原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

料理嫌いな母が作る弁当の味は…

2010年02月06日 | 人間関係
 少し前の新聞の投書欄に、子を持つ母としては“ホロリ”とさせられる心温まる投書があった。

 早速、18歳男子高校生による「いつも絶品 母ちゃんの弁当」と題する朝日新聞1月24日「声」欄の投書を、以下に要約して紹介しよう。

 部活でラグビーをしている私の一番の支えは母である。 私の母は公務員で毎日朝から夕方まで、遅い日は夜9時過ぎまで働く日もある。いつも疑問に思うのは、そんなに働きながら帰宅した私に疲れた表情を見せないことだ。 そんな母を見て、私は一人の人間としてすごく自分に強いんだと感じている。 母は毎朝5時頃起きて弁当を作ってくれる。母の手料理は世界一と言っていいほど美味しい。それなのに、私は学校で弁当を食べる時に「今日のおかずは最悪やわ」「食べる気がなくなる」などと周囲の友達に対して強がって言いふらしていた。だが本当はそんなことは一度も思っていない。 この場を借りて母に謝りたい。「ごめんなさい。母ちゃんの弁当はいつも絶品で美味しいよ」と…。

 (これを読んだ投書男子高校生のお母上は、我が息子がこれ程までに素直に立派に成長していることを感慨深く思いつつ涙していることと、原左都子は思うよ。)

 それに引き換え、こと料理の分野に関しては子どもを産んだ後も“料理嫌い”を貫き通している出来の悪い母である私など、こんな感動的な投書を目にさせられてしまっては、穴があったら入って身を隠さなければならないような罪悪感に苛まれるというものだ。


 私事に入るが、我が娘が進学した私立中学は「給食」があるというのがその特徴の一つであった。それが理由で志望校として選んだという訳では決してない(?)のだが、第二志望校だったその学校に我が娘の入学が決まった時には、「これは命拾いだ! 3年間“弁当作り”が免除されるとは私って何てラッキー!!♪」 とうれしくて一人で飛び跳ねて喜んだものである。

 ところが3年間の年月などあっと言う間に過ぎ去るもの…   娘が高校に内部進学した暁には、この料理嫌いを押し通している母である私にも、“弁当作り”の過酷な日々が待ち構えていたのだ。
 ここでその詳細を説明すると、娘の高校にも校内カフェテリアもあり昼食の販売もあって生徒に昼飯を提供する体制は十分に整っている。 もちろん弁当持参(学校としては教育的意味あいもあってこれを奨励しているようだが)も自由な中、我が娘が“よりにもよって”私の手作りの弁当持参を選択したのである! (何を好き好んで… もう一回よ~く考え直そうよ…) と言いたいところであるが、可愛い娘に「お母さんのお弁当がいい」と言ってもらえたものならば、“ない腕”を振るうしかないのが親心というものだ。 

 そういう訳で、私は昨年4月から毎朝娘の弁当作りがノルマとして課せられている日々である。
 料理嫌いな手抜き母ではあるが、娘の食べ物の好みは当然ながら把握している。 栄養バランスを第一義に娘の好みも勘案しつつ、昨夜と朝飯のおかずの残りを入れたり冷凍食品等も大いに利用する中、一番力を注いでいるのが、色彩感覚の鋭い娘が弁当を開いた時に目にする色合いの美しさである。
 
 それでも私には決して娘に聞けない一言がある。 「今日のお弁当、美味しかった??」などとは、どうしても確認できない程の“料理劣等生”の私である。
 ただ、娘が食べた後の弁当箱を確認することで、その答をもらえていると解釈する日々である。 高校生と言う年代になっている今、身体の成長が著しく食欲が増大しているという要因も大きいとは考察するが、母手作りの弁当を我が娘はほぼ毎日“完食”! なのだ。 (ちなみに学校の給食はいつも食べきれずに残していた娘である。)
 これは親としては実にうれしいことである。このうれしさが次への原動力となり、この料理嫌いの私ですら、毎朝娘の弁当を作り続けられるという相乗効果をもたらしてくれるのだ。

 
 ここで私自身の過去を辿ると、上記朝日新聞投書欄の高校生と偶然まったく同様で、我が母も公務員の仕事を定年まで全うし続けた女性であった。 その我が母も多忙な仕事の中私のために弁当を作り続けてはくれたものの、いつも「弁当作りは大変だ!」と子どもの前で日々ボヤき続ける“愚かさ”を露呈していたものである。  母が既に年老いた今となってはもういい加減それを許そうとは思うものの、そういう我が母の“愚かさ”こそが私の現在の“料理嫌い”を紡いで来たものと私は考察するのである。 
 それ故に我が娘に対しては表面的な部分において我が“料理嫌い”を演技力でカバーしつつ、決して我が母の過ちのあの“醜態”を子どもの前で晒すことだけは繰り返したくないと、心に決めている私でもある。


 それにしても母子の関係というのは人間関係の中で最高に崇高な関係なのであろう。
 それが証拠にその反面においては、たかが子どもの「弁当作り」一つで全人格が判断されてしまうごとく、過酷な人間関係であるのかもしれない…。 
Comments (8)