原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“聞き上手” の基本的心得

2016年09月19日 | 人間関係
 当該「原左都子エッセイ集」に於いては言いたい放題の辛口論評公開を主眼としている私だが、その実、本名にて暮らす現実世界では、意外や意外 “聞き上手” をモットーとしていると言って過言でない。


 その事実をバックナンバーに於いて幾度となく綴り公開しているのだが、私自身がそれらタイトルを忘れてしまっている。

 一つ思い出すのは、2014.3.24 公開 「『原左都子って何者?』なるご質問にお答えします」である。
 早速当該バックナンバーより、私が“聞き上手”(か否かは不明だが、とにかく他者の話を聞く事を重視している)である事を綴った箇所を、ピックアップして以下に紹介しよう。

 ここでほんの少しであるが、「原左都子」本体である “私自身” の日常を紹介しよう。
 つい最近人が大勢集まる会合に出席する機会があったのだが、どうやら私は“周囲を和ませ明るくさせる”キャラと評価されてしまうようだ。 「あなたには初めてお会いした気がしない」 「お友達が多いでしょ!」 等々のプラス評価が我が身に降り注いで返って来る。  それ自体は嬉しい。  ただ、実はそれら評価とは180度異なる人格の持ち主と私自身は自己分析している。 
 その思いを少しだけ訴えた。 「私は友達は少ない方ですよ」 「確かに私にも明るい側面はありますが…」   その後私として続けたかったのは、「でもこういう会合に於いては第一に場を読むべきですよね。 面識が少ない者同志の関係に於いて周囲環境を意識せずして人間関係など成り立たないでしょう? 私はそれを実行しているのみですが…。」 そんなこと、言える訳もないし…。
 現在の時代背景とはこれが現実であろう。 そんな場に際して、特に年長者や(誤解を恐れず言わせて頂くならば)学識経験者とは有名無名にかかわらず、自分が言いたい事をありのまま無責任に発信できる訳などないのが現実ではなかろうか!?  だからこそ私は複数の人間が集まる場では、真っ先に周囲への配慮に回る習慣が身に付いてしまっているのだ。 恐らく今後も現実世界に於いては、ひとまず自己を抑えてその役割を果たすべくの我が人生が続くのであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより、その一部を引用したもの。)


 さて、先だってネット情報にて今回のテーマである “聞き上手” 関連の記述を発見した。

 興味深い内容だったため、その一部を原左都子なりにアレンジしつつ以下に要約引用しよう。

 今年6月に実際に起きた事件。
 財布を落とした女性がJR小倉駅に取りに行った時のことだ。 30代の男性職員が財布を返却してくる際、「お金が抜き取られています」と言った。 財布には6万円が残っている。 「なぜ、お金が抜き取られているのが職員にわかるのか?」 不審に思った落とし主の女性が警察に通報し、男性職員は8万円を盗んだ業務上横領の疑いで福岡県警に逮捕されたという内容だった。  「お金が抜き取られている」などという不用意な一言で、窃盗行為がばれてしまったわけだ。 このような間抜けケースは詐欺においても起こる。  (以下、中略。)
 上手に相手の「言葉の尻」をとって話を転がす、なる名言がある。 
 画廊にての会話だが、(途中大幅に略して) そんな会話をしながら画廊を見回ると、女性は「どの絵が気に入りましたか?」と尋ねてきた。 ある1枚のリトグラフを指差すと、その前に椅子が置かれて、商談態勢に入ることになった。 しかしこの女性はあまり話術にたけておらず、「この絵を選ぶなんて、お目が高い」といういささか手垢のついた言葉ばかりを連呼する。 そして言葉に詰まると沈黙する。 この繰り返しに私はしだいに眠くなってきた。 とにかく、すべての話がブチブチと切れていて発展しないのだ。 本来なら、私の職業が「営業職」ということであれば、「どんな営業なのか?」「会社の場所はどこ?」「社内での人間関係はどうですか?」など、いろいろ聞けるはずなのだが、彼女はそれをしなかった。
 そのうちにベテランと思しき女性がやってきた。 まず「この絵のどこか良かったのですか?」と聞いてきたので、相手の力量を図るため、わざと絵の本体ではなく「背景部分がいいですね」と意地悪な答えをしてみた。 けれど女性はひるむこともなく、私の返答を受けて会話をつなげる。 「なるほど、背景のクリーム色の感じが好きなのですね。ということは、性格は穏やかな方ではないですか」
 (中略) 私がひとり暮らしだと知ると、「もし、この絵を飾るならどこがいいですかね?」と言いながら、詳細な部屋の間取りを確認して、「右の壁には何が張ってありますか?」と尋ねてくる。そこにカレンダーなどが張ってあることを伝えると、その反対側には、何があるかを聞いてくる。そして、左の壁に何もないことを知ると、「ここには、この絵を飾れそうですね」と話をつなげていく。 とにかく話が巧みな人は、こちら側の話を最後までしっかり聞き、話題を展開させていくのがうまい。 話術の巧みな勧誘員は、いわば、しりとりをしながら物事を考える。 (以下、大幅に略。)


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 要するに上記引用ネット情報とは、現実世界で営業を担当させられている社会人に“ビジネストーク”を指南せんとする意図で当該文章を公開したのであろう。

 たまたま上記引用ネット文章中に「画廊にての絵画購入例」が挙げられていたため、これに関して考察してみよう。
 実は私も娘が美大受験を目指し(その後挫折して大幅専攻転換)ていた頃、幾度か画廊にて開催中の美術展を訪れ絵画を購入している。
 その立場から物申すならば、むしろ営業担当者氏には黙っていて欲しい気すらする。 自分が気に入った絵画を発見・選定しそれを購入したい意思を伝えた段階で、「この絵画は素晴らしいんですよ!」と後押ししてくれるだけで必要十分だ。
 何だって? 貴方の部屋にはこちらが似合う??  そんな事を販売員が言い始めたものならば、私ならば「もう要らないです!」とその場を後にしたであろう。

 原左都子の私論としては、今の時代、これぞ営業マンが心得るべき会話術ではなかろうか。
 ヘボい“お勧めトーク”など一切無用だ。  どっちが専門に通じているか否かも不明な関係に於いて、素人考えでセールスしてくる輩が如何なる業界にも蔓延っている事実には、日常茶飯事的に遭遇している。
 営利企業の営業マンが果たすべく役割とは、顧客との“しりとり”へったくれではないことは自明の理だ。
 そうではなく、とにもかくにも真っ先に顧客の要望を聞き出し、その要望に沿うのが営業マンの真の役割であろう。
 要するに、とりあえず「黙っている」事こそが最大最善の営業マンサービスと、私は結論付ける。


 さて、最後に日常会話に話を戻そう。

 まさに原左都子の日常会話の秘訣とは、こちら側は挨拶とニコニコ微笑みを返し「黙っている」ことである。 その挨拶の後に相手が何か言い始めたら、こちらは相手が言いたい事を十分聞き取る。 これが基本だ。
 教員時代も生徒全員に対してこれを鉄則として実行して来たが、その後この世に生まれ出た“言葉少ない”我が娘との関係もその対応で22年間成り立っている。
 現在社会人として頑張っている娘に対しても、日々帰宅する都度玄関にて出迎え、決してこちらが多言を吐かずして娘が発する言葉を誘導している。

 人の話を中断せず、とにかく “黙って聞く” 体制を自ら積極的に整える。
 これぞ、“聞き上手”の極意と私は心得ている。