原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

お金と時間を天秤にかけりゃ…

2010年02月18日 | お金
 昨秋からフィットネスジムに通っている私であるが、平日昼間にジムに通っているメンバー層は主婦や高齢者が多数であるように見受けられる。

 今時のフィットネスジムの料金システムは曜日時間帯に応じた月極定額制であるため、ジムを頻繁に利用する程、利用者にとっては高いコストパフォーマンスが得られるという単純計算となる。

 主婦と思しき高齢者のご婦人達がロッカールームやエクササイズフロアーで井戸端会議に勤しむ風景によく出くわすのだが、さすが主婦らしくこの“コストパフォーマンス”には大いに敏感な様子である。
 昨日もロッカールームで大声でくっちゃべっている60歳代位のご婦人連中に出くわしたのだが、その会話によると、皆さん特段の用件でもない限りほぼ毎日ジムに通ってデイタイムの長時間を過ごしているとのことなのだ。
 「せっかく月会費を払ってるんだから、ここで長時間過ごさないと損だわね」
 「そうよ。エクササイズだけじゃなくて、サウナもジャグジーもお風呂もマッサージもフルに利用しなくちゃ損よ」
 「家にいると光熱費やトイレットペーパー代もかかるけど、ここに来るとそれも全部浮くし絶対お得よね」
 「○○さんは昨日来てなかったけどどうしたの?」
 「急に亭主の親が具合が悪くなって来れなかったのよ。 1日分損しちゃったわ」
 「それにしても、ジムに来てない人達って毎日何して暮らしてるのかしら? ここに来ると運動になって健康にもいいし、お得なのにね~」
 いやはや、高齢者ご婦人層の損得勘定には降参申し上げたい思いの原左都子である。


 昨秋以降、半年程の期間に渡って週2日一回1時間半程度のペースでジムに通いながらメンバーの行動をそれとなく観察していると、上記の高齢者主婦層のみならず若い世代の主婦らしき女性達や高齢者男性層も同様の行動をしていることに気付かされるのだ。
 若手と思しき主婦層は上記の高齢者主婦のように“群れる”習性はほとんどなく単独行動が多い様子なれど、やはり時間一杯最大限にジムを利用している様子が伺われる。 若い世代の方々は体力面で私などより数段勝っておられる故とも推測するが、そのジムの“利用力”を垣間見ているとやはり“コストパフォーマンス”観点に基づいている部分もあるのか?とも考察できるのだ。
 片や、定年退職後と思しき高齢男性達も、ここ半年の間に出くわすメンバーは皆さん見慣れた方々ばかりである。 これに関しては、“コストパフォーマンス”の観点と言うよりも、もしかしたら奥方に配慮して外で過ごす時間をジムで確保しているのやもしれない。

 上記のごとく平日昼間のフィットネスジムのマーケティングターゲットはまさに主婦や定年退職後の老夫婦等であり、それらの層の経済志向や生活パターン等の時代の趨勢に適合しつつ事業を展開し業績を維持している事業団体の一つであろう。
 まあそういう経営側の経営戦略は二の次として、利用者側としては自分なりのスタンスでジムを利用できればそれで十分という結論に達するのではあろうが…

 話を戻して、冒頭の60歳代主婦連中と思しきご婦人たちの会話はある意味で興味深いとも言える。 お金と時間とのバランス感覚が単純明快で損得勘定も至って表面のみをかすっているところが、失礼ながら端で聞いていてとりあえず笑えてしまう。 その背景とは、お金と時間を客観的相対的に天秤に掛けて物事を考慮するがごとくの実りある人生経験に乏しい故ではないかと、弱輩者として失礼は承知の上で推測申し上げるのだ。 ご自身達が本心でそれで満足ならばそれに越したことはないのだが、話が「ジムに来てない人」にまで及び、自らの単純な想像で自他を比較評価して自己を優位に位置づけようとしているあたりの思考が何とも貧弱で、端で聞いていて寂しい限りである。
 (気持ちはわからなくはないけど、せめてもう少し小さい声で井戸端会議してくれたなら原左都子の耳に入らず、このようにブログで公開されずに済んだのに…。)


 さてさてそれでは本記事の最後に、原左都子にとっての“お金と時間とのバランス感覚”に基づいた私見を述べさせていただくことにしよう。
 この高齢者主婦達同様に普段より高いコストパフォーマンス感覚を持ち合わせている私ではあるが、昼間の時間帯を毎日長時間ジムで過ごせと言われたら、その拘束感と不自由さに“拷問”に近い感覚を持つのみの思いである。 おそらく、この主婦達はジムに入会して日が浅いのであろう。 そういう単純生活には必ずや“飽き”が訪れるのが人間の習性というものだ。 特にこの主婦達のごとく、ジムにおける本来の目的である健康維持や体力増進等が二の次と化し、低レベルのコストパフォーマンス観点や、同趣旨の仲間との井戸端会議が代替目標として成り立っているような場合、その時間空間を仲間と共有できる期間の程の先がしれているというものであろう。 

 お金と時間を天秤にかけるという本記事のテーマに戻るとすれば、この不況の世にあって尚、両者のせめぎ合いの中にも自らの生きがいや達成感を最優先に見出せるがごとくの価値観を最大限維持しつつ、今後我が身にもいずれ訪れる老後を引き続き有意義に生き延びたい思いである。 
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