昨日(3月4日)の報道によると、前宮崎県知事である東国原英夫氏が東京都知事選への出馬を表明する見通しのようだ。
片や、石原慎太郎都知事が4選不出馬を表明しており、その正式表明を受けた後に東国原氏は都知事立候補理由を明示するとのことである。
東国原氏は東京・築地場外市場業者や地元住民らのNPO法人「築地 食のまちづくり協議会」で講演する等の動きを見せ、「東京に何年か住んだ。東京に恩返ししたい。東京で汗を流したい」と熱弁したとのことである。 「築地市場移転問題」は都知事選争点の一つであり、「現場の意見を十分聞き、費用対効果を検討しないといけない」としつつ、広報体制を整え、ボランティアを募集するなど着々と都知事選出馬の準備に励んでいる様子である。
東国原氏と言えば、2007年に宮崎県知事選に無所属の立場で出馬に打って出たことは皆さん記憶に新しいことであろう。
何と無謀、まさかまさかと思っていたところ当選し、就任直後には鳥インフルエンザ対策に追われ、その後も作業服姿を売り物に知事として着実に実績を重ねていく中で県民からの高支持率を獲得するに至っている。
ところが、2008年には既に衆院選出馬騒動を起こし、2009年には自民党よりの衆院選出馬要請を一旦引き受ける(その後撤回)等、宮崎県民の支持を裏切るかのごとくの野心を暴露している。
そして結局は宮崎県知事を一期のみで切り上げ、本年初頭にそそくさと任期満了により退任することを選択したのである。
東国原氏に関しては、宮崎県知事選当初より“知事は一期で退任する”ことを公約としていたような記憶があるのだが、その時の公約の趣旨とは一人の人間が長期に渡って一県を自治する弊害を回避するためだったのではないのか? ところが、今回の東国原氏の知事任期満了退任は、4年前に自らが公約した一期退任の趣旨とは大きく変貌して、単に自らの“野心”が全面に出ているところが、端で見ていて辛い思いの原左都子である。
一方、神奈川県知事である松沢成文氏も同様に都知事選への出馬を表明している。
こちらは神奈川県知事2期目の現職中でありながら、それを放り投げて4月の東京都知事選への立候補の意向を固めたそうである。
この方も、知事の任期を3期までとする「多選禁止条例」を成立させた等の功績があるようだ。 ところが、同時に松沢氏は東京都知事である石原慎太郎氏と親交があり石原氏のブレーンでもあるらしい。
今回、石原氏の後継含みで都知事選へ擁立される動きがあったとの報道である。 これまた“野心”丸出しで神奈川県知事を中途で放り投げるとしか捉えられず、東国原前宮崎県知事同様に、一般市民感覚としては嘆かわしいばかりである。
その他、ワタミ創業者の渡辺美樹氏も今回都知事選に立候補するらしいのだが、この人もどうやら“石原ブレーン”であるらしい。
(結局は石原ブレーンを跡継ぎにさせたいとの石原都知事の意向のみで、次期都知事選が動いていると言うことか???)
ここで、高知県知事を4期に渡って勤めた橋本大二郎氏を取り上げることにしよう。
橋本大二郎氏はバリバリ政治家の一族に生まれながら、大学卒業後NHKに入局した。 どうせその後は国政を視野に入れているのかと思いきや、な、な、なんと1991年に日本きっての過疎地である四国高知県知事選に出馬し、2007年までの長期間に渡ってその地の知事としての人生を貫いたのである。
同じく過疎県である高知県の隣県を郷土とする原左都子としては、その過疎地で4期にも及ぶ長きに渡り知事を全うした橋本大二郎氏とは、私なりの“一部”の観点において賞賛に値するのだ。 その“一部”の観点とは、20代前半に上京して以降東京暮らしの長い原左都子は、もはや過疎県である郷里では決して暮らせない感覚があるのだ。 たとえそれが知事という立場にあろうとも、あの過疎地で日々を送ることの“けだるさ”を思うと、やり切れない思いなのである…
その後、橋本氏も高知県知事退任後衆院選に出馬するという醜態を晒しながらも、それに落選した後は、東京に於いて大学教授等に携わりながら民間人としての人生を送られているようだ。
原左都子の私論に入ろう。
何故に地方の知事をある程度こなせた知事達が、あえてその地の知事を退任してまでも激区であろう都知事選を目指すのか??
東京都知事選には、ダイヤモンドでも転がっている程の魅力があるのだろうか?
そうではなくて、原左都子同様に地方の過疎地での日々の人生に“けだるさ”が否めないのであろうか? それは東国原氏には共通項があろうが、氏は決してその種の理由で都知事選に立候補したいのではあるまい。 それは東京都の隣県であり同じく大都会の神奈川県知事である松沢氏にとってはそれ以前の問題であることは明白である。
結局は「野心」この上ない話なのであろうが、日本の首都である都知事選とは野郎どもの野心を叶える魅力がそれ程にまであるのだろうかと、やはり不思議な感覚の原左都子である。
最後に2月26日朝日新聞社説 「これからの東京の話を」 と題する記事を、以下に要約して紹介しよう。
メガポリス東京は、これからどこへ向かおうとするのか?
石原氏が知事に就いたのは、1999年。 東京はこの間、世紀をまたいでハード面の変容を遂げてきた。
地方で過疎が深刻化するが、東京には若い世帯の流入が続く。都の人口は12年で1割近く増え、1300万人を超えた。ところが“独り立ち”を続けてきた東京に陰りが見える。リーマンショック後活気が薄れ、若者は安定した職に就けず独居の高齢者も増える。高度成長期以前に備えられた都市インフラも老朽化が来る。
成熟か衰退か、岐路に立つ都市、東京。 日本全体が政治・経済の転換期にある中、「東京から日本を変える」と豪語した石原氏は舞台を降りようとしている。
改めて、東京の役割をどう位置付けようとしているのか。 東京の未来予想図を争う時だ。
まさにその通りである。
自らの“野望”にがんじがらめになっている輩に、その視野があるのかどうか??
今後東京都知事に与えられている使命は、そう甘くはない。
片や、石原慎太郎都知事が4選不出馬を表明しており、その正式表明を受けた後に東国原氏は都知事立候補理由を明示するとのことである。
東国原氏は東京・築地場外市場業者や地元住民らのNPO法人「築地 食のまちづくり協議会」で講演する等の動きを見せ、「東京に何年か住んだ。東京に恩返ししたい。東京で汗を流したい」と熱弁したとのことである。 「築地市場移転問題」は都知事選争点の一つであり、「現場の意見を十分聞き、費用対効果を検討しないといけない」としつつ、広報体制を整え、ボランティアを募集するなど着々と都知事選出馬の準備に励んでいる様子である。
東国原氏と言えば、2007年に宮崎県知事選に無所属の立場で出馬に打って出たことは皆さん記憶に新しいことであろう。
何と無謀、まさかまさかと思っていたところ当選し、就任直後には鳥インフルエンザ対策に追われ、その後も作業服姿を売り物に知事として着実に実績を重ねていく中で県民からの高支持率を獲得するに至っている。
ところが、2008年には既に衆院選出馬騒動を起こし、2009年には自民党よりの衆院選出馬要請を一旦引き受ける(その後撤回)等、宮崎県民の支持を裏切るかのごとくの野心を暴露している。
そして結局は宮崎県知事を一期のみで切り上げ、本年初頭にそそくさと任期満了により退任することを選択したのである。
東国原氏に関しては、宮崎県知事選当初より“知事は一期で退任する”ことを公約としていたような記憶があるのだが、その時の公約の趣旨とは一人の人間が長期に渡って一県を自治する弊害を回避するためだったのではないのか? ところが、今回の東国原氏の知事任期満了退任は、4年前に自らが公約した一期退任の趣旨とは大きく変貌して、単に自らの“野心”が全面に出ているところが、端で見ていて辛い思いの原左都子である。
一方、神奈川県知事である松沢成文氏も同様に都知事選への出馬を表明している。
こちらは神奈川県知事2期目の現職中でありながら、それを放り投げて4月の東京都知事選への立候補の意向を固めたそうである。
この方も、知事の任期を3期までとする「多選禁止条例」を成立させた等の功績があるようだ。 ところが、同時に松沢氏は東京都知事である石原慎太郎氏と親交があり石原氏のブレーンでもあるらしい。
今回、石原氏の後継含みで都知事選へ擁立される動きがあったとの報道である。 これまた“野心”丸出しで神奈川県知事を中途で放り投げるとしか捉えられず、東国原前宮崎県知事同様に、一般市民感覚としては嘆かわしいばかりである。
その他、ワタミ創業者の渡辺美樹氏も今回都知事選に立候補するらしいのだが、この人もどうやら“石原ブレーン”であるらしい。
(結局は石原ブレーンを跡継ぎにさせたいとの石原都知事の意向のみで、次期都知事選が動いていると言うことか???)
ここで、高知県知事を4期に渡って勤めた橋本大二郎氏を取り上げることにしよう。
橋本大二郎氏はバリバリ政治家の一族に生まれながら、大学卒業後NHKに入局した。 どうせその後は国政を視野に入れているのかと思いきや、な、な、なんと1991年に日本きっての過疎地である四国高知県知事選に出馬し、2007年までの長期間に渡ってその地の知事としての人生を貫いたのである。
同じく過疎県である高知県の隣県を郷土とする原左都子としては、その過疎地で4期にも及ぶ長きに渡り知事を全うした橋本大二郎氏とは、私なりの“一部”の観点において賞賛に値するのだ。 その“一部”の観点とは、20代前半に上京して以降東京暮らしの長い原左都子は、もはや過疎県である郷里では決して暮らせない感覚があるのだ。 たとえそれが知事という立場にあろうとも、あの過疎地で日々を送ることの“けだるさ”を思うと、やり切れない思いなのである…
その後、橋本氏も高知県知事退任後衆院選に出馬するという醜態を晒しながらも、それに落選した後は、東京に於いて大学教授等に携わりながら民間人としての人生を送られているようだ。
原左都子の私論に入ろう。
何故に地方の知事をある程度こなせた知事達が、あえてその地の知事を退任してまでも激区であろう都知事選を目指すのか??
東京都知事選には、ダイヤモンドでも転がっている程の魅力があるのだろうか?
そうではなくて、原左都子同様に地方の過疎地での日々の人生に“けだるさ”が否めないのであろうか? それは東国原氏には共通項があろうが、氏は決してその種の理由で都知事選に立候補したいのではあるまい。 それは東京都の隣県であり同じく大都会の神奈川県知事である松沢氏にとってはそれ以前の問題であることは明白である。
結局は「野心」この上ない話なのであろうが、日本の首都である都知事選とは野郎どもの野心を叶える魅力がそれ程にまであるのだろうかと、やはり不思議な感覚の原左都子である。
最後に2月26日朝日新聞社説 「これからの東京の話を」 と題する記事を、以下に要約して紹介しよう。
メガポリス東京は、これからどこへ向かおうとするのか?
石原氏が知事に就いたのは、1999年。 東京はこの間、世紀をまたいでハード面の変容を遂げてきた。
地方で過疎が深刻化するが、東京には若い世帯の流入が続く。都の人口は12年で1割近く増え、1300万人を超えた。ところが“独り立ち”を続けてきた東京に陰りが見える。リーマンショック後活気が薄れ、若者は安定した職に就けず独居の高齢者も増える。高度成長期以前に備えられた都市インフラも老朽化が来る。
成熟か衰退か、岐路に立つ都市、東京。 日本全体が政治・経済の転換期にある中、「東京から日本を変える」と豪語した石原氏は舞台を降りようとしている。
改めて、東京の役割をどう位置付けようとしているのか。 東京の未来予想図を争う時だ。
まさにその通りである。
自らの“野望”にがんじがらめになっている輩に、その視野があるのかどうか??
今後東京都知事に与えられている使命は、そう甘くはない。