原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「レベル6」汚染列島でどう生き延びようか?

2011年03月26日 | 時事論評
 「スーパーの水」をご存知だろうか?
 我が家の近くのスーパーマーケットにも、この「スーパーの水」の浄水器が設置されている。
 そのシステムとは、初期投資として水を運ぶ容器(500円前後のようだが)のみを購入すれば、その後浄水器から欲しいだけ水を無料で持ち帰れるということのようだ。

 我が家はこの「スーパーの水」を利用していない。 なぜならば、設置してある浄水機器が果たして如何なる科学的メカニズムで浄水を行っているのかに関して、多少の胡散臭さを抱いているのが第一の理由である。 加えて、水を運ぶ容器の家庭での保管の如何によれば衛生面でも問題があろうと判断しているためである。 (それに、3、4㎏の水を自宅まで持ち帰るのも重いしね…)

 昨日スーパーへ行った際、この浄水器から水を持ち帰ろうとしている小さい子どもを連れた若い夫婦に出くわした。
 ご夫婦曰く、「この水は放射性物質が含まれている危険性があるから小さい子どもには飲ませないように、との注意書きが貼ってあるよ。」 「そう言われても、水のペットボトルもただの1本の在庫もないし、子どもには一体何を飲ませればいいのだろうね?」
 要するに、「スーパーの水」とは水道水から水を引き入れて浄水するシステムであるため、放射能を除去する機能など一切ないのだ。 
 この夫婦のごとく小さい子どもさんを抱える家庭においては、まさに生命を支える最低限である安全な「水」の確保においても危機にさらされていることを実感させられる。

 我が家とて同様である。
 水道水にヨウ素131やセシウム134等が含まれていると言われたところで、我が家には水ペットボトル1本の買い置きもない。 生命体とは水を摂取することなく生き延びられるはずもないため、放射能入りの水道水を日々摂取する他に方策はない。


 この期に及んで尚、政府や報道は「ヨウ素は半減期が短いこともあり成人には影響は出ない。セシウムも一旦体内に取り込まれてもそのほとんどが排出されるため問題ない」との“安全神話”を繰り返すばかりである。

 元科学者の端くれである原左都子も、ある程度のことは把握できているつもりである。 その上で、政府の判断や報道の信憑性についてやはり疑義を抱かざるを得ないのだ。
 例えば水道水汚染状況の一部である半減期が30年のセシウム134の“安全性”に関しては、上記のごとくの“専門家”とやらの見解を報道で見聞したが、それは一体如何なる研究データに基づいての発言であるのか?  報道機関が自らの報道の信憑性を高めたいのならば、少なくともそのデータの出展元(如何なる科学誌の何年度の研究結果より引用等)を視聴者に対して明確にするべきである。 単にメディアが簡単に入手出来る国内提携大学研究室等の一研究結果から得た報道を、報道機関自らの検証もなく国民に発して「安全宣言」を施すことの罪の深さを、報道に係わる科学者たる者少しは思い知るべきではないのか??
 ここは、少しは“世界標準”も視野に入れて国民を指導する体制に入るべきであろう。


 その世界標準に話を移そう。
 昨日(3月25日)の朝日新聞朝刊報道によると、福島第一原発事故は、放出された放射能の推定量から見て国際評価尺度で大事故にあたる「レベル6」に相当することが判明している。 既に米スリーマイル島原発事故の規模を上回り、チェルノブイリ原発事故に匹敵する土壌汚染も国内で見つかっている。

 福島原発3号機タービン建屋において冷却装置の復旧に向けて作業をしていた東電協力会社の作業員が、原子炉からある程度離れている建屋において通常の1万倍の放射能が検出される中足に被爆し“β線熱傷”を患ったとのことである。 このニュースの続報によると、作業員達が3号機タービン建屋に入るにあたり、事前に室内の放射線量が測定されていなかったとのお粗末さである。
 この不祥事から推測して、どうやら今回の福島第一原発事故に対する国や東電の対応は、原左都子が30年程前に医学関係の仕事で放射能を取り扱っていた頃の放射能管理や職員の健康維持に関する“ずさん”のレベルから一切進化していないと判断できるのではあるまいか??  もしそうであるならば、国内の何処かの放射性物質取扱機関が国や東電に対して適切な指導を出来ないものかとも考慮する私なのだが…

 世界評価尺度では「レベル6」に相当すると判断されたにもかかわらず、国と報道機関はその無知さ故に、今尚国民に対して“安全宣言”を発するしか方策が取れない辛い状況なのであろう。


 「信じるものは救われる」との論理が成り立たないのが、放射能汚染の現状ではなかろうか?
 確かにとりあえずの人体的ダメージに関しては「信じるものは救われる」のが微量放射線の影響と言うものであろう。(当エッセイ集のバックナンバーでも再三訴えているが。)
 放射能には色も匂いもなければ、その被爆を微量受けたところでさしあたって痛くも痒くもないしね~。 (この放射能の特質を国や報道がいい事にして“安全神話”を国民に吹聴し続けていることに、少しは国民が気付こうではないか!)

 ところが、土壌においても、そこで育った野菜類やそれを食した乳牛等全てにおいても通常の放射線量を大幅に超過しているからこそ、さすがに政府もそれらの農産物に関しては出荷制限を強制しているのだ。
 さらに、福島原発近くの海水中では原発から流れ出た放射線量がヨウ素131に関しては通常の1250倍、セシウム134は117倍との信じられない程の高値である。 これに関しても、“そのうち海水で希釈されるから今現在は影響のない数値である”との東電の“責任逃れ”報道に及んでは呆れ果てる思いの原左都子である。 (海を隔てた海外への影響にも配慮して言葉を選べないものなのか…)


 いえいえ、既に平均寿命の半ばを大幅に過ぎている原左都子としては、今回の大震災が引き起こした原発事故が原因で何十年か後に再び癌を罹患して死に至ろうとて、私なりの“死生観”に基づきそれはそれで受け入れようとの覚悟は出来ている。

 ただ、今回の福島原発事故はやはり“人災”の観点が否めないのではなかろうか?
 それだからこそ、九州地方における原発再起動中止のみならず、タイ等海外においても今後の原発建設をしばらく延期する計画を打ち出している。

 今回の福島原発事故が国際判断において「レベル6」までの危険性の評価をやむなくされたこととは、特に先進国に生きる現代の人類が(原子力に限らず)電力に頼り過ぎた過去の科学面文化面での進化の過程における“大いなる過ち”を警告しているとも原左都子は受け取るのだ。

 日本を含めた世界は今こそこの「レベル6」原発事故をきっかけとして、人類の発展の原点にまで遡って粛々と歩み直すべきなのではなかろうか?
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