(写真は、先週出かけた台北旅行にて撮影した映像の一枚。 写真には TAIPEI MAIN STATION との英語表記があるが “台北中央駅” とでも訳せばよいのだろうか? その地下鉄駅構内にて撮影したもの。)
前回のエッセイにて予告した通り、私は先週、職場が夏季休暇中の娘と共に夏旅に出かけた。
何故、予告エッセイ内にて行き先を公開しなかったかと言うと、実は今回程下調べを怠った旅行は過去に無いと言ってよい程、準備を手抜きしたのだ。
特に海外旅行の場合、下調べを手抜きすると言うことは旅行のポリシーを定めずに旅立つのに等しい、と私は考えている。 その行為とは訪問先である国に失礼と判断したため、あえて旅行先である訪問国を公表しなかった。
今公表するなら冒頭の写真が物語っている通り、我々母娘は台湾の首都である台北へ旅立った。
ここで参考だが、私は今までの人生に於いて十数回海外旅行に出かけ12ヵ国を訪問している。(米国に実姉が在住している関係で、米国訪問回数が多くなっているが。)
日本から近いアジア近隣国である台湾訪問は、今回が初めての経験だ。
台湾と言えば、過去に日本国内で知り合った出身者が数人いた。 そのほとんどが我が2度めの大学・大学院時代に留学生として日本に来ていた人達だが、残念な事にその頃から二十数年の年月が経過し、今となっては音信不通状態だ。
私の記憶によれば、その台湾出身の人達すべてが親切だった記憶がある。
一例を挙げると、大学院生時代に修士論文を仕上げるにあたり、大学のコピー室で私がコピー機故障に困惑していた時、黄さんとの男性台湾留学生が私を助けてくれた。(参考のため、当時は未だパソコンが普及していなかった時代背景だ。)
あるいは、やはり大学院時代の話題だが、自習室に台湾の新聞を持ち込んでいた安さん(とおっしゃっただろうか?)の新聞を覗いた私がその求人欄に興味を持った。 おそらく、安さんは大学院修了後自国へ帰り就職する予定だったのだろう。 私がその新聞に書かれている漢字を読んでは「何と言う意味?」と尋ねると、日本語で懇切丁寧にその説明をしてくれたものだ。
海外旅行をする場合、現地に知り合いがいる程“楽ちん”な事はないだろう。 それは、実姉が在住している米国旅行で十分に経験済みでもある。
ただ今の時代、親族でもない限り海外の知り合いを頼るのは控えるべきと判断する。
そう考えた私は、(手元に「名刺」を保存していたが連絡は控え)あくまでも娘との二人旅を決行する覚悟を決めた。
それにしても台湾滞在中始終、下調べ等の準備不足を実感させられる台湾珍道中だった。
よくぞまあ生きて日本に帰れたものだ…‥、との究極トラブルにまで遭遇した今回の旅行だ。
それらに関しては、次回以降のエッセイにて「台北旅行記」を綴ります。
前回のエッセイにて予告した通り、私は先週、職場が夏季休暇中の娘と共に夏旅に出かけた。
何故、予告エッセイ内にて行き先を公開しなかったかと言うと、実は今回程下調べを怠った旅行は過去に無いと言ってよい程、準備を手抜きしたのだ。
特に海外旅行の場合、下調べを手抜きすると言うことは旅行のポリシーを定めずに旅立つのに等しい、と私は考えている。 その行為とは訪問先である国に失礼と判断したため、あえて旅行先である訪問国を公表しなかった。
今公表するなら冒頭の写真が物語っている通り、我々母娘は台湾の首都である台北へ旅立った。
ここで参考だが、私は今までの人生に於いて十数回海外旅行に出かけ12ヵ国を訪問している。(米国に実姉が在住している関係で、米国訪問回数が多くなっているが。)
日本から近いアジア近隣国である台湾訪問は、今回が初めての経験だ。
台湾と言えば、過去に日本国内で知り合った出身者が数人いた。 そのほとんどが我が2度めの大学・大学院時代に留学生として日本に来ていた人達だが、残念な事にその頃から二十数年の年月が経過し、今となっては音信不通状態だ。
私の記憶によれば、その台湾出身の人達すべてが親切だった記憶がある。
一例を挙げると、大学院生時代に修士論文を仕上げるにあたり、大学のコピー室で私がコピー機故障に困惑していた時、黄さんとの男性台湾留学生が私を助けてくれた。(参考のため、当時は未だパソコンが普及していなかった時代背景だ。)
あるいは、やはり大学院時代の話題だが、自習室に台湾の新聞を持ち込んでいた安さん(とおっしゃっただろうか?)の新聞を覗いた私がその求人欄に興味を持った。 おそらく、安さんは大学院修了後自国へ帰り就職する予定だったのだろう。 私がその新聞に書かれている漢字を読んでは「何と言う意味?」と尋ねると、日本語で懇切丁寧にその説明をしてくれたものだ。
海外旅行をする場合、現地に知り合いがいる程“楽ちん”な事はないだろう。 それは、実姉が在住している米国旅行で十分に経験済みでもある。
ただ今の時代、親族でもない限り海外の知り合いを頼るのは控えるべきと判断する。
そう考えた私は、(手元に「名刺」を保存していたが連絡は控え)あくまでも娘との二人旅を決行する覚悟を決めた。
それにしても台湾滞在中始終、下調べ等の準備不足を実感させられる台湾珍道中だった。
よくぞまあ生きて日本に帰れたものだ…‥、との究極トラブルにまで遭遇した今回の旅行だ。
それらに関しては、次回以降のエッセイにて「台北旅行記」を綴ります。