原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

リスニングは全員に必要か?

2008年01月31日 | 教育・学校
 受験関連の記事が続くが、今回は大学入試センター試験のリスニングテストを取り上げよう。


 大学入試センター試験に英語のリスニングテストが採用されて本年で3年目になる。皆さんも既にご存知の通り、3年連続のトラブル続出である。 このトラブルひいてはリスニングテスト自体、どうにかならないものかと私なりに考えをめぐらせていた。

 そんな矢先、1月23日の朝日新聞「声」欄で「リスニングは全員に必要か」と題する元英語教師の男性からの投書を発見した。(今回の本記事の表題はここから引用させていただきました。) この投書者のオピニオンがリスニングテストに対する私論と完全に一致するのだ。あまりの一致に感激したため、今回の記事で取り上げさせていただくことにする。

 まずは、声欄の投書を以下に要約する。
 高校の元英語教師として、最初からリスニングテストの実施に疑問を抱いている。多大な費用と労力がかかる全受験者対象のこのテストが果たして必要か?英語の筆記試験であるレベル以上の成績がとれる生徒ならば、大学に入学してから一定期間訓練すればリスニングとスピーキングは上達できるはず。 多大な費用がかかるリスニングテストであるが、その効果とのバランスは適切か?税金の無駄遣いの側面の方が大きいと思えてならない。 このテストを廃止したからといって高校での音声教育が軽視されることもなかろう。リスニングテストは外国語の学科を志望する受験生を対象に、必要に応じて2次試験で実施するぐらいで十分だと思う。
 以上が、朝日新聞「声」欄の投書の要約である。

 私事を語ると、私の世代は中高大学の学校教育においてリスニングを含めて音声教育は一切受けていない。(ただし、専攻が英語とは直接かかわりのない分野であったためであるかもしれない。)30歳代で再入学した大学においては英語LLの講義はあった。ただ、決して十分なリスニング力を習得できる内容であったとは言えない。
 という風に、英語の音声教育をほとんど受けてきていない私であるが、一時、英会話がある程度出来る時期があった。それは、米国人男性と遠距離恋愛をしていた時期である。(とんだプライバシーの暴露であるが、この話を書かないと今回の私論の説得力がないのだ。)姉が米国西海岸に在住している関係で独身時代にちょくちょく渡米していたのであるが、その時に知り合った姉の知人の米国人男性と遠距離恋愛をするいきさつとなったのだ。夜な夜な国際電話(電話は相手の表情が見えず、ジェスチャーもできないため会話が至って困難。)を掛け合うのであるが、このお陰で私は英語でけんかができる程の英会話力を習得した。次に渡米した時にはそのお相手も姉も誰もが驚くほどの英会話力を私は自然と身につけていた。“英会話マスターの最短距離はネイティブの恋人を持つことである”とは昔からよく言われているが、まさにそれを地で行った訳である。
 あれから年月が流れ今やネイティブと話す機会など皆無であり、おそらく私は現在は英語をほとんどじゃべれないと思う。

 話を戻して何が言いたいのかというと、何もセンター試験で受験者全員にリスニングテストを課さずとも、人間は必要性に迫られてネイティブとかかわる機会さえあれば、一般会話レベルであれば英語音声能力はマスター可能である、ということである。(当然ながら専門英語分野については話はまったく別であるが。) ただしその前提条件として、「声」欄の投書者も書かれているように英語の筆記試験であるレベル以上の成績がとれる、すなわちある程度の読み書き能力は必須であるという点については私も同感であるが。
 また投書者が述べられているように、「税金の無駄遣い」の側面も大きい。このリスニングテストでほくほく喜んでいるのはICプレーヤー納入業者のみなのではなかろうか。

 という訳で、センター試験受験者全員にリスニングテストを課す必要性については私も疑問視する。もちろん、英語専門分野の進路を志す受験者には当然ながら必須である。実施方法としては投書者が書かれているように2次試験で大学、学部個別に実施という形で十分かと私も考える。

 この私論は、決して中高での英語音声教育を否定するものではない。センター試験でのリスニングテストを廃止したからと言って、今の時代の趨勢で中高での英語音声教育が極端に軽視されるということはないであろうことは、投書者のおっしゃるとおりである。 
 
Comments (12)