原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「信頼できるパートナーが1人いる強み」

2019年08月03日 | 自己実現
 猛暑続きの日本列島。

 寝苦しい熱帯夜が毎晩訪れる中、“変な夢”を見てうなされる虚ろな夜を皆さんも過ごされているのではなかろうか?


 そんな季節柄に相応しい(??)今から遡る事ほぼ7年前の 2012.08.11付「原左都子エッセイ集」バックナンバーを、本日は再掲載させていただこう。


 今朝(2012.08.11)方、私は“老後の予言”か、あるいは“現実逃避願望心理”かと分析できそうな夢をみた。 結構明瞭な夢で再現できる部分が多いため、記憶が新鮮なうちにエッセイとして書き留めておこう。
 以下はその「夢の再現」だが、(  )内の文章は目覚めた後に我が心理を自己分析、あるいは注釈したものである。

 私は今一体何歳なのだろう。
 それさえよく分からないしその理由やきっかけも不明だが、私はヨーロッパのとある小さな街で1人暮らしをする事になった。 (居住先がヨーロッパというのは、おそらく2週間に渡りテレビ映像で楽しんだロンドン五輪の影響と分析する。)

 その街の風景写真が手元に数枚送られて来ている。 少し薄暗くて見辛いのだが、その中の一枚は発電所の写真だ。その街の電力は地熱発電に頼っているようだが、それにしてもリアルな発電所の影像である。 (実際に地熱発電所現場などただの一度も見た事がないのに、何故写真としてあれ程リアルに発電所風景が我が夢の中に出現したのかは不明だ。 先程ネット情報にて地熱発電所画像を確認したが、私の夢の中の写真とは大きく食い違っていた。)

 私自身は欧州のその地に行きたいのかそうでないのかすら夢の中でもよく捉えられないものの、どうやら不安と期待が混在状態のようだ。
 最大の不安材料として、言語の壁がある。 何語圏の街かも不明だが、とにかく外国で暮らすためには少なくとも英語力をもっと強化する必要がある。 早速英会話力を増強せねば!と夢の中でもがき苦しむ私だ。 (参考だが、私はこの種の夢をよくみる。夢の中で日々どれ程学習・学問や仕事に励んでいる事か!)
 今回の夢は単身での海外転居の想定のようだが、少なくとも既に若くはなさそうな私にとってこの期に及んでの単身海外暮らしはやや負担感もある。
 そうだ、誰かパートナーを誘おう!、と夢の中で志したところ、一人の実在男性がその候補として浮かぶ。
 (この男性がたとえ夢の中であれ我が脳裏に浮かんだ事実に関しては、私自身大変興味深いものがある。 ここで当該男性に関して少し注釈を加えると、我が独身時代の20年程前まで交流があった人物であり、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにも幾度が登場している。 残念ながら現在は音信不通状態だ。  実は今年3月フェイスブック上に「原左都子」ページを開設した時、この男性がフェイスブック登録しているか否かの確認作業をした。 そうしたところ、そのページが実在した!  連絡を取るべきか控えるべきか散々迷った挙句、私は「とりあえずは“控える”」との選択肢を採用した。 何故かと言うとその理由の一つは、「やあ、久しぶりだね!」「元気だった?」どうのこうのの“軽ノリ”で再会したくない思いが強かったからだ。 この人物とはお互いに多大なる影響力を及ぼし合いつつもっと重厚な関係を築いて来た歴史があると、あくまでも“私側”は信じている。 それ相応の再会劇を熟慮したい相手なのだ。)

 さて、渡欧のパートナー候補を決定しているうちに夢から徐々に目覚め、私は現実世界に引き戻される。
 まだ夢うつつの我が脳裏には、「あれ、よく考えてみると私って子持ちの身じゃん… 1人で欧州へ渡って単独生活をしつつ、別天地において自分が選んで同行したパートナーと楽しい日々を送れる訳などないよなあ… 」との落胆と共に、それにしても“いい夢”だったとの感覚で今朝は気分よく目覚めた。

 普段ならば起床直後は倦怠感と苛々感が強い私にしては珍しく、上記夢が我が脳内神経伝達物質に作用した結果体内に心身安定ホルモンでも流れたのか、いつになく心地よい穏やかな朝である。

 心地よいまま再度上記我が夢を振り返ってみるに、この夢の根源とは、先だって2度目となる義母のケアマンション訪問に端を発しているのかもしれないと考察するのだ。 

 その後身内より、ケアマンション内で義母に“良き友”が出来たとの情報は得ていた。
 施設に到着して一見した義母は、1回目に会った時とはまったく別人のごとく見違えるように活き活きと若返っていた。  まず外見からしてまったく違う。花柄のフレアースカートに薄ピンクのブラウスを着て薄化粧を施している義母に、介護施設入居前の義母がフラッシュバックする思いだ。 しかも声のトーンも上がり、「“ネイルアート”プログラムにも参加したいし、今度ホテルでのランチタイムバスツアーにも参加するの!」とうれしそうに話してくれるではないか。 
 今回は大学が夏休みに入った我が娘をケアマンションに同行したのだが、義母がそれをとても喜んでくれ、「○ちゃん(我が娘)に会わせたい人がいるから」との事で娘だけ引き連れて行った先がその“良き友”の部屋だったとのことだ。
 後でこっそり娘に確認したところ、義母の良き友とは“ボーイフレンド”だったらしい。

 もちろん義母を激励する私だが、これを実の息子である我が身内に激白するには時代が未だそれ程進化していないのかもしれない。 それでも義母は早速ボーイフレンドが出来てうれしい事を誰かに伝えたかったのであろう、と私は推測する。 その手段として孫である娘を通じて私に伝えた義母であると理解している。
 そんな義母に、次回は義母が欲する化粧品等を持参する事を約束して我々はケアマンションを去った。

 何だか、やはり私には義母の生き様が今後の参考になるような気がする。
 義母と私はその時代背景は元より歩んで来た人生がまったく異なるのだが、“(特に男の)友人関係”に於いて共通項がありそうに思うのだ。 だからこそ、私は今回要介護ケアマンションで“ボーイフレンド”を作った義母を応援したいのだ。
 まさに、今回の表題に掲げた“信頼できるパートナーが一人いる強味”故である。

 何分、徹底して「集団嫌い」の私は今後老後に突入した時点に於いても、我が“一匹狼”気質にこだわりつつ自分が理想とする交友関係を貫きたいと欲している。
 「集団嫌い」の私としては、集団管理生活を強制されるケアマンションになど絶対に入居したくはないと志しているところが、今現在に於ける義母との相違点であり、我が若気の至りなのであろう。
 そうであるとして、私には如何なる老後が訪れるのだろうか? と再考した場合、それはまだ程遠い未来の話でしかない。  まずは実母、義母を見送る任務がある。 それと同時進行で我が娘を自立させ、そして身内を送った後、やっと我が身が自由になるとの図式だ。
 その時に至ってこそ原左都子が実現したいのが、“信頼できるパートナーが一人いる強味”人生なのだ。 (そのパートナーと同居しようとは一切思わない。それは鬱陶しい。 その種のパートナーがある程度の心理的距離内に存在するだけでいい。)

 ただその番狂わせも考慮した場合、今朝みた夢である渡欧一人暮らし、ましてや信頼できるパートナーを伴ってなどまさに“夢物語”と化し、私こそが率先してこの世を去る運命にあるのかもしれない。 ちょっと辛いが、これこそが現実というものだろう。
 それでも、なるべく自分らしいポリシーと生き様を死ぬまで全う出来るよう日々努力しつつ、現実世界で年老いていきたいものである。

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)



 以下は、2019.08.03 現時点での私観だが。

 いや~~~。 面白いじゃん!!

 このバックナンバーには先程偶然「原左都子エッセイ集」上で再会したのだが、私にとっていろんな意味で何ともタイムリーな話題だ。

 先だって、ウィーン個人旅行から帰国したばかりだ。
 何故、今回の我が個人旅行の行先がヨーロッパの一都市である“ウィーン”だったのか? もしかしたら我が深層心理にこの夢を現実せんとの強い潜在意識があり、それこそが私をウィーンに誘ったのかもしれないような気もしてきた。
 
 この夢内に我がパートナーとして登場した男性に関してだが。
 この過去のエッセイを読み返した先程、それが一体何処のどなたなのかすっかり忘却していた。 “Facebookにて調べた”との自分の記述により、それを思い起こした。 そう言えば7年前頃には、その男性の記憶が確かに未だ我が脳裏に存在したものだ。 
 ただ年月の流れとは、過去にかかわった人の記憶も忘却させるものである事も実感出来る気もする。

 義母入居施設の保証人を既に2012年より実施していた事実も、このエッセイにて再確認させられた。 あれから7年以上の年月に渡り、義母の保証人としてその面倒をみて来ている訳だが…。
 施設内にて“ボーイフレンド”を作る意欲と色気があった義母が、今に至っては認知症に苛まれ見る影もない始末… 


 いやはや今後の我が老後に向けて、私自身が何とも“勉強になる”我が過去の夢だ。

 遠い(近い?)未来の我が余生を、ヨーロッパの某都市にて我が好む“パートナー”と過ごす夢物語を追いかけつつ、有意義な現実の日々を送りたいものだ。

 猛暑続きの熱帯夜も、捨てたものではなさそうに思えてきたぞ!