(写真は、10年程前に我が娘が中一の時に描いた油絵作品第一号 「アンスリウム」。)
何故、10年も前に描いた娘の下手で未熟な油絵作品を、今更我がエッセイ集にて敢えて公開するのかには理由がある。
本日朝、「原左都子エッセイ集」編集画面「アクセス解析 “ページごとの閲覧数”」 の上位に、2009.3.29に公開したバックナンバー 「存在自体が迷惑??」 がランクインしているのを発見したのだ。
早速、公開後7年が経過した当エッセイを読み返して、サリバンとして一番厳しく過酷だった娘の小学校入学前頃の光景が克明に我が脳裏に蘇った。
それに連動して何故か脳裏に浮かんだのが、上記娘の油絵作品に関する親として辛かった出来事である…。
これに関しては後述するとして、冒頭よりバックナンバー「存在自体が迷惑??」の一部を要約して以下に紹介しよう。
本エッセイは、前回の「We can graduate!」の続編のような形になるのだが、事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育に於いてのみではない。
子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々なのである。
一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと元より諦め半分である。 これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は、保護者にとって耐え難いものがある。
その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の驚くべき発言内容を取り上げよう。
我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。 だが残念なことに、生まれ持っての“特質”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。 その辺の事情を、親としてあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情(特質)に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。
ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性の担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を一切見ようともしない。
そしてその担当者は持論を述べ始めた。 「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。この子は十分に普通学級でやっていけます。」 (親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。だた、それを思うと無念さが募るだけだ。現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)
さらに、担当者はこう続ける。 「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。 障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。 そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。 障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。 PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるため、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。 家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。
そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。 それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。 めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。
だからこそ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。 (中略)
ただ何よりも我が子の場合、生来の素直さ忍耐強さと共に、サリバン(私のこと)の厳しい指導教育の成果もあるのか、公共心や年齢相応の倫理観を備えた礼儀正しい子どもに育ってくれている。
そういった子ども本人のプラスの持ち味が幸いして、我が子は今後も将来の自立に向けてさらなる成長を遂げ続けてくれることであろう。
(以上、原左都子エッセイ集 2009年バックナンバーより一部を引用したもの。)
さて、冒頭の油絵に話を移そう。
娘が油絵第一作「アンスリウム」を描いたのは、中一の時の事だ。
相変わらず娘に対する周囲よりの誤解・無理解に耐えたり、集団の場でいじめに遭ったりしつつも、娘は無事私立中高一貫校の受験に合格し、今まで以上に勉学に励む(励ませる)日々だった。
その合間に、油絵教室及びクラシックバレエレッスンにも週2のペースで通う(通わせる)日々だった。(学校の勉学のみならず、娘の適性を知り開花させたい思いがサリバンとして強靭だった故だ…)
娘は中学校で美術部に所属していた。
ただ何分多忙な娘であるし、持って生まれた特質として相変わらずすべての行動が人より遅かった。
娘が中2になった際の文化祭で、美術部全員が作品を展示する事となったようだ。 ところが何事にも行動が遅い娘の作品制作が文化祭に到底間に合わない。 これに頭を悩ませたサリバンが、絵画教室で描いた上記油絵作品を持参する事を娘に提案した。 それに素直に従った娘が上記「アンスリウム」を学校へ持参したところ、美術部顧問より「困るんだなあ、こういうの。 ちゃんと学校で期限前に作品を仕上げてくれないと。」云々とブツブツ言われたとの話を、サリバンの私は文化祭が終わった後に娘より聞いた。
そうとは知らず文化祭見学に行った私は、娘の油絵作品に対する学校の扱いに愕然とさせられた…
まさに「存在自体が迷惑!」と言わんばかりに、娘の作品は美術室ではなく、通行が多い誰も見やしないであろう廊下の上部に埃にまみえる形で掲げられていた。 しかも、歪めて…… せめて親心としてその“歪み”を自力で修正してやりたいのだが、どうしても手が届かない。
後で悔やんだのだが、あの時何故私は美術部担当顧問を探し出してでも、以下のように訴えなかったのだろう… 「今回は、娘の持って生まれた特質故にどうしても美術部にての作品制作が文化祭までに間に合わず、別の場で制作した油絵を持たせたことをお詫びします。 ただこんな未熟で下手な作品でも、我が家にとっては宝物なのです。 学校の文化祭でこのような粗雑な扱いをされるのならば、今すぐ私が自宅まで持ち帰りますので外して頂けませんか?!」
その後、娘には二度と学校の文化祭に貴重な自作の油絵作品を持たせる事は無かった。 結局、その後も文化祭までに作品を仕上げられない娘の作品が学校で展示される事は、娘高校卒業まで一度足りとて無かった……
それから更に年月が流れ2016年秋の現在、今春新人社員として社会にデビューした娘は、企業人として活躍(?)するに至っている。
近頃の私は、すっかりサリバン業から解放されている。
と思いきや、実は決してそうではない。 娘帰宅後必ずや娘の職場での働きぶりや娘に対する周囲の人々の対応の様子を、それとはなく引き出すべく娘とのコミュニケーションに励む日々だ。
もしかして今に至って尚、周囲から娘に対し「存在自体が迷惑!」なる屈辱を受ける事態もあろうかとある程度予想・警戒しつつ、その対応策を水面下で虎視眈々と練ろうとしているサリバン母の私である事には変わりない。
何故、10年も前に描いた娘の下手で未熟な油絵作品を、今更我がエッセイ集にて敢えて公開するのかには理由がある。
本日朝、「原左都子エッセイ集」編集画面「アクセス解析 “ページごとの閲覧数”」 の上位に、2009.3.29に公開したバックナンバー 「存在自体が迷惑??」 がランクインしているのを発見したのだ。
早速、公開後7年が経過した当エッセイを読み返して、サリバンとして一番厳しく過酷だった娘の小学校入学前頃の光景が克明に我が脳裏に蘇った。
それに連動して何故か脳裏に浮かんだのが、上記娘の油絵作品に関する親として辛かった出来事である…。
これに関しては後述するとして、冒頭よりバックナンバー「存在自体が迷惑??」の一部を要約して以下に紹介しよう。
本エッセイは、前回の「We can graduate!」の続編のような形になるのだが、事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育に於いてのみではない。
子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々なのである。
一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと元より諦め半分である。 これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は、保護者にとって耐え難いものがある。
その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の驚くべき発言内容を取り上げよう。
我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。 だが残念なことに、生まれ持っての“特質”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。 その辺の事情を、親としてあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情(特質)に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。
ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性の担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を一切見ようともしない。
そしてその担当者は持論を述べ始めた。 「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。この子は十分に普通学級でやっていけます。」 (親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。だた、それを思うと無念さが募るだけだ。現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)
さらに、担当者はこう続ける。 「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。 障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。 そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。 障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。 PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるため、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。 家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。
そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。 それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。 めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。
だからこそ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。 (中略)
ただ何よりも我が子の場合、生来の素直さ忍耐強さと共に、サリバン(私のこと)の厳しい指導教育の成果もあるのか、公共心や年齢相応の倫理観を備えた礼儀正しい子どもに育ってくれている。
そういった子ども本人のプラスの持ち味が幸いして、我が子は今後も将来の自立に向けてさらなる成長を遂げ続けてくれることであろう。
(以上、原左都子エッセイ集 2009年バックナンバーより一部を引用したもの。)
さて、冒頭の油絵に話を移そう。
娘が油絵第一作「アンスリウム」を描いたのは、中一の時の事だ。
相変わらず娘に対する周囲よりの誤解・無理解に耐えたり、集団の場でいじめに遭ったりしつつも、娘は無事私立中高一貫校の受験に合格し、今まで以上に勉学に励む(励ませる)日々だった。
その合間に、油絵教室及びクラシックバレエレッスンにも週2のペースで通う(通わせる)日々だった。(学校の勉学のみならず、娘の適性を知り開花させたい思いがサリバンとして強靭だった故だ…)
娘は中学校で美術部に所属していた。
ただ何分多忙な娘であるし、持って生まれた特質として相変わらずすべての行動が人より遅かった。
娘が中2になった際の文化祭で、美術部全員が作品を展示する事となったようだ。 ところが何事にも行動が遅い娘の作品制作が文化祭に到底間に合わない。 これに頭を悩ませたサリバンが、絵画教室で描いた上記油絵作品を持参する事を娘に提案した。 それに素直に従った娘が上記「アンスリウム」を学校へ持参したところ、美術部顧問より「困るんだなあ、こういうの。 ちゃんと学校で期限前に作品を仕上げてくれないと。」云々とブツブツ言われたとの話を、サリバンの私は文化祭が終わった後に娘より聞いた。
そうとは知らず文化祭見学に行った私は、娘の油絵作品に対する学校の扱いに愕然とさせられた…
まさに「存在自体が迷惑!」と言わんばかりに、娘の作品は美術室ではなく、通行が多い誰も見やしないであろう廊下の上部に埃にまみえる形で掲げられていた。 しかも、歪めて…… せめて親心としてその“歪み”を自力で修正してやりたいのだが、どうしても手が届かない。
後で悔やんだのだが、あの時何故私は美術部担当顧問を探し出してでも、以下のように訴えなかったのだろう… 「今回は、娘の持って生まれた特質故にどうしても美術部にての作品制作が文化祭までに間に合わず、別の場で制作した油絵を持たせたことをお詫びします。 ただこんな未熟で下手な作品でも、我が家にとっては宝物なのです。 学校の文化祭でこのような粗雑な扱いをされるのならば、今すぐ私が自宅まで持ち帰りますので外して頂けませんか?!」
その後、娘には二度と学校の文化祭に貴重な自作の油絵作品を持たせる事は無かった。 結局、その後も文化祭までに作品を仕上げられない娘の作品が学校で展示される事は、娘高校卒業まで一度足りとて無かった……
それから更に年月が流れ2016年秋の現在、今春新人社員として社会にデビューした娘は、企業人として活躍(?)するに至っている。
近頃の私は、すっかりサリバン業から解放されている。
と思いきや、実は決してそうではない。 娘帰宅後必ずや娘の職場での働きぶりや娘に対する周囲の人々の対応の様子を、それとはなく引き出すべく娘とのコミュニケーションに励む日々だ。
もしかして今に至って尚、周囲から娘に対し「存在自体が迷惑!」なる屈辱を受ける事態もあろうかとある程度予想・警戒しつつ、その対応策を水面下で虎視眈々と練ろうとしているサリバン母の私である事には変わりない。