原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自殺生徒を出した公立中学校は教員採用体制を再構築せよ

2017年10月19日 | 教育・学校
 高校教員経験がある私だが、教師時代にただの一度として生徒を叱った(怒った)事がない。
 そうはせず、あくまでも下手なりにも「指導・教育」をした事はあるかもしれない。

 このような表現を用いるのには、私なりの理由がある。 
 生徒を“感情的に叱る(怒る)”のが仕事と履き違えているらしき教員は、確かに周囲に山ほど存在した。 その行為こそが教員として正当な指導・教育との、教員間での暗黙の了解もあった。
 それが出来ないのは教員として失格、なる“叱らない教員”バッシングの姿勢すら感じさせられる機会も幾度か経験している。
 
 もしかしたら、私の場合は “叱れない教員” だったのかもしれない。
 それを嗅ぎ付けた上位教員より、その旨指摘された事もある。「叱る時に叱ってくれないと他のクラスにまで迷惑が及ぶ、ナンタラカンタラ…」  とりあえず「申し訳ございません」と頭を下げて、その場をやり過ごした記憶があるが、(私の場合生徒間で人気教員だったとのプラス面の印象が大きいのか??)その後しつこくそれを繰り返される事はなかった。 (“怒らない”教員も学校運営に不可欠と、当該上位教員は悟る力量があったのだろう。)

 ある時、教室の生徒の一人が「先生、本当は怒っているでしょ?」と授業中に言い始めた。 これに追随した生徒達が「そうだよ。本当は先生は怒っているよ!」と同意し始めるではないか。
 この生徒達の発言には理由がある。 私は教員着任後比較的早期に「私は、怒らない人格です、ナンタラカンタラ…」と自己紹介内で明言していたのだ。
 何故そうなのか。 教員としての私なりの確固たるポリシーがあった故だ。
 そのポリシーとは、まずは相手が高校生との年代に達している事実だ。 相手は既に自我が芽生え主体的に物事を考えられる年代に達しているはずだ。 そのように人間として対等であるはずの相手を掴まえて、教員経歴が浅い人間が偉そうに“上から目線”で怒れるはずもなかろう。
 実際、私よりも“大人”と感じる生徒達に心理面で助けられる日々だった。 その状況に感謝こそしても、まさかこちらから「こらー、この馬鹿!!」とどこかの国会議員のような怒声を生徒に浴びせ掛ける必然性が一切無かったのだ。

 では、どうして生徒間から「先生、本当は怒っているでしょ?」なる質問が出てしまうのか?
 これぞ、現在の公教育が抱えている “病理” と結論付けられるのではあるまいか?
 生徒皆が幼稚園時代より高校に至るまで、教室内に響き渡る教員らの心無い罵声に耐え抜いてきた事実を物語る現象だったと、悲しいかな推測する。
 
 
 さて、話題を表題に戻そう。

 まずは、先程見たネット情報の一部を以下に要約して紹介しよう。

 福井県池田町の町立池田中学校で3月、2年生の男子生徒=当時(14)が男性担任と女性副担任から厳しい叱責を受け続け自殺した問題で、担任が家庭訪問をした際、生徒の祖母が「テレビで言っているようなこと(自殺)にはならないようにしてほしい」と話していたことが10月19日、町教育委員会が設置した調査委員会の報告書から分かった。  報告書によると、家庭訪問は2月21日に2回行われ、担任が生徒と祖母、母親と面談した。
 生徒はこの日学校へ行くのを嫌がり、母親に「宿題の件で副担任から怒られ、『やる気のない者は出さなくてもいい』と言われた。何を言っても言い訳と決め付ける。担任にも未提出物について強く怒られた」と説明した。
 母親が学校に電話すると、担任は3時間目に家庭を訪問し家にいた生徒と祖母と面談した。 祖母はその席で、「教師ならその子その子の性格や気持ちを考慮して対処してほしい。傷つきやすい子だから気をつけて」と述べ、自殺などへの注意も促した。
 同日夜、再び訪問した担任は母親に、「副担任は僕がちゃんと見る。二人きりにならないよう注意する。今度の件は上に報告してしっかり対応していく」と約束した。 しかし担任は副担任に特に話をせず、校長と教頭には副担任の指導が生徒の気持ちをくんでいない面があると報告したが、二人から特段の指示はなかったという。 

 
 一旦、私見及び私事に入ろう。

 上記ネット情報を読む限り、中2男子生徒の家族の方々は学校側と誠実に対応出来ていると判断する。
 特に祖母である人物が、「自殺にならないようにしてほしい」「教師なら生徒個々の性格や気持ちを考慮して対応して欲しい」なる嘆願まで担任に伝えている事実は見逃せない。
 それにもかかわらず担任が中途半端な態度しかとれず、生徒を自殺に追いやったと読み取れる。

 ここで再び私事だが。 我が過疎地の義務教育現場も惨憺たる有様であるとの話題を、定年まで過疎地の公務員として勤めた実母より聞く機会がある。  その話によれば、公立学校教員採用など、特に過疎地の過疎地域ほど現在でも“コネ・金銭対応”が事実のようだ。

 そんなものだろうと想像はしていたが、(以下は我が想像に基づく範囲内での記述だが)もしかしたら、上記自殺生徒を出した福井県の中学校も、教員を“コネ採用”に頼っていないだろうか??


 最後に私論でまとめよう。

 “コネ採用”ほど不透明な採用方式は無いだろう。
 特に小中学校義務教育課程の教員採用を決して甘く見てはならない。
 私の感覚によれば、小中学校のお勉強など教員資格さえ取得していれば教育内容は誰でも教えられるのではなかろうか? と大いに勘違いしている古き体制の過疎地教委連中が多い現状ではあるまいか??
 今現在の小中学校の教科内容は、おそらく貴方達教委高齢者の想像を超えて劇的に進化しているだろうに…。

 加えて、現在の小中学校にて一番に配慮・教育するべきは、まさに集団内の人間関係であるはずだ。
 今回の男子生徒自殺は、学校内の“いじめ”によるものではなかったものの。
 もっと基本的な厳しい課題である “教員対生徒” の人間関係に於いて引き起こされた悲惨な事件だ。
 この事件の全責任は、全面的に生徒にかかわった教員達及び学校・教委に帰属する事実には間違いない!

 事件が発生した福井県のみならず、どうか全国各自治体が同様の事件を再度引き起こさないためにも、少なくとも“コネ採用”は終焉する等、今後の教員採用体制の見直しから着手し直して欲しいものだ。