原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点で支持する

2015年07月13日 | 時事論評
 本日(2015.7.13)朝方、ネットニュースにて興味深い情報を一見した。


 早速以下に要約して紹介しよう。

 文部科学省が全国86の国立大学に対し、人文社会科学系の学部と大学院について廃止や他分野への転換など大規模な組織改編を行うよう求めていることが波紋を広げている。
将来的には国立大から文系学部が消えてしまう可能性さえ指摘され、国立大側の文科省方針への反発は強い。 ただ、一部の大学は既に文科省の意向に沿う形で文系学部の定員を減らす計画を打ち出すなどの動きもあり、国立大の文系学部の行方は混とんとしている。
文科省は2015年6月初旬、国立大に対し、「社会が必要としている人材の育成や地域への貢献を進めてほしい」として、文学部や法学部などの文系学部のほか、教員養成系学部などについて徹底的に見直すよう通知した。 少子化が急速に進み、国際競争が激しくなる中、文系学部は理系学部のように「技術革新」に直結せず将来に向けた目に見える成果がすぐには期待しにくい。 さらに、国の財政難から税金を効率的に使いたいという政府側の狙いがあるとみられている。
これに対し、国立大側から反発の声が沸き起こった。 国立大学協会の里見進会長(東北大学長)は6月中旬に東京都内で開いた記者会見で、「非常に短期の成果を上げる方向に性急になりすぎていないか。 大学は今すぐ役に立たなくても、将来大きく展開できる人材をつくることも必要」と述べ、文系学部の必要性を訴えた。実際のところ大企業の経営者や官僚の多くは法学部や経済学部の出身者だし、ネット業界では文系の起業家も少なくない。
京都大の山極寿一総長も、「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。(下村博文文科相が要請した)国旗掲揚と国歌斉唱なども含め、大学の自治と学問の自由を守ることを前提に考える」(6月16日の会見)と、強く批判している。
ただし、「大学の自治」と言っても、文科省は国立大向けの交付金について、取り組みや実績で評価が高い大学に対して重点的に配分する方針を示している。交付金配分をいう「制裁」や「与奪」の権を握る文科省に、真っ向から対抗するには容易ではない。 特にブランド力に乏しい地方の大学は厳しいところだ。
実際、既に文科省の求めに応じる形で具体的な対応に乗り出すところも出始めている。 徳島大学なども2016年4月に向け、再編を始める計画を明らかにしている。 「交付金をもらえないと困るから、文系学部の定員は今後、減らさざるを得ない」と話す国立大は複数に上る。
文科省の顔色を見つつも、したたかな対応を模索する大学もある。 滋賀大は、文科省通知にある「社会的要請の高い分野」として、「ビッグデータ時代の人材養成」を目指すデータサイエンス学部の創設(2017年度予定)を打ち出しているが、これは「未来志向と文理融合」という理念に沿って、大半は広義の社会データであるビッグデータの分析のため、人文社会系の学識とデータ解析能力を融合した人材を養成するというもの。「学際」に光を当てることで、文系、理系という枠組みを超越しようという試みといえようか。
こうした対応がどこまでできるか、国立大も総合力を試されるところだが、交付金ほしさに文科省の方針通りに対応すれば、いずれ全国の国立大から文系学部が一切なくなってしまいかねないとの懸念は残る。 特に、金儲けと縁遠い文学部や社会学部は狙い撃ちにされる可能性も指摘される。
旗振り役の下村文科相は安倍晋三首相に近いということもあり、大学関係者からは「文系学部をなくしてしまえば、批判する力も社会から奪われてしまう。 現政権の深い狙いがそこに隠れているようにさえうかがえる」との恨み節も漏れてくる。
 (以上、7月13日Niftyニュースより要約引用。)


 冒頭から引用が長過ぎた事をお詫びするが、学問好き故に理系文系両方の国公立大学(及び大学院)在籍卒業(修了)経験がある原左都子としては、実に興味深いニュース内容である。

 当該ニュース内容に関しては、既に安倍政権発足時点の2,3年前より政権内で取り上げられていた課題であるらしい。
 それが証拠に、上記引用のごとく国立大学によっては既に安倍政権の指示に従い動いている大学が存在している様子だ。 その動向の程に於いて国立大学間で明暗が分かれてしまっているのが少し辛い。
 例えば、過疎地徳島大学の事例など、「交付金をもらえないと困るから文系学部の定員は今後減らさざるを得ない」。 これに追随する国立大学が複数に上っているとの報道は、過疎地出身故に我が身にも沁みる…。
 私の認識によれば、徳島大学とは国立大学にして既に理系大学として特化した存在ではなかろうか。 一昔前に文系である「教育学部」を内在していたが、教育学部は既に単科大学として独立させ、今となっては理系国立大学として過疎地にて君臨中と捉えているのだが。

 それにしても、安倍政権文科省側の言い分も“自己矛盾”をあらわにしているとしか言いようがない。
 上記情報によれば、文科省は2015年6月初旬、国立大に対し、「社会が必要としている人材の育成や地域への貢献を進めてほしい」として、文学部や法学部などの文系学部のほか、教員養成系学部などについて徹底的に見直すよう通知した。 少子化が急速に進み、国際競争が激しくなる中、文系学部は理系学部のように「技術革新」に直結せず将来に向けた目に見える成果がすぐには期待しにくい。 国の財政難から税金を効率的に使いたい。…


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 安倍政権は国立大学文系学部廃止を訴える以前の問題として、成すべき課題が盛沢山だ。
 その一つとして、現在新国立競技場建設に於いて巨額の追加金を(都税含め)国民の血税により投じさせてまで建設続行を優先しようとしている政策に関し、国民に対し更なる説明責任を今すぐ果たすべきだ!
 安倍さんは、もしかしたら将来五輪で活躍して世界に名を売れる立場にある、大学「体育学部」(おそらく理系に分類出来るのだろう)を特待化したいのか?

 あるいは安倍氏自身が私立大学文系学部出身でおられるが、国立大学が置かれている現状を一切認識不能の立場にして、他人事のごとく国立大学文系廃止案を提示したのであろうか。
 さらには、文科相大臣下村氏も私立大学文系学部のご出身のようだ。
 私立大学文系学部出身閣僚同士でタックルを組み、虎視眈々と国立大学文系学部廃止なる政策を打ち立てたのか??

 ただ、現在我が娘を理系(正確に言えば理系文系融合分野)単科私立大学内学科へ進学させている親の立場で思う事がある。
 私立大学理系学部とは、おそらく文系学部に比し2倍以上の学費負担が発生するのが実情だ。(実験・実習等々を実施するための設備建設維持費は実際相当の金額に達するであろうことは想像がつくが。)

 ならばむしろ、理系学部に要求される施設設備費を国家がすべて請け負っては如何なのか?
 要するに安倍政権が国立大学をすべて理系学部に移行したいのならば、その施設設備負担こそを国庫金で賄うべきだ。(そこまで太っ腹覚悟で、安倍政権はこの議論を持ち出しているのか!?)
 残された学部(すなわち文系学部)をすべて私立大学に任せるとの方策であるならば、自分の子を国公立・私立に進学させる親間での“学費負担不公平意識”も多少薄れるのではないかと単純に考え、評価したい思いにもなる。

 いや実際、国立大学に文系学部など要らない気がする私だ。
 (その理由をここで説明するならば、特に長き独身時代に我が身を打ち立てた“食い扶持”のほとんどを国立理系で学んだ学問に頼る現実だった故だ。)
 上記引用部分で京大総長が懸念されている「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。」とのご見解に関しては、私も賛同申し上げる。 大学とは「学問の府」であるべきであり、将来の“食い扶持”稼ぎ目的は本来二の次の課題であろう。  この課題に関しては、「一般教養課程」こそがその役割を重点的に果たすべきかとも考える。 現状の大学は(国公立も含め)この過程が貧弱と言えないか?  私の学生時代の経験からも周囲の若き学生達は単位取得に必死で、肝心の学問内容を素通りしている感があったものだ。 

 ただ、実際我が子を大学に進学させねばならない底辺親達の懐具合までも勘案した上で、安倍政権が「国立大学文系学部廃止案」を提示した訳ではない“身の程知らずぶり”に嫌気がさす私でもある。