日々、当該gooブログにかかわっている立場の原左都子としても、「面倒臭い奴」と出くわす機会が今尚ある。
それでは早速、表題に掲げた 「面倒臭い奴」とはどういう奴かに関して、早速2015.01.12付バックナンバーより再掲載しよう。
冒頭から「面倒臭い奴」に関して解説しよう。
例えば職場で飲み会が開催されるとする。 それに参加したくはないが誘って欲しい。
それでとりあえず誘いのお声が掛かるのを待つ。 ところが誘いが来ないと腹を立てる。
ラッキーにも誘いがあった場合、とりあえず断る。 その時相手に「そうですか」と簡単に引き下がられるとまた腹を立てる。
結局行きたくないから飲み会には出席しなかったところ、翌日職場で昨夜の飲み会の様子を周囲に楽しそうに談話されるとまたもや腹を立てる。
あるいは嫌々ながら飲み会に出席したとする。 自分の居場所が無く隅っこでうじうじしているのに誰も気付かず、そんな自分を無視して盛り上がっているのにも腹を立てる。 仕方がないから先に帰ろうとするのを誰も引き止めない事にも腹を立てる。
こういう人物を 「面倒臭い奴」 と世間では言うそうだ。
早速、原左都子の私見だが、これ確かに周囲にとっては「面倒臭い」事には間違いないが、要するに本人自身は単に周囲に甘えたいのに加えて、自分をおだてて欲しいだけの幼稚な人間とのことだよねえ~~??
上記「面倒臭い人間」に関する談話を、私は先週放送された民放テレビ番組にて視聴した。
自分こそが「面倒臭い人間」だと、昼間の時間帯に放映されている民放テレビにて公開したのは、劇作家・脚本家・映画監督であられる三谷幸喜氏だ。
この人の事を、私も知っている。 裏舞台で活躍する立場の職種にしてはテレビの表舞台にも登場して、まるでタレントのごとく私事をよく語っている人物だ。 朝日新聞にも長年コラム欄を担当している事も承知している。
それ故に三谷幸喜氏の人柄に触れる機会が無きにしも非ずなのだが、私の印象としては、三谷氏が「面倒臭い奴」である事を以前より承知していた感覚だ。
三谷氏には大変失礼かつ申し訳ないのだが、「この人、“小心者”にして、随分と活躍している人だなあ。」との印象を私は持ち続けていた。
そうしたところ、先週の民放テレビにての「自分は面倒くさい人間である」との談話により、その人物像が私の脳裏で繋がった。
やっぱりそうだよねえ。 この人、結局周囲に甘えつつあくまでも自分を“他力本願に”盛り立てて欲しい人物に間違いなさそうだ。
天下の地位を築いている三谷幸喜氏にして、何も自分から「飲み会」を開催して僕(しもべ)の皆を誘い、「自分が大将だ!」と宣言すれば済むものを…
既に世の成功を勝ち取っておられる人物が、何故に僕からの盛り立てに期待しているのかを分析したく思い、私は三谷氏に関する情報をウキペディアを通して検索した。 以下のその一部を紹介しよう。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。
東京都世田谷区出身。世田谷学園高等学校を経て、日本大学藝術学部演劇学科卒業。 大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。 演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。」 (以下、略。)
原左都子の私事及び私論を記そう。
なるほど、分かる気がする。
三谷幸喜氏とは、日本大学芸術学部との(たかが学生時代に)既に人気者であり、(狭き世界である)日大のヒーローだったとの記述に私は納得した。
若き時代に自分を肯定してくれる周囲環境を経験すると、その評価が高ければ高い程に、それこそが自分に対する「一生に渡る評価」と勘違いしてしまう事実を、我が過去の人生に於いても経験したような気がする。
ただ私の場合は幸いな事にその記憶が脳裏に刻ま込まれてしまう事実を冷静に捉えられるべく、後々学問に励み、我が脳内を整理し直せたように振り返る。
それに加えて、自分の意思は自助努力でコントロールするべきとの感覚も自分自身で繋いで来れたのがよかったと振り返る。
出たくもない「飲み会」になど出ない!と最初から宣言するのが一番である事には間違いない。
何故、三谷氏が“それでも”出たくない飲み会に周囲から誘って欲しいのかと考察するならば、その我が儘が通用する恵まれた環境下に現在地位を築いておられるからに他ならないであろう。
今後一生に渡り三谷幸喜氏が(近き周辺人物から見て)「面倒臭い人間」としての人生を欲し、それが叶い続ける自信がおありならば、それで十分との話だ。
(以上、2015年1月公開のバックナンバーを再掲載したもの。)
2019年8月時点での我が私見を語るならば。
ブログなど、ネットとの“限られた環境下”に於ける人々の交流に過ぎない世界である事には間違いない。
そんな“至って人の意思が限定された世界”に於いて他者と如何に関わるのかなど、これぞ自由が保障された世の中で人それぞれが“成せる業”であろう。
そんなバーチャル環境下で人と交わる事に異論を唱えても致し方無い、との結論に至りそうだが…
この原左都子など、今現在自己分析しても現実世界に於いて究極「面倒臭い奴」であろう事を当の昔から自覚出来ている。 (いえいえ、嫌な飲み会や同窓会になど絶対出席しない!という点では全く面倒臭くないのだが、人間としての神髄部分で一筋縄では行かない面倒臭いところがある事は認める。)
ならば尚更、所詮ネット上で知り合った相手に “あんた何様だよ、面倒臭いよ!” などと、いちゃもんをつけられるはずも無い。
要するに、所詮そういうことだ。
と気付いたところで、今回のエッセイは終焉に持ち込もう。
それでは早速、表題に掲げた 「面倒臭い奴」とはどういう奴かに関して、早速2015.01.12付バックナンバーより再掲載しよう。
冒頭から「面倒臭い奴」に関して解説しよう。
例えば職場で飲み会が開催されるとする。 それに参加したくはないが誘って欲しい。
それでとりあえず誘いのお声が掛かるのを待つ。 ところが誘いが来ないと腹を立てる。
ラッキーにも誘いがあった場合、とりあえず断る。 その時相手に「そうですか」と簡単に引き下がられるとまた腹を立てる。
結局行きたくないから飲み会には出席しなかったところ、翌日職場で昨夜の飲み会の様子を周囲に楽しそうに談話されるとまたもや腹を立てる。
あるいは嫌々ながら飲み会に出席したとする。 自分の居場所が無く隅っこでうじうじしているのに誰も気付かず、そんな自分を無視して盛り上がっているのにも腹を立てる。 仕方がないから先に帰ろうとするのを誰も引き止めない事にも腹を立てる。
こういう人物を 「面倒臭い奴」 と世間では言うそうだ。
早速、原左都子の私見だが、これ確かに周囲にとっては「面倒臭い」事には間違いないが、要するに本人自身は単に周囲に甘えたいのに加えて、自分をおだてて欲しいだけの幼稚な人間とのことだよねえ~~??
上記「面倒臭い人間」に関する談話を、私は先週放送された民放テレビ番組にて視聴した。
自分こそが「面倒臭い人間」だと、昼間の時間帯に放映されている民放テレビにて公開したのは、劇作家・脚本家・映画監督であられる三谷幸喜氏だ。
この人の事を、私も知っている。 裏舞台で活躍する立場の職種にしてはテレビの表舞台にも登場して、まるでタレントのごとく私事をよく語っている人物だ。 朝日新聞にも長年コラム欄を担当している事も承知している。
それ故に三谷幸喜氏の人柄に触れる機会が無きにしも非ずなのだが、私の印象としては、三谷氏が「面倒臭い奴」である事を以前より承知していた感覚だ。
三谷氏には大変失礼かつ申し訳ないのだが、「この人、“小心者”にして、随分と活躍している人だなあ。」との印象を私は持ち続けていた。
そうしたところ、先週の民放テレビにての「自分は面倒くさい人間である」との談話により、その人物像が私の脳裏で繋がった。
やっぱりそうだよねえ。 この人、結局周囲に甘えつつあくまでも自分を“他力本願に”盛り立てて欲しい人物に間違いなさそうだ。
天下の地位を築いている三谷幸喜氏にして、何も自分から「飲み会」を開催して僕(しもべ)の皆を誘い、「自分が大将だ!」と宣言すれば済むものを…
既に世の成功を勝ち取っておられる人物が、何故に僕からの盛り立てに期待しているのかを分析したく思い、私は三谷氏に関する情報をウキペディアを通して検索した。 以下のその一部を紹介しよう。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。
東京都世田谷区出身。世田谷学園高等学校を経て、日本大学藝術学部演劇学科卒業。 大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。 演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。」 (以下、略。)
原左都子の私事及び私論を記そう。
なるほど、分かる気がする。
三谷幸喜氏とは、日本大学芸術学部との(たかが学生時代に)既に人気者であり、(狭き世界である)日大のヒーローだったとの記述に私は納得した。
若き時代に自分を肯定してくれる周囲環境を経験すると、その評価が高ければ高い程に、それこそが自分に対する「一生に渡る評価」と勘違いしてしまう事実を、我が過去の人生に於いても経験したような気がする。
ただ私の場合は幸いな事にその記憶が脳裏に刻ま込まれてしまう事実を冷静に捉えられるべく、後々学問に励み、我が脳内を整理し直せたように振り返る。
それに加えて、自分の意思は自助努力でコントロールするべきとの感覚も自分自身で繋いで来れたのがよかったと振り返る。
出たくもない「飲み会」になど出ない!と最初から宣言するのが一番である事には間違いない。
何故、三谷氏が“それでも”出たくない飲み会に周囲から誘って欲しいのかと考察するならば、その我が儘が通用する恵まれた環境下に現在地位を築いておられるからに他ならないであろう。
今後一生に渡り三谷幸喜氏が(近き周辺人物から見て)「面倒臭い人間」としての人生を欲し、それが叶い続ける自信がおありならば、それで十分との話だ。
(以上、2015年1月公開のバックナンバーを再掲載したもの。)
2019年8月時点での我が私見を語るならば。
ブログなど、ネットとの“限られた環境下”に於ける人々の交流に過ぎない世界である事には間違いない。
そんな“至って人の意思が限定された世界”に於いて他者と如何に関わるのかなど、これぞ自由が保障された世の中で人それぞれが“成せる業”であろう。
そんなバーチャル環境下で人と交わる事に異論を唱えても致し方無い、との結論に至りそうだが…
この原左都子など、今現在自己分析しても現実世界に於いて究極「面倒臭い奴」であろう事を当の昔から自覚出来ている。 (いえいえ、嫌な飲み会や同窓会になど絶対出席しない!という点では全く面倒臭くないのだが、人間としての神髄部分で一筋縄では行かない面倒臭いところがある事は認める。)
ならば尚更、所詮ネット上で知り合った相手に “あんた何様だよ、面倒臭いよ!” などと、いちゃもんをつけられるはずも無い。
要するに、所詮そういうことだ。
と気付いたところで、今回のエッセイは終焉に持ち込もう。