今回のエッセイテーマはいつもと180度観点を変えて、原左都子からの“悩みの相談”に読者の皆さんにお答え頂く趣旨で綴ろう。
何卒良きアドバイスをお願い申し上げます。
本日午前中に、我が郷里にて一人暮らしの実母より電話が入った。 電話の要件とは、「病院で実施した検査結果に問題はなかった」との報告である。 (なら、それで済む話なのだが…)
話を元に戻すと、1ヶ月程前に母から「心臓が苦しい気がするので近くの主治医を受診したところ『心臓バイパス検査』を他病院を紹介して実施しましょう、なる回答」との事だ。
それに応えて私曰く、「電話で貴方の元気そうな声を聞いていると、おそらく心臓異常は心理的な問題範囲内で大丈夫とは思うけど、貴方自身が心配ならば地元主治医先生の指示に従って検査をしてもいいんじゃないの? ただし心臓バイパス検査とは高齢者の体には大いなる負担がかかるから、その辺もきちんと主治医に相談してからにしてね。」
私自身が元医学関係者(地元国立大学医学部へは郷里の我が家から通っていた)である事を重々承知しているにもかかわらず、母自身は医学の心得が一切ないが故に“素っ頓狂な質問”をいつまで経っても私に浴びせかけるのが困りものだが…。
それは高齢者の特質として、我が母の悪い癖は「(医学素人である知り合いの誰それが)病院へ行った方がいいと言う」なる、専門筋にとってはどうでもよい比較をすぐさま私相手に持ち出す事であり、これに困惑させられ続けている。
そこで私も論理性を持って母の問いに応える。 「私の場合、医学経験者故に素人考えでものを言う訳にはいかない。 それでももし貴方(母)が私の意見よりも他者の意見に沿って病院にて検査を受けたいのならばそうすればよい。“信じるものは救われる”なる格言もある。 ただ高齢者故の“検査によるダメージ”も視野に入れて、検査を受けるか否かは最終的には自分で決断するべきだ。」
その後我が母は地元主治医紹介先大病院へわざわざ出向き、3日がかりで諸検査(“心臓バイパス検査”に際し体に負担が掛からないか否か等々の諸検査)を受けて来たのだと言う。
ところが(私の思惑通り)検査結果に一切の異常がなく、「心臓バイパス検査」など受ける必要性も全くなかった様子だ。
そんな事は元より承知の私にとっては、「(元々分かっていたけど)良かったじゃないの!」と応えた。
ところがこの返答が“癪に障った”らしき実母が私に訴え出た事が、今回の私からの“悩みの相談”である。
「あんただけだよ。いつもいつも私の病状に関して“元医学関係者”だからと言って『恐らく大丈夫』と言い続けるのは! 特に地元の血縁妹夫婦はすごく心配してくれて『もし手術等になったら自分らが付き添う』とまで言ってくれているのだから、娘のあんたから御礼の電話を入れて!」
私の回答だが、「ちょっと待って欲しい。今回の貴方の病状に関しては諸検査結果がOKだったならばそれで済む話だ。 貴方が実の妹夫婦(私にとっての叔母夫婦)のお世話になることに関しては自分の好きにすればいいと前から言っているし、実際にお世話になった暁にはすぐさま直後に御礼をするとも言っているよ! そもそも私は40年程以前に上京して我が郷里との付き合いが一切ない状況だ。 それでも、もし貴方がそんな叔母夫婦に対して御礼を言って欲しいと言うならば、次女の私ばかりでなく、米国に住む貴方の長女に御礼を言わせても済む話だろ!!」
ここで実母が“ぶちぎれた”のを私は聞き逃していない。
我が母が昔から実娘である我が姉の扱いに困惑していた事実を、妹の立場の私も幼少の頃より十分に把握済みだ。
どうしても母の立場で自力で扱い切れない姉に関して、昔から次女である私の力量に依存されていた記憶がある。 事実上姉の世話を幼き頃より妹の私に頼り切り、自分自身は定年まで公務員の仕事に“逃げて来た”母にとって、今更妹の立場である私から「米国の姉に御礼を言わせろ!」なる発言は予期せぬ大打撃!だったことであろう。
この件に関して、実は本日昼間に我が亭主にも相談した。
そうしたところ、(東京生まれ東京育ちの)我が亭主より予想だにしない“妙案”が提示されたのだ。
亭主曰く、「(米国の姉に礼を言わせる件は捨て置くとして、我が郷里の)母の実妹夫婦宅へ○子(私の事)一人で一度きちんと挨拶に行って来るべきだ」
確かにそれが正解かと感じた私だ。
我が故郷と言えども、その地を去って後40年近くに渡る長年の都会暮らしが長引き、郷里の「習性」や「掟」を理解不能になっている自分に気付かされる。
ここは一旦過疎地田舎に一人で旅をして、おそらく“大いなるカルチャーショック”を私側の力量で乗り越えつつ、老母の今後の対応に関して親族と今一度じっくり話し合って来るべきかとも考えた…。
それにしても検査結果に問題が無かった事を喜ぶべきなのに、何故年寄りとはこれ程までに他者(特に頼り易い人間)に対する依存心が強いのだろう??
母の言い分を聞いていると、むしろ入院でもして周囲に手を焼かせたいとの思いが見え見えで、そこまで年老いてしまった親を持つ身として悲しくなるばかりだが…
何卒良きアドバイスをお願い申し上げます。
本日午前中に、我が郷里にて一人暮らしの実母より電話が入った。 電話の要件とは、「病院で実施した検査結果に問題はなかった」との報告である。 (なら、それで済む話なのだが…)
話を元に戻すと、1ヶ月程前に母から「心臓が苦しい気がするので近くの主治医を受診したところ『心臓バイパス検査』を他病院を紹介して実施しましょう、なる回答」との事だ。
それに応えて私曰く、「電話で貴方の元気そうな声を聞いていると、おそらく心臓異常は心理的な問題範囲内で大丈夫とは思うけど、貴方自身が心配ならば地元主治医先生の指示に従って検査をしてもいいんじゃないの? ただし心臓バイパス検査とは高齢者の体には大いなる負担がかかるから、その辺もきちんと主治医に相談してからにしてね。」
私自身が元医学関係者(地元国立大学医学部へは郷里の我が家から通っていた)である事を重々承知しているにもかかわらず、母自身は医学の心得が一切ないが故に“素っ頓狂な質問”をいつまで経っても私に浴びせかけるのが困りものだが…。
それは高齢者の特質として、我が母の悪い癖は「(医学素人である知り合いの誰それが)病院へ行った方がいいと言う」なる、専門筋にとってはどうでもよい比較をすぐさま私相手に持ち出す事であり、これに困惑させられ続けている。
そこで私も論理性を持って母の問いに応える。 「私の場合、医学経験者故に素人考えでものを言う訳にはいかない。 それでももし貴方(母)が私の意見よりも他者の意見に沿って病院にて検査を受けたいのならばそうすればよい。“信じるものは救われる”なる格言もある。 ただ高齢者故の“検査によるダメージ”も視野に入れて、検査を受けるか否かは最終的には自分で決断するべきだ。」
その後我が母は地元主治医紹介先大病院へわざわざ出向き、3日がかりで諸検査(“心臓バイパス検査”に際し体に負担が掛からないか否か等々の諸検査)を受けて来たのだと言う。
ところが(私の思惑通り)検査結果に一切の異常がなく、「心臓バイパス検査」など受ける必要性も全くなかった様子だ。
そんな事は元より承知の私にとっては、「(元々分かっていたけど)良かったじゃないの!」と応えた。
ところがこの返答が“癪に障った”らしき実母が私に訴え出た事が、今回の私からの“悩みの相談”である。
「あんただけだよ。いつもいつも私の病状に関して“元医学関係者”だからと言って『恐らく大丈夫』と言い続けるのは! 特に地元の血縁妹夫婦はすごく心配してくれて『もし手術等になったら自分らが付き添う』とまで言ってくれているのだから、娘のあんたから御礼の電話を入れて!」
私の回答だが、「ちょっと待って欲しい。今回の貴方の病状に関しては諸検査結果がOKだったならばそれで済む話だ。 貴方が実の妹夫婦(私にとっての叔母夫婦)のお世話になることに関しては自分の好きにすればいいと前から言っているし、実際にお世話になった暁にはすぐさま直後に御礼をするとも言っているよ! そもそも私は40年程以前に上京して我が郷里との付き合いが一切ない状況だ。 それでも、もし貴方がそんな叔母夫婦に対して御礼を言って欲しいと言うならば、次女の私ばかりでなく、米国に住む貴方の長女に御礼を言わせても済む話だろ!!」
ここで実母が“ぶちぎれた”のを私は聞き逃していない。
我が母が昔から実娘である我が姉の扱いに困惑していた事実を、妹の立場の私も幼少の頃より十分に把握済みだ。
どうしても母の立場で自力で扱い切れない姉に関して、昔から次女である私の力量に依存されていた記憶がある。 事実上姉の世話を幼き頃より妹の私に頼り切り、自分自身は定年まで公務員の仕事に“逃げて来た”母にとって、今更妹の立場である私から「米国の姉に御礼を言わせろ!」なる発言は予期せぬ大打撃!だったことであろう。
この件に関して、実は本日昼間に我が亭主にも相談した。
そうしたところ、(東京生まれ東京育ちの)我が亭主より予想だにしない“妙案”が提示されたのだ。
亭主曰く、「(米国の姉に礼を言わせる件は捨て置くとして、我が郷里の)母の実妹夫婦宅へ○子(私の事)一人で一度きちんと挨拶に行って来るべきだ」
確かにそれが正解かと感じた私だ。
我が故郷と言えども、その地を去って後40年近くに渡る長年の都会暮らしが長引き、郷里の「習性」や「掟」を理解不能になっている自分に気付かされる。
ここは一旦過疎地田舎に一人で旅をして、おそらく“大いなるカルチャーショック”を私側の力量で乗り越えつつ、老母の今後の対応に関して親族と今一度じっくり話し合って来るべきかとも考えた…。
それにしても検査結果に問題が無かった事を喜ぶべきなのに、何故年寄りとはこれ程までに他者(特に頼り易い人間)に対する依存心が強いのだろう??
母の言い分を聞いていると、むしろ入院でもして周囲に手を焼かせたいとの思いが見え見えで、そこまで年老いてしまった親を持つ身として悲しくなるばかりだが…