原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年何がしたいかと今更聞かれても…

2015年01月19日 | 時事論評
 この原左都子など、婚姻して子供を産む以前の長き独身時代は「自己実現」の夢とその実行意欲に溢れていた。 そのため、誰から「何をしたい?」と問われようが、いつ何時もそれに即答出来る人生を歩んでいたものだ。

 ところが残念ながら子を持つ親の身ともなれば、まずは我が子を健全に育てる課題が最優先となり“我が夢の実現”など必然的に二の次にならざるを得ない。 
 その後の時代を生き延び親族年寄りが要介護の身ともなれば、そのケアも第二の課題として優先するべく運命と相成る。

 今年私も初詣に行ったが、何をお祈りするとて、まずは私を取り巻く周囲親族の安泰を願わねば事が進まない事ぐらい我が責任感として承知済みだ。
 
 それに加えて、“神頼み”しても叶えたい事が私にはあった。
 昨年何より困惑したのは、予期せぬ転倒による両腕同時骨折(正確に言えば左鎖骨と右手首骨折)なる我が身に降りかかった負傷大参事である…
 (我が身を頼って生きている娘と亭主、義母実母が親族内に存在している身にして)両腕が自由に動かせない事態程辛く不自由だった事は未だかつてない。 それ故、今現在も私は地下鉄に乗り降りする階段を必ず手すりにつかまり転ばぬよう慎重に対応しているし、高いハイヒールはなるべく避けて不本意ながら少し低めのヒールを履く習慣が身に付いてしまっている。)


 要するに歳を重ねる事とは自分自身の「生き甲斐」のランクまでもが低レベルに落ちぶれざるを得ない事態なのか…  と、後ろ向きに考察していたところ、「そうだよ!」と解答されたも同然の朝日新聞“RANKING”の結果に遭遇した。

 2015年1月17日付朝日新聞 別刷「be」 「今年こそ実行したいことは? 『しなくちゃ』は続かず…」 の内容の一部を要約して以下に紹介しよう。

 (ここで私見だが、どうも朝日新聞愛読者とは高齢者層が多くを占めているようだ!??)

 朝日新聞ランキングを以下に記そう。
   1位   部屋の片づけ・掃除
   2位   ダイエット
   3位   旅行
   4位   病気をしない、治す
   5位   節約
   6位   貯蓄
   7位   筋トレ、ストレッチなど運動
   8位   間食を減らす
   9位   怒らない、切れない
  10位   散歩、ウォーキング

 そう思わざるを得ない程に、上記ランキングとは全てが(既に定年退職後の)年寄り趣味範疇を超えていないよねえ…

 そこで参考のため、11位以下にランキングされている事柄の一部も公開しよう。
  「読書」 「早寝」 「早起き」 「終活」  「語学の練習」 「禁酒、酒量減」 「資格を取る」 「仕事で実績を上げる」 「植木の手入れ」 「親孝行する」 「テレビ・インターネット・スマホを見過ぎない」  「人間ドックなど」  「料理・弁当を作る」  「稽古事の開始・技能向上」 「新聞を読む」 「音楽の練習」  「美容に励む」  「ジョギング」  「家事負担」 

 確かに中には若き世代の実行目標と思しき題目もあるにはあるが…

 それにしても、この国どうしてしまったのだろう???

 上記すべてが 「今年年始にしての願掛け項目」として貧弱過ぎやしないか!?
 これらの項目とは「今年掲げる夢・目標」と言うよりも、「自己の戒め」と表現するべき内容だ。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 一昔前には我が国にも、若き世代が「大きな夢」が描ける時代があったような気もする。
 ただ、それとて虚しくも朽ち果てざるを得ない世界・国内情勢と判断するべきかとも考える。
 夢を描く以前の問題として、科学がある程度発展した現世に於いては現実を捉えるべく思想が優先されざるを得ない時代へと移り変わったとも考察出来よう。

 そうした場合老若男女にかかわらず、一番優先するべきが確かにミクロ観点の我が身息災「命乞い」とならざるを得ない国内及び世界情勢なのだろう。

 それを誰が救えるかと考察を拡大してみても誰もこの世を救えないなる結論に達するならば、人は皆、我が身に備わっているDVA由来行動として誰しも我が身(及び親族)を救う行動に出るのは生命体にとって必然性があるのかもしれない。


 そんな世のアプリオリの自然発生的必然に翻弄されつつも、私は我が身に将来必ず訪れるであろう論理創造的必然に期待しつつ、自分の本来の夢を今一度開花するべく希望を描き続けたいものだ。