「原左都子エッセイ集」においても、もうそろそろ通常版のエッセイを綴りたい思いが無きにしもあらずの側面もある。
ただ、今回の歴史的大震災により大被害を被った津波被災地及び原発被災地で今尚不自由な日常を余儀なくされている避難者の皆様へのせめてもの配慮心と自粛の意味合いで、さらに大震災に対する我が意を伝えることにしよう。
元医学関係者でもある原左都子としてやはり一番気になるのは、福島第一原発から今尚放出されている放射能の人体への影響である。
自衛隊や消防庁による懸命の放水、あるいは外部電源からの電力引き込み等々、その作業に係わらざるを得ない決死の覚悟の作業員の被爆量を慮っては心を痛める原左都子である。
ところがその甲斐があるのやら無いのやら、相変わらず福島原発の各号機は灰色の煙や白煙を放出し続ける現状である。
さらに、放水溝から放出されて海面に流れ出た放射能の現実とは、 I(ヨウ素)131に関しては通常の数千倍との報告であるが、これに関しては半減期が8日間であるため今後さほどの被害を及ぼさないことであろう。 これに対してセシウム137の半減期は約30年! これが海水中の魚介類の体内に取り込まれ、今後それを人間が食した場合の被爆は当然ながら考慮されるべきである。
昨日より降っている雨の影響か、原左都子が住む東京地方でもここ2日間は一昨日の放射線量のデータの2倍近い線量が記録されているようだ。 外は雨模様であることだし、洗濯物は室内に干して娘と共に外出を見送りつつの2日間を過ごしている。
そんな中久しぶりに溜まった朝日新聞をまとめ読みしていて、原左都子と思いを同じくする3月21日付「声」欄の投書を発見した。
東京都に住む66歳男性の 「確証なしに『安全』と言われても」 と題するその投書を以下に要約して紹介しよう。
事故を起こした福島第一原発は冷却再開へ前進しているようだが、深刻な状況には変わりない。 現場で作業する方々には頭が下がる思いだが、一方で政府をはじめとする報道機関からの報道は確証のないままの「安心せよ」との言葉ばかりが目立つ。 これまで安全神話を一緒に作ってきたであろう(議員や学者?)先生方に「心配するな」と言われても素直には聞けない。 今後の対策がうまくいかなかった時にどのような事態が想定されるのかを具体的に説明せずして(国民に)冷静に、と呼びかけるのは虚しい。 例えば炉心爆発が起きた時の影響範囲のシミュレーション結果などは、あらかじめ公表しておいてもよいのではないか。 それは今後可能性のある危機から国民を守るためには必要な処置と思う。 政府や報道機関には、次に起こり得る最悪の状況も想定した対策や情報提供を願いたい。
ごもっとものご見解であり、原左都子もまったく同感である。
さらに、元医学関係者である私の懸念を少し申し述べよう。
現在のメディアの報道とは「今現在福島原発から発生している放射線量は“さしあたり”人体に影響を及ぼす量ではありませんから、安心して冷静に対応して下さい」……
福島原発からの放射線量データの上下動にもかかわらず、日々この種のアナウンスの繰り返しである。 (当然ながら、国からの指導に従っての報道の結果であろうが…)
今現在福島原発が放出している放射線量とは、確かに今現在は“さしあたり”人体に害を及ぼす測定値ではない。
ところが、当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている通り、放射線被害とは人体への「積算量」で考察していくべきなのだ。 これに関しても、メディアのコメントは「一度に多量の放射線を浴びる事が危険性が高いのであって、少しずつ浴びた場合はさほどの影響はないため落ち着いて行動して下さい」 これを繰り返すばかりである…
それも認めるが、今回の福島第一原発事故による放射線放出量はその距離の近さによっては、現実問題として既に報道が言うところの“安全域”を超過しているのではあるまいか??
いつまでもいつまでも“安全神話”を市民に発する国や東電、そして報道機関の姿勢から、原左都子は既に将来に及ぶ「責任逃れ」の匂いを感じ取ってしまっているのだ。
と言うのも微量放射線被爆の影響とは、国民の記憶に新しい1999年に東海村でおきたJCO臨界事故で死者及び667名の被爆者を出した原子力事故の不祥事とは大きく異なる。 あの東海村事故で亡くなった2名の作業員とは、多大な被爆量を一瞬にして浴びたがために身体に大きなダメージを受けて亡くなったのだ。
あの事故と比較すると、今回の福島原発事故による周辺住民への放射能放出量は確かに微量である。 それをいいことに政府や東電は「今すぐ健康被害は出ない」と責任逃れを押し通しているとしか思えない。
確かに「今すぐ健康被害は出ない」線量ではあろうが、将来において何らかの健康被害が出る可能性もあり得ることを、少なくとも福島原発周辺地域から脱出できないでいる市民の皆さんに何らかの形で伝えるべきなのではないのだろうか?
何故に原左都子が、微量放射線被爆の人体に対する影響をこれ程に訴えたいのかについて説明しよう。
過去において医学関係の仕事に従事していた私は、RI(放射性同位元素)や医学目的の紫外線をある程度長期に渡り浴び続けることを余儀なくされていた。(その頃の時代の職場におけるRI、紫外線等危険物管理や、その種の業務従事者の健康管理は至ってお粗末だったものだ。)
医学関係の仕事から離れて10数年の後、私は皮膚癌を患ったことに関しては当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている。 癌発症のメカニズムとは今現在の医学においても解明不明なものではある。 それは承知の上ではあるが、健康体を誇る私が何故に皮膚癌など罹患せねばならなかったのかと考察した場合、自分の癌発症と我が過去における一般人が通常経験しない量の医学関係業務上の危険物質取り扱いとの間に、必ずや何らかの因果関係があったとしか考えられないのだ。
放射能の影響とは、国やメディアが日々報道している程に生易しいものではない。
歴史的大震災発生後、この期に及ぶ安全の確証なくして“安全神話”を国民に吹聴し続ける国の指導者の置かれている現状の裏側に、既に国力を失った我が国の将来に渡る国民に対する「保障力」の無さを垣間見てしまう原左都子の論理は歪んでいるだろうか??
ただ、今回の歴史的大震災により大被害を被った津波被災地及び原発被災地で今尚不自由な日常を余儀なくされている避難者の皆様へのせめてもの配慮心と自粛の意味合いで、さらに大震災に対する我が意を伝えることにしよう。
元医学関係者でもある原左都子としてやはり一番気になるのは、福島第一原発から今尚放出されている放射能の人体への影響である。
自衛隊や消防庁による懸命の放水、あるいは外部電源からの電力引き込み等々、その作業に係わらざるを得ない決死の覚悟の作業員の被爆量を慮っては心を痛める原左都子である。
ところがその甲斐があるのやら無いのやら、相変わらず福島原発の各号機は灰色の煙や白煙を放出し続ける現状である。
さらに、放水溝から放出されて海面に流れ出た放射能の現実とは、 I(ヨウ素)131に関しては通常の数千倍との報告であるが、これに関しては半減期が8日間であるため今後さほどの被害を及ぼさないことであろう。 これに対してセシウム137の半減期は約30年! これが海水中の魚介類の体内に取り込まれ、今後それを人間が食した場合の被爆は当然ながら考慮されるべきである。
昨日より降っている雨の影響か、原左都子が住む東京地方でもここ2日間は一昨日の放射線量のデータの2倍近い線量が記録されているようだ。 外は雨模様であることだし、洗濯物は室内に干して娘と共に外出を見送りつつの2日間を過ごしている。
そんな中久しぶりに溜まった朝日新聞をまとめ読みしていて、原左都子と思いを同じくする3月21日付「声」欄の投書を発見した。
東京都に住む66歳男性の 「確証なしに『安全』と言われても」 と題するその投書を以下に要約して紹介しよう。
事故を起こした福島第一原発は冷却再開へ前進しているようだが、深刻な状況には変わりない。 現場で作業する方々には頭が下がる思いだが、一方で政府をはじめとする報道機関からの報道は確証のないままの「安心せよ」との言葉ばかりが目立つ。 これまで安全神話を一緒に作ってきたであろう(議員や学者?)先生方に「心配するな」と言われても素直には聞けない。 今後の対策がうまくいかなかった時にどのような事態が想定されるのかを具体的に説明せずして(国民に)冷静に、と呼びかけるのは虚しい。 例えば炉心爆発が起きた時の影響範囲のシミュレーション結果などは、あらかじめ公表しておいてもよいのではないか。 それは今後可能性のある危機から国民を守るためには必要な処置と思う。 政府や報道機関には、次に起こり得る最悪の状況も想定した対策や情報提供を願いたい。
ごもっとものご見解であり、原左都子もまったく同感である。
さらに、元医学関係者である私の懸念を少し申し述べよう。
現在のメディアの報道とは「今現在福島原発から発生している放射線量は“さしあたり”人体に影響を及ぼす量ではありませんから、安心して冷静に対応して下さい」……
福島原発からの放射線量データの上下動にもかかわらず、日々この種のアナウンスの繰り返しである。 (当然ながら、国からの指導に従っての報道の結果であろうが…)
今現在福島原発が放出している放射線量とは、確かに今現在は“さしあたり”人体に害を及ぼす測定値ではない。
ところが、当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている通り、放射線被害とは人体への「積算量」で考察していくべきなのだ。 これに関しても、メディアのコメントは「一度に多量の放射線を浴びる事が危険性が高いのであって、少しずつ浴びた場合はさほどの影響はないため落ち着いて行動して下さい」 これを繰り返すばかりである…
それも認めるが、今回の福島第一原発事故による放射線放出量はその距離の近さによっては、現実問題として既に報道が言うところの“安全域”を超過しているのではあるまいか??
いつまでもいつまでも“安全神話”を市民に発する国や東電、そして報道機関の姿勢から、原左都子は既に将来に及ぶ「責任逃れ」の匂いを感じ取ってしまっているのだ。
と言うのも微量放射線被爆の影響とは、国民の記憶に新しい1999年に東海村でおきたJCO臨界事故で死者及び667名の被爆者を出した原子力事故の不祥事とは大きく異なる。 あの東海村事故で亡くなった2名の作業員とは、多大な被爆量を一瞬にして浴びたがために身体に大きなダメージを受けて亡くなったのだ。
あの事故と比較すると、今回の福島原発事故による周辺住民への放射能放出量は確かに微量である。 それをいいことに政府や東電は「今すぐ健康被害は出ない」と責任逃れを押し通しているとしか思えない。
確かに「今すぐ健康被害は出ない」線量ではあろうが、将来において何らかの健康被害が出る可能性もあり得ることを、少なくとも福島原発周辺地域から脱出できないでいる市民の皆さんに何らかの形で伝えるべきなのではないのだろうか?
何故に原左都子が、微量放射線被爆の人体に対する影響をこれ程に訴えたいのかについて説明しよう。
過去において医学関係の仕事に従事していた私は、RI(放射性同位元素)や医学目的の紫外線をある程度長期に渡り浴び続けることを余儀なくされていた。(その頃の時代の職場におけるRI、紫外線等危険物管理や、その種の業務従事者の健康管理は至ってお粗末だったものだ。)
医学関係の仕事から離れて10数年の後、私は皮膚癌を患ったことに関しては当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている。 癌発症のメカニズムとは今現在の医学においても解明不明なものではある。 それは承知の上ではあるが、健康体を誇る私が何故に皮膚癌など罹患せねばならなかったのかと考察した場合、自分の癌発症と我が過去における一般人が通常経験しない量の医学関係業務上の危険物質取り扱いとの間に、必ずや何らかの因果関係があったとしか考えられないのだ。
放射能の影響とは、国やメディアが日々報道している程に生易しいものではない。
歴史的大震災発生後、この期に及ぶ安全の確証なくして“安全神話”を国民に吹聴し続ける国の指導者の置かれている現状の裏側に、既に国力を失った我が国の将来に渡る国民に対する「保障力」の無さを垣間見てしまう原左都子の論理は歪んでいるだろうか??