(写真は、2015年正月用に我が家が予約購入した京都祇園某割烹料亭制作の和風おせち。 全55品目のうち塩分が強過ぎる品目もあったが、全体的にはまあまあの出来だった。 本文とは無関係です。)
皆様、新年明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昭和30年未年生まれ年女の原左都子は、今年還暦を迎える。
表題には「戦後70年」とのテーマを掲げたが、戦争を知らない世代である。 終戦後10年が経過し、「もはや戦後ではない」とのスローガンが掲げられた時代にこの国に生まれ出て、60年間私なりの激動の歴史を刻みつつ世を生き延びている。
冒頭から話題を変えよう。
私は元々テレビ好き人種ではないが、年末年始のテレビ番組のお粗末さには毎年辟易とさせられる。
地上波は、お笑い系やジャニーズ系にAKBグループが繰り広げる長時間バラエティや再編集ものばかり。 BSも旅番組や映画、スポーツの再放送に全面的に依存している始末だ。
放送業界も年末年始くらいは職員が休みたい故に番組制作を手抜きしたい思いは理解可能だ。 それにしても低俗番組を垂れ流しておけばアホ国民どもがうだうだと時間潰しをするだろうとのコンセプトは、安易過ぎやしないか?!?
結局いつも以上にテレビからは離れざるを得ず、ニュースと天気予報以外はスイッチを切る有様だ。
音楽好きな私としては、大晦日の「紅白歌合戦」は一部を除き視聴した。
ここでもジャニーズ系とAKBグルーブの“学芸会”が鬱陶しいのだが、そんな中、「ラフ」が今年のテーマと私は捉えた。 番組全般を通して出演者全員がバックコーラスやバックダンスを務め、皆が楽曲を楽しみ合う演出は音楽番組にして一応成功だったのではなかろうか? どうせ低俗番組であるなら、何ももったいぶって体裁を繕うより、肩肘張らずに出演者皆が年末をエンジョイすればそれで済むとも考察出来よう。
中森明菜 v.s 松田聖子対決は、私は中森明菜勝利と判定した。 大トリの力量無くして上手とは言えない歌を、最後に感涙しつつ披露した松田聖子氏の印象が薄っぺら過ぎて、それを見せられる方にこそ“気の毒感”が漂った…。 これに対し、米国のレコーディングスタジオに黒の革ジャン普段着姿で登場し、ヘッドホンとマイクで顔を隠しつつ小声で歌った明菜氏の演出には意表を突かれたが、かえってインパクトがあったと言えよう。
番組最後の総評の場で審査員の一人であるタモリ氏が、「ペンライトを客席で振ったのは初体験だったが面白かった」なる“どうでもよい”コメントを述べたのに、私は唸った。 低俗番組には低俗コメントで応えるべきであり、タモリ氏の力量を改めて評価申し上げたい思いだ。
さて、そろそろ今回のエッセイ本題に戻そう。
年末年始のテレビ番組がくだらなさ過ぎる中、昨夜9時からNHK総合テレビにて放映された 「NHKスペシャル どう生きた?戦後70年」 に私は一抹の光を見た思いだ。
この番組とて陳腐な内容である事は否めないし、普段ならもっと中身の濃いNHKスペシャルが放映されるべきであろう。 ただ昨夜のNHKスペシャルは年始番組にして、とにかくゲスト出演者の歯に衣着せぬ率直な発言に助けられたのではなかろうか。
以下に、NHKがネット上で公開している当該番組に関する紹介文面をコピーして紹介しよう。
戦後70年の節目の年を迎える2015年。 これからの日本や日本人に何が必要なのかを考えるために、戦後日本人の70年間の歩みを振り返る。
1945年8月、終戦の1週間後に生まれ、今年70歳になるタモリさん、高度経済成長期に生まれた堺雅人さんなど、各世代を代表するゲストをスタジオに招き、戦後復興から高度成長、バブル崩壊、そして現在に至るまで、NHKの豊富な映像や全国3600人に行った世論調査の結果をもとに日本人の生き様についてじっくりと語る。
【ゲスト】 タモリ、堺雅人、中園ミホ、半藤一利
私事及び私見に入ろう。
(大変失礼ながら)私は半藤一利氏なる人物が存在する事実を昨夜初めて認識させて頂いた。 そこでウィキペディア情報を頼りつつ氏に関する補足説明をしておこう。 半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。
半藤氏が1930年生まれとの事は今年85歳になられる人物だ! (今回のメインゲスト)タモリ氏よりも更に15年も人生の先輩であられる。 それにしては、忌憚無きコメントをバシバシと番組内で投げかけて来るその勢いに圧倒された私だ。
それにしても番組ゲスト出演者全員が、番組の趣旨を外さず尚且つストレートに直言出来るその勢いが素晴らしかった!
例えば(私の記憶によれば)、昭和20年終戦直後米国より“他力本願”にもらった「日本国憲法」の内容が最高に素晴らしいにもかかわらず、今に至って我が国日本はこの憲法改正論が表立ってしまっている。 何故日本国民は憲法改正を主たる政策とする政党になど、貴重な一票を入れたのか! 決して我が国は他国に戦争をし掛けてはならない事は歴然であるのに加えて、過去に侵略した近隣国にその過ちを詫び続けるべき。 とゲスト数人が同意した事を私は見逃していない。
あるいは、バブル期に日本人が歩んだ“過ち”にも言及があった。
タモリ氏の発言が具体的だった事が印象に残っている。 タモリ氏曰く、「バブル期に某金融機関から、20億円のビルを買わないか」との勧誘があった。 「その資金繰りをどうするの?」と尋ねると、「もちろん融資します。」との回答だ。 「もしもその融資資金が返済不能な暁には?」とのタモリ氏の質問に「売却すればいいじゃないですか!」と融資金融機関よりの強気の回答だったらしい。 ところがバブル経済は、瞬く間に早期にはじけるべくしてはじけた。 その後タモリ氏が、そのビルの現在価値を調査したところ、何と“3億円”にまで落ちぶれていたらしい…
ここで原左都子の私事に入り恐縮だが、我がバブル経済期は(偶然ではあるが)私は次なる学問に燃えた時期だった。 それが幸いしたと後で考察するのだ。 もしも、私が新卒入社の上場企業で医学専門社員を続けていたのならば、おそらく給料が大幅に上昇したことであろう。 それを良い事として甘んじ、つまらない人生を送ったかもしれないのだ。
今思えばバブル期などものともせず、一時の貧乏を厭わず新たな学問に挑戦してそれを成就出来た実績こそが、その後の我が人生の大きな支えとなっているとも考察可能だ。
上記NHK特集番組では、「阪神淡路大震災」「東日本大震災」にも言及があった。
両者共に、番組が提示した通り我が人生に於ける大いなるインパクトだったものだ。
どうして日本人とは、このような地球上に稀に勃発する巨大自然災害にすら、直ぐに免疫力が出来てしまうのか? それこそが今後戦争をしてもいいなる短絡的な選択を募っているのではあるまいか??
そんな日本(及び身の程知らずの日本人どもの安直な習性)が置かれている切実な現実を訴える番組であったと、昨夜放映された“戦後70年を振り返る”「NHKスペシャル」を原左都子は高く評価するのだが、如何だろうか。
皆様、新年明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昭和30年未年生まれ年女の原左都子は、今年還暦を迎える。
表題には「戦後70年」とのテーマを掲げたが、戦争を知らない世代である。 終戦後10年が経過し、「もはや戦後ではない」とのスローガンが掲げられた時代にこの国に生まれ出て、60年間私なりの激動の歴史を刻みつつ世を生き延びている。
冒頭から話題を変えよう。
私は元々テレビ好き人種ではないが、年末年始のテレビ番組のお粗末さには毎年辟易とさせられる。
地上波は、お笑い系やジャニーズ系にAKBグループが繰り広げる長時間バラエティや再編集ものばかり。 BSも旅番組や映画、スポーツの再放送に全面的に依存している始末だ。
放送業界も年末年始くらいは職員が休みたい故に番組制作を手抜きしたい思いは理解可能だ。 それにしても低俗番組を垂れ流しておけばアホ国民どもがうだうだと時間潰しをするだろうとのコンセプトは、安易過ぎやしないか?!?
結局いつも以上にテレビからは離れざるを得ず、ニュースと天気予報以外はスイッチを切る有様だ。
音楽好きな私としては、大晦日の「紅白歌合戦」は一部を除き視聴した。
ここでもジャニーズ系とAKBグルーブの“学芸会”が鬱陶しいのだが、そんな中、「ラフ」が今年のテーマと私は捉えた。 番組全般を通して出演者全員がバックコーラスやバックダンスを務め、皆が楽曲を楽しみ合う演出は音楽番組にして一応成功だったのではなかろうか? どうせ低俗番組であるなら、何ももったいぶって体裁を繕うより、肩肘張らずに出演者皆が年末をエンジョイすればそれで済むとも考察出来よう。
中森明菜 v.s 松田聖子対決は、私は中森明菜勝利と判定した。 大トリの力量無くして上手とは言えない歌を、最後に感涙しつつ披露した松田聖子氏の印象が薄っぺら過ぎて、それを見せられる方にこそ“気の毒感”が漂った…。 これに対し、米国のレコーディングスタジオに黒の革ジャン普段着姿で登場し、ヘッドホンとマイクで顔を隠しつつ小声で歌った明菜氏の演出には意表を突かれたが、かえってインパクトがあったと言えよう。
番組最後の総評の場で審査員の一人であるタモリ氏が、「ペンライトを客席で振ったのは初体験だったが面白かった」なる“どうでもよい”コメントを述べたのに、私は唸った。 低俗番組には低俗コメントで応えるべきであり、タモリ氏の力量を改めて評価申し上げたい思いだ。
さて、そろそろ今回のエッセイ本題に戻そう。
年末年始のテレビ番組がくだらなさ過ぎる中、昨夜9時からNHK総合テレビにて放映された 「NHKスペシャル どう生きた?戦後70年」 に私は一抹の光を見た思いだ。
この番組とて陳腐な内容である事は否めないし、普段ならもっと中身の濃いNHKスペシャルが放映されるべきであろう。 ただ昨夜のNHKスペシャルは年始番組にして、とにかくゲスト出演者の歯に衣着せぬ率直な発言に助けられたのではなかろうか。
以下に、NHKがネット上で公開している当該番組に関する紹介文面をコピーして紹介しよう。
戦後70年の節目の年を迎える2015年。 これからの日本や日本人に何が必要なのかを考えるために、戦後日本人の70年間の歩みを振り返る。
1945年8月、終戦の1週間後に生まれ、今年70歳になるタモリさん、高度経済成長期に生まれた堺雅人さんなど、各世代を代表するゲストをスタジオに招き、戦後復興から高度成長、バブル崩壊、そして現在に至るまで、NHKの豊富な映像や全国3600人に行った世論調査の結果をもとに日本人の生き様についてじっくりと語る。
【ゲスト】 タモリ、堺雅人、中園ミホ、半藤一利
私事及び私見に入ろう。
(大変失礼ながら)私は半藤一利氏なる人物が存在する事実を昨夜初めて認識させて頂いた。 そこでウィキペディア情報を頼りつつ氏に関する補足説明をしておこう。 半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。
半藤氏が1930年生まれとの事は今年85歳になられる人物だ! (今回のメインゲスト)タモリ氏よりも更に15年も人生の先輩であられる。 それにしては、忌憚無きコメントをバシバシと番組内で投げかけて来るその勢いに圧倒された私だ。
それにしても番組ゲスト出演者全員が、番組の趣旨を外さず尚且つストレートに直言出来るその勢いが素晴らしかった!
例えば(私の記憶によれば)、昭和20年終戦直後米国より“他力本願”にもらった「日本国憲法」の内容が最高に素晴らしいにもかかわらず、今に至って我が国日本はこの憲法改正論が表立ってしまっている。 何故日本国民は憲法改正を主たる政策とする政党になど、貴重な一票を入れたのか! 決して我が国は他国に戦争をし掛けてはならない事は歴然であるのに加えて、過去に侵略した近隣国にその過ちを詫び続けるべき。 とゲスト数人が同意した事を私は見逃していない。
あるいは、バブル期に日本人が歩んだ“過ち”にも言及があった。
タモリ氏の発言が具体的だった事が印象に残っている。 タモリ氏曰く、「バブル期に某金融機関から、20億円のビルを買わないか」との勧誘があった。 「その資金繰りをどうするの?」と尋ねると、「もちろん融資します。」との回答だ。 「もしもその融資資金が返済不能な暁には?」とのタモリ氏の質問に「売却すればいいじゃないですか!」と融資金融機関よりの強気の回答だったらしい。 ところがバブル経済は、瞬く間に早期にはじけるべくしてはじけた。 その後タモリ氏が、そのビルの現在価値を調査したところ、何と“3億円”にまで落ちぶれていたらしい…
ここで原左都子の私事に入り恐縮だが、我がバブル経済期は(偶然ではあるが)私は次なる学問に燃えた時期だった。 それが幸いしたと後で考察するのだ。 もしも、私が新卒入社の上場企業で医学専門社員を続けていたのならば、おそらく給料が大幅に上昇したことであろう。 それを良い事として甘んじ、つまらない人生を送ったかもしれないのだ。
今思えばバブル期などものともせず、一時の貧乏を厭わず新たな学問に挑戦してそれを成就出来た実績こそが、その後の我が人生の大きな支えとなっているとも考察可能だ。
上記NHK特集番組では、「阪神淡路大震災」「東日本大震災」にも言及があった。
両者共に、番組が提示した通り我が人生に於ける大いなるインパクトだったものだ。
どうして日本人とは、このような地球上に稀に勃発する巨大自然災害にすら、直ぐに免疫力が出来てしまうのか? それこそが今後戦争をしてもいいなる短絡的な選択を募っているのではあるまいか??
そんな日本(及び身の程知らずの日本人どもの安直な習性)が置かれている切実な現実を訴える番組であったと、昨夜放映された“戦後70年を振り返る”「NHKスペシャル」を原左都子は高く評価するのだが、如何だろうか。