原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

職業選択と「成功観」とは相関するべきか?

2010年08月18日 | 自己実現
 少し古い新聞記事になるが、朝日新聞7月31日朝刊別刷「be」の“RANKING”のテーマは「生まれ変わったら就きたい職業」だった。

 それよりさらに古い記事になるが、朝日新聞7月17日朝刊別刷「be」の“悩みのるつぼ”の相談は40代主婦による「人生の成功が遠のいています」であった。

 今回の「原左都子エッセイ集」においては朝日新聞の上記2記事を参照しつつ、ややもすると人生の「成功観」を職業選択を基準として測ろうとするこの世の習性の是非について論評することにしよう。


 前回の記事において、我が娘が“芸術家”を目指して拙いなりりも現在精進中であることを取り上げた。
 これをご覧になった方々の多くは恐らく次のような感想を持たれたのではあるまいか。
 「この就職難のご時勢に“芸術家”になって食っていけるはずもなかろうに、現実を見ずして夢物語を描いている馬鹿親子だなあ。」
 おっしゃる通りの世の中であることは百も千も承知の上である。 それでも尚、敢えて未だ16歳の我が子にはとりあえずは自分の夢に向かって突進して欲しいのである。 そこには親である原左都子なりの“譲れないポリシー”が存在するのだ。 そのポリシーとは、この記事の表題のごとくである。

 職業選択と「成功観」とは相関するべきなのか?

 人間には職業と直結しない「成功観」が存在していてよいはずなのだ。 個人の「成功観」を何に見出そうが、人それぞれであって当然なのである。
 そもそも“食っていけるかどうか”などという話題は極めてプライベートな分野の話である。 他人様にそこまでご心配いただくのはありがたいと思う反面、要らぬ“お節介”の範疇であるとも言える。

 それ以前の問題として、子どもの将来の夢は職業と直結せねばならぬのかという根本的課題がある。
 今や、どこの大学でも高就職率をたたき出すために学生に早い時期から「就活」に邁進させる指導をしているらしいが、これには大いに違和感を抱く原左都子である。
 本ブログのバックナンバーで主張し続けているが、大学の本来の存在命題とは「学問」を4年間に渡り学生に教授する学府であるべきなのだ。 たとえ政府からの要請があろうと、大学とは「学問」よりも学生の「就活」を優先することにより、自らの学問教授力の無さを学生の就職率の成果に置き換えるごとくの“就職斡旋機関”に成り下がっては決してならないのである。

 話が記事のテーマからはずれて申し訳ないが、何故にここでこの話題を取り上げているのかを説明させていただこう。
 本ブログの7月25日の記事に於いて、教員養成を主眼とする国立大学のオープンキャンパスを訪れた際、その大学の准教授より「娘さんは芸術家になって将来どうやって食っていくつもりなのか?」云々の指摘を受けたことに対して、今尚不可解感を抱いている原左都子であるからだ。
 その大学が如何なる学生の養成を主眼としていようが、わざわざオープンキャンパスに訪れた見知らぬ受験生親子を相手にこの准教授の指摘はやはり“お粗末”としか言いようがない。


 この辺で、冒頭の朝日新聞記事に戻ろう。
 7月31日の朝日新聞記事「生まれ変わったら就きたい職業」は“人生経験を積んだ40歳以上の読者”を対象としたアンケート結果をまとめているのだが、この結果が今時の子どもが将来なりたいと思う職業とダブっているのが、原左都子にとっては興味深いものがあった。
 そのアンケート結果の上位の一例を挙げると、「大学教授・研究者」「医師」「弁護士」「パイロット」……
 結局、親がなりたくてなれなかった職業を我が子に託す親の思いが実証されたがごとくのアンケート結果である。
 う~~ん。  このアンケート結果が原左都子にとって大いに辛いのは、自らが憧れるこの種の職業にたどり着くまでの「厳しさ」や「道程の長さ」をまったく心得ず、熟年層になって未だにその職業を羨望している背景がアンケート結果から想像できる点である。 そのくせこの世代とは、自分自身は努力及び能力不足が理由で成し遂げられなかった夢を我が子に託すことに関しては至って無神経な様子である。 このギャップこそが我が子を苦しめる最大要因である事に、いい歳をした親が何で気付かないのであろうか??? 
 一方、これと同類のアンケートに応える次世代の子ども達の方は至って冷静であるようだ。「親には金銭的な負担をかけないよう自立したい」…  自分の力無き親の「限界」を十分に見抜きつつ、地に足がついた将来の職業選択を目指すのが現代の健気な子ども達の傾向である様子がちょっと辛いかも……


 冒頭二つ目の朝日新聞7月17日“悩みのるつぼ”の回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏の回答には、原左都子の私論と重複する部分もある。

 人生の「成功」について20年来悩み続けていると言う“悩みのるつぼ”の40代女性の相談者は、どうやら大学を中退したことが今尚人生最大の痛手となっている様子である。 この女性は若気の至りの時期の取るに足りない事象に今尚がんじがらめになっているがために、後々の人生を歪んだ価値観で歩み続け自分には「成功観」がないと嘆いている様子である。

 この相談の回答者である上野氏曰く、40代になってまだ「成功観」が抱けないあなたはこの先も「成功観」を得ることは無理かもしれない。 あなたにとっての「成功観」とは何でしょう? もしかしたらそれはずい分と分かり易いものなのかもしれませんね。 と応えつつ…
 その上で上野氏は「成功観」(イコール「幸福」)とは「自己満足」と結論付けられている。 この上野氏の結論は、当ブログ2008年のバックナンバー「自己満足の効用」において展開した私論と一致する回答であられる。

 上記朝日新聞の2記事の共通点は、共に40代以上の読者を対象として記事を構成していることであろう。

 
 40近くまで独身を貫き多方面に渡り自らの夢の実現に単身で奔放し現在も続行中である原左都子の実感として言わせていただくと、40代(50代、60代も)なんてまだまだ現役バリバリ世代であって、まかり間違っても過去の郷愁に浸る時期ではないとの感覚が大いにあるのだ。
 「自分が生まれ変わったらどうのこうの…」。 このテーマに取り組むのは80歳過ぎてからでも遅くないと言いたくもなる。
 一方40代にして既に「成功観」が遠のいていると嘆く人相手には、上野氏のごとく「自己満足」を享受するのは“さしあたって”正解であるとも言えよう。


 話を我が16歳の娘に強引に戻させていただくことにしよう。
 年端もいかない子どもを捉まえて、近い将来の職業選択こそが個々の未来の「成功観」に繋がると大の大人が伝授することだけは避けて欲しい思いである。
 これ位の年齢とは子ども自身の未来の夢を紡ぐ大事な時期なのではなかろうか?
 家庭個々の経済力等々の背景的事情があることは原左都子も重々理解できているが、年端もいかない子どもに「親に金銭的負担をかけぬよう…」と潜在的に圧力をかける保護者はじめ周囲の存在とは如何なるものだろう?
 現在の日本の経済不況の実情を捉えると家庭内でのこの種の対応は致し方ないとしても、政府や大学までもが、子どもの夢を打ち砕き大学生活の早い時期から「学問」を追究するよりも「就活」に励め!とは一体どうしたことか?? 
(民主党政権は9月の党首選に向けて軟弱化している場合ではない! 一刻も早く経済の建て直しと現役世代の雇用回復に着手して、子どもが夢を実現できる世の中にするべきであるぞ。)
 
 我が子には時代の趨勢にかかわりなく、あくまでも自分の「夢」こそを人生の「成功観」に繋げていくことを親として伝授し続けたいものである。 それこそが子どもの将来の職業を含めた明るい未来の自立につながり真の「成功観」をもたらすものと、我が身に照らしつつ信じる原左都子なのである。 
Comments (6)