原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

時代の要請と共に弱者保護へと進化する道路交通法

2015年10月03日 | 時事論評
 (写真は、運転免許証更新時の講習に於いて配布される「安全運転のしおり」22、23頁より抜粋して転載した、「大震災(震度6弱以上)発生時における交通規制」 の図。)


 決して私は警視庁の“回し者”ではないことを最初にお断りしておく。

 その上で、先だっての9月29日に5年に一度の運転免許更新に出向いた際、(「優良」者の場合30分間の)講習に於いて実際市民に役立つ情報を得たため、今回のエッセイではその内容の一部をかつつまんで紹介しよう。

 特に印象深かったのは、「最近の道路交通法の改正」に関する講習だ。

 まず、その一。

 皆さんは、「環状交差点」 なる交差点を車で通行したことがおありだろうか?
 私の場合、現在ペーパードライバーの身であり元よりその経験がないのだが、テレビか何かのメディア情報源より当該交差点が日本国内でも浸透しつつあるとの報道を見聞した事はある。 要するに十字交差点に於いて信号を設置しない事により運転者の信号待ち時間ロスを少なくすると共に、特に交通事故が多発する「右折」の危険性をも回避する目的で考案された交差点と理解している。

 この「環状交差点」に関して、近年警視庁が「道路交通法改正」の項目として法制度化したとのことだ。
 ところが、私個人的に今回の講習において興味深かったのは、この交差点が東京都内に於いては“1箇所”しかないとの講習担当者氏の話だ。 
 私見だが、分かる気がする。 交通量が膨大な都会に於いてこの種の交差点を設置した場合、おそらく大渋滞を引き起こすことだろう。 要するに「環状交差点」とは、交通量が少ない地域に於いてこそ本来の役割を最大限に発揮可能と推測した。

 その二。

 今や事故が多発している「自転車走行」に関する法規制改正内容だ。
 私自身が既に十数年前より“自転車に乗らない主義”を貫いている。 加えて10年程前より車にも乗らず、あくまでも“最大交通弱者”である歩行者の立場を主体的に貫きつつこの世の交通網を渡っている。
 その私として、一番身近に迷惑なのが「自転車」と言って過言でない。 特に大都会東京の場合、「歩道」自体が人一人歩ける程までに狭い! その狭い歩道を“そこどけ!”とばかりに通り過ぎる自転車走行者は後を絶たない。
 どうやら近年の道路交通法では基本的には「自転車は車道を通行するべき」との定めがあるようだが、都心の交通事情を知っての法改正なのか??? と私は常々疑ってかかっている。 確かに都心でも少し郊外の大規模道路へ行ったならば、自転車走行路と歩行者走行路が区別されている事も経験する。 ところが自転車事故が一番多発するのは、私が住んでいる地域のような都心にしての小規模道路ではなかろうか?
 先だっての免許更新時の講習では、大都市に住む市民個々が苦悩している狭い道路にての「自転車走行」被害に関する内容面での考慮が不足していたように感じる。 自転車走行に対する法制度は、これだけ国民が自転車を愛用している現実下に於いて困難な事態と想像するが、地域特質性を考慮した上で、自治体法制度も勘案する時期なのではなかろうか。
 私論としては、ここは思い切って自転車台数規制を実施し、自転車台数自体を減らす施策を取るしか手がないような気もする。

 その三。

 冒頭に掲げた転載写真に関して説明しよう。

 この課題に関しては講習内で最後の最後に取り上げられたのだが、大都会東京都心に住む私としては実に“明日は我が身”の切実なテーマと解釈した。
 まずは、東日本大震災発生翌日に公開した 2011.3.12「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 から一部を紹介しよう。
 その日の午後、外出予定があった私はその準備に取り掛かろうとしていた。  「あっ、揺れている。これは地震だ。」  (これは尋常な地震ではないぞ!)と思い始めるのと同時に、和室に設置してある高さ230cm程の書棚が前後に大きく波打ち始め、上部が後ろの壁にぶつかってはドーンと大音量を発し開き戸が全開した。  (書棚が倒れる心配よりも自分の命をつなぐ心配をするべきだ!)と少し冷静さを取り戻してみるものの、和室から見えるリビングルームの置物はすべて床に放り落とされ、壁に掛けていた絵画等も落ちて散在している。  とりあえず自分の命を守ることを優先した私は、自宅内の物が落下しない場所に立った。 立っていられない程の揺れだが、座ると上から物が落下してケガをする恐怖感で座る気になれないのだ。 おそらくこのまま自宅にいるのが一番安全だと悟った私は、まだ大揺れ余震が続く中、家中の見回りを開始した。
 次の心配は(当時高校生だった)我が娘! であるのは親として当然だ。
 首都圏の交通網は全面マヒ状態。 そろそろ娘の下校時かと思い早速携帯通話を試みたものの、報道で見聞しているごとく携帯電話は一切繋がらない。 16時を過ぎてパソコンからメールをしてみると、やっと繋がった! どうやら学校の指示で学内に留まった方が安全であるため学校で待機しているとのことで、娘からそのメール一報を受けて一応安心した私である。  今度は夕食の準備をしようとするとガスが付かない。(そりゃそうだろうなあ。この余震が続く中“火”など使ったものなら被害を拡大するだけだ。)と悟った私だ。 それでも、我が家では電気と水道が寸断されていなかったことが大いなる救いだった。
 娘に話を戻すと、首都圏の鉄道交通網は復旧不可能状態のようだ。  「下手に大混乱の首都で“帰宅難民”になるよりも、もしも学校で一夜を明かせるならばそれが一番の安全策!」との母の私の指示に素直に従った我が娘は、所属高校の体育館で「緊急対策グッズ」を配られ眠れぬ中何とか一夜を凌いだようだ。
 ところがその数日後に、娘が通う私立高校から3月11日に発生した「東日本大震災」時に娘を迎えに来なかった保護者に対する“批判めいた”文書(夜を徹して大混雑の中、子供を迎えに来た保護者を賞賛する内容)が届いたのだ。 これに憤りを感じた私は、抗議文を高校宛に記して届けた。
 それに対する高校からの返答がない時期に、既に国家より「大震災時はその場に留まる事を奨励する」なる指示に迎合する文書が高校より届く段取りと相成った。


 話題を、冒頭に紹介した写真に戻そう。

 冒頭写真内に掲示されている、「通行禁止」都心地区内に我が家も位置している。
 娘が高校生だった当時に発生した東日本大震災時に、もしも娘が通う私立高校側が何が何でも全保護者が子供を学校まで迎えに来い!と言い張るはらば、私は既に大混雑極限だった(上記写真の)「通行禁止」区域に車(タクシー)を走らせたのだろう。(タクシーなど捕まるはずもないのだが。) その結果とは更なる大渋滞を引き起こし火災や救急搬送要請に都内幹線道路が機能しない事実を煽ったと切なくも推測する。

 それ故、今年9月末に私が訪れた「免許更新講習」にて最後に実施された、大都会に於いて今後想像される大震災に関する講義内容は素晴らしかったと評価するのだ。
 実際問題、環状7号線内部に住居がある我が家の場合、可愛い娘が大震災時に何処にいるとて、「その場に待機して身を守れ!」と伝えるしか今後も方策が取れないと思っている。


 日本は2011年の「東日本大震災」を経験した事によって、災害対策の分野で「進化」出来たと感じられただけでも、私は9月に運転免許更新に行ってよかったと実感する。