原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

還暦過ぎて再び仕事にチャレンジするかどうか迷う私

2016年09月06日 | 仕事・就職
 我が「原左都子エッセイ集」が、この9月に開設10周年目を迎えた。

 その開設の頃、私は水面下で虎視眈々と「就職活動」に励んでいた。
 その様子を綴ったエッセイが何本か存在するため、以下に紹介しよう。


 まずは、2007.9.24 公開 「就職活動悪戦記」より一部を引用する。

 一旦現役を退いた50歳過ぎたおばさんが就業を試みても、自分が納得できる求人は年齢制限で門前払いであることは、別章「宝の持ち腐れ」で既に述べた通りである。  それでも、私は新聞の求人欄や求人折込広告を日頃よく見る。 就業に関する社会的動向を把握するのが第一目的だが、まれに年齢制限が無かったり、高齢者可の募集、かつ自分の職業経験や資格が活かせそうな求人を発見すると、私は果敢にも電話で求人先に問い合わせたり履歴書を送ったりすることがある。
 電話で問い合わせる場合、求人広告には年齢不問とは書かれていても大抵は年齢の確認ははずせない様子で、必ず「何歳ですか?」との質問が返って来る。 正直に答えると、やわら手のひらを返すような対応をする担当者が多い。 年齢不問と書いておいたものの、まさか50歳代女性から問い合わせがあるとは夢にも考えていないのであろう。 また、“高齢者”の解釈が当方と求人側とで大きく異なる時もある。 私は高齢者とは60歳以上位の方々を指すものと認識しているのだが、以前の私の経験では求人側は“35歳位から45歳位まで”を高齢者としていた事例もあった。 当然ながら、電話での問い合わせ時点で門前払いだ。
 電話連絡は不可で直接履歴書を送付せよとの求人では、私の場合、経歴、資格等の応募条件を満たしている求人先しか応募しないためか、ほぼ100%試験、面談通知が来る。 どうせまた年齢で採用まではこぎつけない事は承知の上だが、採用担当者の資質や力量や事業所のレベルの程をとくと拝見する楽しみもあり、私は必ずいそいそと採用試験に出かける。
 某(名門塾として名高い)塾の本部まで個人指導講師募集の試験、面談のため出かけた時のことだ。 30代位の若い採用担当者(この業界は、大体30~40歳代位の担当者が多いようだ。)が対応に出たが、担当者に会うといきなり学科試験から始めるとおっしゃる。 それは特段問題ないが、試験の前に「小6程度の学科試験ですが、受験しますか?」と聞く。 今日私はそのためにわざわざ来ているのにおかしな事を聞く人だと思いその旨聞き返すと、「学科試験は受けたくないので面談だけにして欲しい、と要求する応募者が多いため。」との回答だ。 加えて、「途中でやめても結構です。」とも言う。 何だか随分と失礼な採用試験との感覚を持ちつつ、私は学科試験を開始した。 個室受験だったのだが、私が集中している最中に担当者が突然入ってきて、何と「まだ続けますか。」と聞く。 「はい!」と言いつつ試験に集中していると、「終わったら言って下さい。」と言う。 制限時間が無いとはまったく人を馬鹿にしているとしか思えないと内心怒りつつ、試験が終了したためその旨告げた。 学科試験をやり遂げた爽快感はあったものの、この時点で塾側は私を採用する気が元々ない事を悟っていた。 
 その後の面談では我が経歴の確認や両者間での時給額の折衝がなされた。 そして採用担当者から「講師として登録しますが、実際の仕事をいつ紹介できるかについては今は申し上げられない。」旨の話があり、その後案の定一切連絡は無いままだ。
 (以下略すが、「原左都子エッセイ集」9年程前のバックナンバーより一部を引用したもの。


 続いて、2007.11.01 公開 「税理士試験奮闘記」より引用する。

 私は4年前(2004年頃)から税理士試験にチャレンジしている。 とは言え、現在中だるみ状態の軟弱受験者で今年は受験を断念した。(参考のため、税理士試験は毎年1回のみ8月に実施される。)  なぜ私が税理士試験受験を志したかと言うと、高齢のため自分が納得できる再就職先もなく‥…
 (以下大幅に略。)

 後日談だが、私はその後、国税庁への税法3科目受験免除申請のみは実行した。 これを申請審査通過するためには、修士論文を国税庁が指定する文字数に要約し直さねばならず、当時既に50歳を過ぎている私にとって大仕事だった事を思い出す。 参考だが私の場合これを申請済みのため、後「財務諸表論」と「簿記論」の2科目に合格すると、晴れて税理士試験合格と相成る。
 ただあれから10年経過した現在、既に「税理士試験受験」はきっぱりと捨て去っている。 と言うのも、苦労して受験したところで就職先が皆無であるのと、税理士の社会的地位が極度に低下していると判断する故だ。

 
 更には、2007.10.01 公開の 「フランチャイズの正体」より引用。

 私が50歳を過ぎて尚就職活動にチャレンジしていることは別章「就職活動悪戦記」で既に述べたが、昨年、フランチャイズ自営にも挑戦した。(過去形であるのは既に廃業しているからだ。)
 近年、このフランチャイズをめぐる訴訟が急増している事は承知の上だったが……。
 私がチャレンジしたのは、某教育関係大手企業が募集する学習教室のフランチャイズ自営だった。 この学習教室の場合、応募段階ではフランチャイズであるという事実は一切公表しておらず、学習教室の指導者募集と銘打っての募集である。 応募資格条件は一応あるものの、50歳過ぎたおばさんの私が採用される位だからほとんどないに等しく、応募して採用試験さえ受ければほぼ全員が採用されると考えてよい。 (ただし参考だが、この採用試験がやはり小6レベルの学科試験なのであるが、この問題を見るなりギブアップして退席する受験者が数多い。 私が受けた時にも6人中4名が中途退席した。 試験後その場で採点の上点数不足者は帰宅させられその後面談に入るのだが、満点を取り面談まで残ったのは結局私一人だった。)
 さて、採用から初期研修(この段階でフランチャイズであることを正式に告げられる。)を経て貸教室の設営までとんとん拍子で進み、いよいよ生徒募集の段階に入った時のことである。 担当者はそれまでは、「初期段階で生徒は20名程集まり1年後には50名位になっているでしょう。」と豪語していたのに、生徒募集直前になると 「とりあえず1名入ればいい方です。」と手のひらを返してくるのだ。 私の場合、経営関連の修士を取得し、税理士試験税法3科目免除申請も通過しており、経営に関してずぶの素人という訳では決してない。 後で思えば事前によく市場分析もせず、それを信じた私が馬鹿であったの一言なのだが、新聞折り込み広告やポスティング、街頭配布等で2万枚近いチラシを配布(一応自営のため当然ながら経費はすべて自費。)しても、生徒からの反応は当初皆無に等しいのだ。 この時点で、やっと騙された(とまで言うと言い過ぎかもしれないが、それに近い感覚があった。)事に気がつくのだが既に後の祭りだ。 担当者が言うように、それでもしばらく我慢を続け、投資を続けていればいつかは生徒数も増加したのかもしれない。
 私がどうしても受け入れ難かったのは、経営方針はすべて本部の指示に従うことが開業の条件だったことだ。 教材は本部が用意したもの限定で使用を強制され、自主作成副教材の使用すらまったく許されず、教室運営もすべて事細かくマニュアル化され勝手な指導は許されない。 教室に置く備品までにも細かい指定あり…。 という訳で指導者の自由裁量の余地など皆無なのだ。 要するに、経営者兼指導者とは名のみで単なるフランチャイズ本部の“ロボット”の募集であることに、遅ればせながら生徒募集の段階まで来てやっと私は気付いた。 こんなことだから募集に際し何の経験も資格も必要ないどころか、むしろ邪魔なのだ。 本部にとって必要なのは “ロボットに成りきれる素直さ”(と小6レベルの学力) だけと私は悟った。
 (以下略す。)

 これまた後日談だが、あれから10年の年月が過ぎて、思い出す事がある。
 事実上赤字経営覚悟でフランチャイズ貸教室を設営し 「〇〇教室 〇〇一丁目教室」を開業していた私の元に、少数の入教室希望者が存在した。 ところが私は既にフランチャイズ撤退の意向を固めていたため、その希望をすべてお断りした。
 そうしたところ、ある児童の保護者氏から我が自宅までお電話を頂いた。「どうか、うちの娘だけでも先生にご指導お願い出来ませんか?」  その時水面下で我が脳裏に過ったのは、自宅での個別家庭教師だった。 ただこれぞフランチャイズ自営に於ける一番の違反行為である。バレたら命取りだ。 さすがに法律を弁える身としては懇切丁寧にお断りした。


 そうこうしている内に年月が流れるのは実に早いもので、既に10年が経過している。

 10年前に何故私が(実り無き)就活などに悪戦したのと今振り返るなら、娘が自宅より通学時間がかかる私立中学へ通う身となり、サリバン母である私の昼間の自由時間が増加した事に他ならない。

 そして年月が流れ、 私は確かに10歳程年老いた。
 娘も社会人となり、娘なりに精進している様子だ。
 そうなると今度は、私自身が三度目(五度目か七度目か!?) の就活を目指すのも必然的行動であると言えよう。

 ただ、年齢を重ねる毎に「就活」に対して多くの課題を抱えざるを得ない事実にも私は気付いている。
 何のための就活か?   自分のため?  家族のため?  社会のため? 
 高齢者の就活など如何なる労働力を提供可能かと精査した場合、極論を言えばそれは周囲への“足手まとい”でしかなく、悲しいが「自己満足のため」との結論しか出ないような気もする‥…。