原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2016夏 左都子の台北旅行 中正記念堂編

2016年08月27日 | 旅行・グルメ
 (写真は、台湾三大観光名所の一つと言われている 中正記念堂 を原左都子が撮影したもの。 猛暑の夕刻にちょうど暗雲が背後から迫って来て記念堂と同化し、私としては素晴らしくモノクロ色彩風の写真になったと自負しているのだが……


 台湾と言えば、蒋介石氏を抜きにして語れない国であろう。

 早速、ウィキペディアより 蒋介石氏に関する情報を少しだけ引用して以下に紹介しよう。
 蒋 介石(1887年10月31日 - 1975年4月5日)は、中華民国の政治家、軍人。 第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統、中国国民党永久総裁。国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。
 孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、その後大陸支配を回復することなく没した。


 引き続き、中世記念堂をウィキペディア情報より引用。

 中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)は、中華民国台北市中正区に位置する総統蒋介石の顕彰施設。 
 中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。
 中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石を顕彰し1980年に竣工した。中正紀念堂の「中正」とは蒋介石の本名。
 蒋介石が1975年に死去した際、行政院(日本の内閣に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定した。 民間の専門家らの意見を取り入れ、8月22日にはコンペティション要綱を公開した上で、43組の応募の中から楊卓成の設計案が採用された。
 蒋介石生誕90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成。 翌4月5日に一般公開された。
 台湾民進党政権下での「台湾正名運動」の影響で、2007年には「台湾民主紀念館」に改名され、入り口の門に書かれた「大中至正」の文字が「自由広場」に架け替えられたが、国民党が政権復帰した2009年に、再び元の「中正紀念堂」に戻った。(ただし、「自由広場」はそのままである)。


 原左都子の旅行記に戻ろう。

 なるほど。 建物の建築様式は古風だったものの比較的新しく建築された建物なんだ、と帰国後改めて認識・納得した。
 さすが、政治がらみの観光名所。 政権の移り行きと共に名称までもが変わり行くのが興味深い。
 こういう観光名所は日本には無いなあ、と改めて実感させられる。 特に戦後、偉大なる政治家を未だ一人として排出していない我が国の政治界を再確認だ。 まあそれは、言いようによれば平和の証しかもしれないが…… 
 (一庶民としては、ちっぽけな平和でよいから戦争無き平和な国家をずっと保ち続けたいものだなあ… )

 建物内には、蒋介石氏の巨大な銅像や生前の写真、加えて氏が愛用したとみられる大きな車(クライスラーかキャデラックかメルセデスベンツか??、要人ご用達のとにかく豪華な車。 車には全く疎いため説明が誤っているであろう事をお詫びする)が2台展示されていた。 
 氏の執務室を再現した部屋もあり、そこには蒋介石氏の蝋人形が椅子に座った形で展示されていた。 蒋介石氏生前の姿をご存知のバスガイド氏曰く、本人そっくりで最初見た時は驚いた、とのことだ。


 とにかく、広大な敷地内に建立されている記念堂だ。
 短時間のバスツアーで見学するには、足早にざっと一覧して集合場所へ戻るのが精一杯だった。