで税務署へ連絡を入れて、亭主に所管の税務署へ住所変更に行かせた。
 これが青色申告までに間に合って、昨日の申告と相成った。



 昨日青色申告会場へ行くに当たり一番迷ったのは、我が左膝骨折対応としてタクシーを利用するか、電車にて行くかだった。

 結果としては思い切って、電車で出掛けた。
 大都市ターミナル駅から徒歩8分程の場所に「青色申告会場」が存在するのだが。
 一番の心配は、ターミナル駅内のエレベーターの混雑だった。 案の定、エレベーター内は(特に若者達で)混雑していたが、まあ何とか乗降できたと言えよう。


 「青色申告」の場合、大抵の担当者の皆さんはとても親切に対応して下さる。
 時折、厳しい担当者に当たることもあるが。 私の場合はそれ故に申告内容を大幅に変更させられるでもなく、毎年スムーズに申告終了に至っている。

 青色申告の場合 ¥100,000-(あるいは65万円のいずれか少ない方の金額)の特別控除を受けられるとの特典もあるため。

 個人事業を展開されていて毎年の税務申告を面倒に思われている方々も、この制度を利用されては如何でしょうか?


男(女も)が何でそんなに結婚を急ぐの??

2023年01月08日 | 仕事・就職
 冒頭から私事だが。

 私ほど 結婚を急がなかった人間はいないと思う程に、若き頃の私には結婚願望が欠落していた。

 いえいえ、この原左都子は恋愛感情は“人並み以上に?!?”旺盛で。 
 特に上京後は彼氏がいなかった期間が皆無と言える程に、恋愛三昧(騒動)をひたすら繰り返した人間だが…😜 
 
 その反面、私は基本的に学業や仕事での自己目標達成・成功願望が(おそらく他者の想像以上に)強く、その分野において自身が納得できるまで“結婚”などあり得ない! なる思想が我が心理の根底に確固と存在したものだ。



 本日午前中に、ネットにて見た情報の一部を以下に引用しよう。

 大手を飛び出し、時代先取りの33歳 「なりたい自分」なったけど
    2023年1月6日 11時00分
 3回目の転職で籍を置くコンサルティング会社に向かう=2022年12月23日

 やりたいことが見つからないまま社会人になった。
 10年のうちに、3回転職した。「安定」をなげうった先に見えてきた景色がある。
 東京都板橋区で暮らす33歳。
 京大大学院で金属材料を研究した。「社会貢献ができそう」という理由で大手の重工業メーカーに入った。
 配属されたのは火力発電所の設備を作る兵庫県内の工場。生産効率を上げるため新しい工法を検討したり、工法の変更に必要な試験を担ったりした。「社会インフラを支えている」という手応えがあった。
 ただ、何かを変えることに慎重な社風には、物足りなさも感じていた。

 入社して4、5年が経ったころ、職場でのふとした会話から「データサイエンス」という言葉を耳にした。
 これまでITとは無縁だった。でも、人工知能(AI)や機械学習、そんな未知の言葉が不思議と頭に残った。
 エクセルを使って集計していたデータを、ためしに、AIの開発に使うプログラミング言語の「パイソン」で処理してみた。新しい技術で何か新しいものを生み出したい。そんな思いで手を動かした。
 上司の反応は冷ややかだった。
 「いつものエクセルでやったほうが速いんやから、エクセルでやらんかい」
 有無を言わさぬ口調だった。
 「安定」捨てる決心 背中押した妻の言葉
 そういうことじゃないのに……。
 自分がやりたいことって、今の仕事なんだろうか?
 疑問は、いつしか頭の中を占拠するようになった。
 父親は一つの会社で勤め上げ…

 (以下略すが、以上ネット情報より一部を引用したもの。)




 原左都子の私見に入ろう。

 このネット情報を最初見た時は、単に30代独身男性の仕事上の気の迷い話かと軽く捉えていた。
 私が少し驚いたのは、この男性に「妻」が存在する事実だ。

 妻からのアドバイスは、「『安定』捨てる決意」との男性の背中を押す一言だったようだが。
 そうだとしても、現に妻がいる男性が「安定し軌道に乗っている仕事」を一旦捨てる決意を下すのは、簡単なことでは無いだろう。

 かく言うこの私も、30歳にしてまさに“軌道に乗っていた「医学」業務を自ら一旦休止している。 (私の場合は後にまた医学業務に舞い戻っているため、「捨てた」のではなく「休止」の表現が適切だろう。)
 その決断がスムーズに出来たのは、まさに私が30歳過ぎて未だバリバリの独身だったからに他ならない。 
 誰に断らねばならない立場でないことが幸いして、私は30代半ばから高校教諭の道程を歩めた歴史が燦然と存在する。
 その教師時代の最終時期に、見合いにて現在の亭主と知り合え成婚に至り、すぐさま一人娘に恵まれたものだ。
 またまたその後、一人娘が5歳になった頃にラッキーにも医学業務の仕事との巡り合いがあり、医学世界に舞い戻ったものだ。



 ネット情報内の男性に関して、気になるのは。

 妻の存在のみならず、ご本人が今回の転職に関して、
 「自分がやりたいことって、今の仕事なんだろうか? 疑問はいつしか頭の中を占拠するようになった。」なる疑問符が巡っている点だ。
 しかも、「父親は一つの会社で勤め上げ…」などと、こんなところで自身の父と比較し始めている始末…

 この男性は未だ33歳との若き年代にもかかわらず、自身が選んだはずの転職に関して頭をもたげ、(私に言わせてもらうならば)自身の父親と比較し始めるとの信じ難い行動に走ってしまっている。

 原左都子が思うに。
 もしもこの男性がバリバリの独身であったならば、もっと自由な発想で転職なり何なりへのチャレンジが叶ったのではあるまいか?


 結婚も出産もまったく急がず、あくまでも自分自身の学業や仕事の達成感や成功を最優先して生きて来て、それが大正解だったと自負する原左都子としては。
 そんな風に思ってしまうのだが…


 (途中、大文字部分がありますが、単に編集画面上のシステムエラーであり、原左都子としては何らの意図もありません。)