原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「美しい涙を流したい…」

2019年08月06日 | 自己実現
 ウィーン旅行記終了後の「再掲載シリーズ」も、これで5作目となろうか?


 いえいえ決してこれを当初より“シリーズ化”しようと狙っていた訳ではないのだが…。 
 前日の“Popular Entriesトップ10”にランクインしていたり、関連エッセイを自ら紐解く中で。 
 自分自身が“同意”したり“感動”出来るバックナンバーに出逢える喜びを発見したとの訳だ。(ナルシストか、お前は!??)

 連日猛暑続きで朦朧とし不活性化している脳を無理やりこき使い下手なエッセイを“付け焼刃”的に綴り公開するよりも、せっかくの「名作」バックナンバー(一人で言っていよう。)を再掲載する方がよほど実りがあるかも! と考えた訳だ。


 それでは、本日は2013.05.01公開の「美しい涙を流したい…」を以下に再掲載させていただこう。

 昨日(2013.04.30)深夜、「原左都子エッセイ集」を以前よりお読み下さっている “とある方”(以下、H氏と記述しよう)から1本のメールを頂戴した。 (参考のため、H氏は原左都子が元医学関係者であることをご存知であられる。)
  
 私が個人的にメール返答申し上げれば済むのかもしれないが、H氏よりのメール内容が文学的かつ社会性を帯びていて、これは公開に値する!と判断させていただいたため、身勝手ながら今回我がエッセイ集の題材として取り上げさせて頂く事にした。

 早速、以下にH氏よりのメールの一部を要約しつつ紹介しよう。

 4月29日の記事 (我がエッセイ集「世にテレビがなかったら人はもっと進化できたか?」) を読み、最近の脳内不良を相談させていただきます。 
 NHKの大河ドラマは、新撰組以来ちょっとどうかと思う時代考証やキャスティングについて行けなかったり、女性を主人公にしたなよなよジメジメの作品が多くて、ずっと遠ざかっていました。 ところが「八重の桜」を観て、草食系侍に何だいつもと同じか、と思っていたら、段々彼らの役者の目に虜に成り、何でもないシーンに涙をこぼすことが多くなってきたのです。 そのシーンは決まって“義”とか“信”に尽くす真っ直ぐな心の射影のシーンです。 己の半生を顧みてそれが最も欠けていることは気が付いていても、その番組の出だしのテーマ音楽を聴いただけで、もはやこみ上げて来てしまいます。 まるで、ワンちゃんがおやつを見せなくてもその仕草をしただけでよだれを出すのと同じ様です。
 この二年間というもの、我が親類の為にボランティアでの仙台との往復で疲れ切ってしまい、テレビで震災のことがちょっとでも出て来るとすぐチャンネルを切り替えたりSWを切ったり、逃げ回っていました。 その場面が出ると涙が溢れてしまうからです。
 歳をとると涙もろくなると言われてますが、サッカー中継で打ち振られる日の丸を見たり君が代を聴いたりすると、身震いこそすれ涙を流すことなど全くなかったのが、最近の私は香川が蹴り込んだシーンに歓声を上げずに涙をこぼすのです。 何やら感動が全て涙に化けている様です。
 家族と一緒にテレビの映画やドラマを観ていた時は、家父長たる威厳の誇示よろしく絶対に涙を流さなかったのが、後期高齢者となって独りでテレビを観ていると、見栄も恥もなく平気でボロボロ泣いてしまいます。
 これって、ごく普通の加齢癖なんでしょうか、それとも鬱の前兆なんでしょうか?
 (以上、「原左都子エッセイ集」をお読みになられたH氏からのメールより一部を引用させて頂きました。)

 上記H氏よりのメールを読ませていただき、真っ先に我が脳裏にカムバックしたのは「原左都子エッセイ集」2007年9月開設当初にネット上に公開した 「涙もろさと感性の相関関係」 なるエッセイである。
 ここでその一部を振り返らせていただく事としよう。
 私は涙もろい。 新聞を読んでは目頭を熱くし、テレビのドラマを見るときにはティッシュ箱を抱えることなく見られない。 外を歩けばこの間まで赤ちゃんだったような小学生が自分と同じくらいの大きさのランドセルを背負っている姿がいたいけで涙を誘われ、電車の中では思い出し泣きで目を充血させる。 劇場や映画館や、はたまた子どもの卒業式ではいつも先陣を切って泣き始め、周囲のもらい泣きを誘っている私だ。
 ところでこの我が涙もろさはプレ更年期の頃から激しさを増しているようだ。 恐らくホルモンバランスの悪さが精神的不安定感を増長しているためであろう。 いい年をして人前でボロボロ泣くのはみっともないし、化粧も剥げて悲惨な顔となってしまう事は重々承知しているのに、どうしても感情のコントロールが若い頃よりもうまくいかず醜態をさらすこととなる。
 数年前の話であるが、この涙もろさのために大失敗をしでかした事がある。 ある教育関係の学会ワークショップの閉会時のスピーチにおいて、参加者全員の前で感情が高揚して涙が止められなくなったのだ。 科学分野の会合でのスピーチで涙などとはまったく無縁の場であるのに、とんだ場違い醜態を晒し穴があったら入りたい心境であった。 私の頭の中に無意識のうちにこの研究発表の内容に関する強い思い入れがあったのだが、今思い起こしても何ともみっともない限りである。
 ここで、“涙もろさ”と感性の相関関係について考察してみることにしよう。 通常、涙もろい人は感受性が強く感性が豊かであることには間違いない事と思われる。 ところが私の場合プレ更年期以降は、例えば過去の経験が機械的に頭にフラッシュバックして、その時の自分の感情とは無関係に涙が出ているのではないかと涙を流しながら感じることが時々ある。  例えば先日映画を観に行った時にもボロボロ泣いたのではあるが、泣いている自分とは別にさめた自分がいて「ストーリーもありきたりだし、傑作とはいえないな。」などと落ち着いて冷ややかに批評しているのである。 どうも“涙もろさ”も過去の経験に支配されている部分がありそうで、その時の自分の感情とは無関係に涙が出ることもあるのではなかろうか。  別の観点から考察すると、諸現象が人の感性に訴え反射的に涙を誘うのであろうが、特に年配者は年の功で多面的に物事を把握する習慣が身についているため、とりあえず反射的に涙を流した後で、冷静な判断が行われているとも言えるのではなかろうか。  (以上、「原左都子エッセイ集」2007年バックナンバーよりその一部を要約引用。)
 
 それでは、我がエッセイ集をご覧になられメールを頂いたH氏宛にご返答を申し上げよう。
 一家の長としてご家族と一緒にテレビの映画やドラマを観ていた時は絶対に涙を流さなかったとのH氏のご記述が、原左都子が年少の頃郷里で家族と歩んだ道筋と交錯するのだ。
 私も同じ思いだった。 幼き頃、親がいる場で私が涙をこらえるべきと判断した理由とは、私が涙を流せば親が心配するだろうと幼心に慮った故である。

 その後成人した後上京し独身生活が長かった私は、元々生まれ持った「泣き上戸」気質故に自宅で思う存分一人で泣き崩れる事を堪能してきている。 
 後に晩婚の後子どもを設けた後も、私は自分の内面からの欲求と共に「涙もろさ」を現在の家族の前でもみっともなくも披露し続けている…  そんな私を許容してくれている現在の我が家族に感謝の思いであるのは当然だが。

 それにしても「涙もろさ」とは人の感情表現の貴重な一場面であり、素晴らしい自己表出であると私は捉えている。
 人間いくつになろうと、怒りを爆発しようが、笑い転げようが、涙にむせようが、それこそが人生の醍醐味ではなかろうか!! 

 そんな素晴らしい諸感情を人間が先天的に持って生まれ出た事実自体を、出来うる限り許容できる社会でありたいものだ。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2013年バックナンバーより再掲載させていただいたもの。)



 話題を現在(2019.08.06)に戻そう。


 昨日、当時「原左都子エッセイ集」コメント欄にてお付き合いがあったH氏のメールアドレスをスマホの住所録にて探してみたところ、未だきちんと保存されていた。

 このH氏だが、現役時代は“物理学”分野の仕事に従事されていた方との記憶があるが、我が「原左都子エッセイ集」をご訪問頂いた時には既に後期高齢者域に達しようとの年代の方だった事は、上記の“相談メール”にて推し量ることが出来る。

 H氏よりのコメント文面がとにかく“アカデミック”かつ“文学的”であり、その学問的雰囲気を私はすっかりと好ませて頂いていたものだ。 
 それ故にその文面関係が、その後メールに発展したものと振り返る。

 上記のメールは、おそらくH氏と音信不通になる直前期のものだったと記憶している。

 何と言うのか、こんなに素直なH氏の“本性”とも捉えられるご相談を読ませて頂き、違った意味合いでその人間性に直に触れる事が叶ったような感覚を抱いた記憶がある。

 2013年当時に後期高齢者域に突入されたH氏は、現在80歳を超えられているものと想像する。

 その後もお元気に“アカデミック”かつ“文学”色漂う人生を歩まれつつ、きっと今でも“美しい涙”を流されていらっしゃる事であろう。