原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

還暦を迎えて私は“サリバン先生”を卒業出来るか!?

2015年10月19日 | 教育・学校
 (写真は、自分の還暦祝いに作成したフォトブックより。  左…自宅にて、中…ロードレース出場中にプロカメラマンが撮影したものを転載、右…徳島のホテルにて。)


 昨夜大変珍しい事だが、私が幼少の頃よりサリバン先生を務めている大学4年生の娘とちょっとしたいざこざがあった。

 何でも、先だって娘が自分の力で内定を決めて来た採用先からメールが届き、4月入社までのスケジュールに関して連絡があるから来社して欲しいとの事だ。 その日程に関して、娘の都合の良い日を指定して欲しいとの連絡だったと言う。
 「で、何日にしたの?」と私が尋ねると、「私の方はいつでも大丈夫だから、会社側のご都合に合わせます。」とのニュアンスの返信をしたと言う。
 これに咄嗟に怒り狂った鬼母の私は、娘を大声で怒鳴りつけた。
 「あなたはそうやっていつも優柔不断な態度だから、今まで内定が取れなかったのよ! なんで自分の都合の良い日ぐらい指定出来ないの! そういう場合、私だったら第三希望まで詳細の日時を書いて返送するよ。 そうしたらあちらとしても、では〇月○日でお願いします、と物事が一発で簡単に解決するでしょ。 あなたが今回希望日を指定出来なかったことで、相手に日程設定と更なるメール返信の負担をかけてしまった事が分からないの!? 」

 「いやそうではなくてどうのこうの…」としどろもどろに応えつつ、泣きそうになる娘…

 それを見かねた亭主が言うには、「○子(私のこと)はいつも言い過ぎだよ。 別に娘の回答で悪いという事ではないと思う。 むしろ娘の回答の方が相手に気遣っている様子が伺えるし、娘の個性が感じられるとも言えるんじゃないかな。」 
 確かに…  と思いつつも、亭主に向かって「貴方は基礎研究者として企業に優遇されつつ長期スパンで物事を考えれば済んだ立場からそういう発言をするんでしょ! ところが企業の下っ端で働かねばならない娘の事を勘案した場合、そうとも言ってられない側面もあるよ。」
 その両親のやり取りを聞いているだけで反論出来ず未だ泣き出しそうな娘を傍目に見つつ、この議論は止めるべきだと悟ったものだ。


 話題を大きく変えよう。

 私自身の希望としては、娘が無事に卒業論文課題を成し遂げ大学を卒業し企業へ就職した暁には、「サリバン先生」業務より引退したいと脳内の一部で思っている。
 それは、当然の成り行きでもあろう。 娘が民間企業へ就職したならば、実質問題、娘は朝早くから夜まで自宅に存在しなくなる。 むしろその時間帯を既に定年退職している亭主と如何に自宅で過ごすのかの厳しい課題を再び叩きつけられる運命だ。
 そうなると昼間亭主の相手をするよりも、母として娘のサリバン業務を実行する事の方がよほど我が自己実現としてのフィードバックがあった事を思い知らされる、との感覚があるのが正直なところだが…。


 もちろん、我が娘にもまだまだ教育するべく課題は盛沢山だ。

 今後企業人として生きていく上で忘れてはならない各種“社会保障制度”に関しては、既に娘相手に逐一説明している。 ところが娘曰く、「今時の民間企業は就活段階でそれをきちんと説明してくれるよ。」
 へえ、そうなんだと思いつつも、親の私としては今一度それを娘に対して繰り返した。

 と言うのも、近い過去に勤務した“独立行政法人”現場(早い話が「理研」だが)で出会った一契約職員の若者が、“社会保障制度”に関して一切認識していなかった事実を経験し驚かされた故だ。 
 「厚生年金って何ですか? その保険料を毎月支払うことが何になるんですか??」なる質問を受けた私は、「老齢になった暁に年金が支給されるとの国の制度があるが、若い頃よりその保険料を毎月支払う事で将来支給されるのが年金制度」云々と答えた記憶があるのだ。
 いやはや、この子の親は一体如何なる教育をしてきたのだろうか??  と思いつつも、国がからむ法人現場の契約職員などおそらくコネ採用に頼っているのであろうし、そのコネ紹介により何の思慮もなく機械的に関係子息達を採用している事実が歴然だったのであろう。


 最後に、今回のエッセイ論点を我が家(私)に戻そう。

 我が娘が(どこかの超お嬢さんの身分で生まれた訳ではないのが明白な限り)、私の「サリバン教育」は今後も還暦を過ぎた母の立場からというよりも、一人の年長者の視点で続行するべきとの事だろう。

 幸いにも娘は我が家から通える場所に就職先をゲットしてくれた。
 それに感謝しつつ、今後も我が家に同居してくれると言う娘に対し、時と言葉を選びながら、国家や自治体の労働者に関する法制度や社会保障制度の現実を語り、娘と共に私も成長すれば良し!という事なのだろう。