今朝先程、以下のネット情報が目についた。
早速、一部を引用しよう。
評論家の古市憲寿氏が15日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演し、妹と20年間会話がないことを告白した。
番組ではきょうだい間での物の取り合いが話題に。3人きょうだいで妹が2人いるという古市氏は、司会の東野幸治から「妹さんはテレビでの活躍を応援してくれたりとかは?」と聞かれると、「下の妹とは20年ぐらいしゃべってないんですよね」と明かした。
古市氏はさらに、「たまに実家に帰るなどして同じ場所にいることがあっても、直接はしゃべらなくて、『お兄ちゃんに言っといて』みたいな感じで誰かを介してしかしゃべらない。何かのきっかけで、もうしゃべらないのが定着してしまって」と語った。
(以上、ネット情報の一部を引用したもの。)
この事例の場合、どうやら妹さんと絶縁したわけではなく、“しゃべっていない”との事のようだ。 その理由は全く不明であるが。
ただ、この文章を読む限り、妹さんと会話が無い事実がさほど深刻ではないようにも受けとれる。
さて、原左都子の私事に入らせていただこう。
私が米国暮らしが40年近くなる実姉と縁を切ったのは、24年前の事である。 (バックナンバーにても複数回述べているため、ご存じの読者の方々もおられるであろう。)
元々、仲が良くない姉妹だった。
何というのか、姉が生来的に人とコミュニケーションを取りにくい人間であり、幼い頃から姉との接触が少なかったように振り返る。
幼さが幸いして、特段姉と付き合わずとて他の家族や近隣の友達と仲良くすればそれで済むため、妹側の私としては何ら不都合は無かった。
参考だが姉と私は1歳7か月しか年齢が離れていない。
小学生中学年になった頃、姉が私に告げる。「何故あなたは、姉を無視してよその子とばかり遊んでいるんだ! 姉をもっと大事にしろ!」
意外性のある訴えだったと私は把握したが、姉の怒りは収まらず、その後妹に対するいじめが本格的に始まった。
同じ布団で寝かされた時期があるが、布団内で妹の私に対し毎晩殴る蹴るの暴力を繰り返す。 それを親に訴えて、「布団を別々にして欲しい」と要望したのだが、真剣に受け止めてもらえず…
それが実現したのは、小学校高学年になった頃だったろうか。
その後も姉の暴力は過激となるのに加えて。
二人が中学生になった頃から、姉は私宛の郵便物をすべて先に開いて「こいつは誰だ?! 姉を放っておいて、何でこんな奴と付き合っている!??」
あるいは、当時私が「小説」や「詩」を書いたりしていたのだが、(どうせ姉に読まれると思った私が隠してあるのを)見つけ出した姉が「こんなもの書く奴は不良だ!」 等々、とにかく妹の私に対する嫉妬心(?)の程が壮絶だった。
高校生になった姉は祖父母の家で暮らすと言い、父母と暮らす選択をした私と別々になった。
実は姉に手を焼いていた両親も、姉が祖父母の家で暮らすことを内心喜んでいたのを私は知っている。
それでも高校生時代に2人共国鉄(現在のJR)通学をしていた関係で、列車の中で合ったりする。 いつも友人と一緒の私のところへ姉が来ては、「あんたは姉より友達が大事なのか!」こればかりを繰り返した。 友達が「〇ちゃん(私の事)のお姉さん、怖い…」といつも怖がっていた。
そんな姉が大阪の大学へ進学して、私は胸をなでおろしていたのだが…
「どうしても大阪へ来い!」と姉が私に命令する。 両親も共働きだったが故に「そうしてもらえると助かる」と私に告げる。
やむを得ず何度か大阪へ私一人で行ったのだが、行く都度更に“異常さ”を増している姉の態度が恐ろしくもあった。
実は姉はミスコン出場の常連で、ミス・インターナショナル地元代表のタイトルを取得していた。
(それがあだとなったと私は思うのだが)、更に性格が歪んだままに大人になり、30歳過ぎてから1度目の結婚をしたものの短期間で破綻・離縁し。 その後、離再婚を4度繰り返し。
2度目の結婚相手が米国人であり、その時米国へ渡る際に、「二度と日本の地を踏むものか、私は米国に骨を埋める!」宣言をした時に。 私と母は(これで疫病神から離れられる)、とどれ程喜んだことか。
私が娘を高齢出産した際に、米国の姉から電話があった。
超難産で体調絶不調だった私相手に、姉が一体何を言ってきたのかを暴露すると、「先に産みやがって! 姉の私がどれだけ辛いかわかるか!!」だった。
更に年月が流れ、我が娘が2歳時に私は頭部皮膚癌を患った。
その手術入院が明日に迫った夜、偶然だが米国の姉から電話があった。その事実をつゆ知らない姉が一体何の用かと思いきや、「3度目の亭主と上手くいっていない。あちらが分かれたいと言うのだが、どうすればいいか?」とのいつもの内容の電話だった。
それに私が応えて、「申し訳ないけど、私は癌を患っていて明日その手術入院のため今多忙で…」と言いかけたところ、姉が言うには「今は癌は治る時代だ、そんなことよりも私の方がずっと辛いから、とにかく話を聞け!」
少し聞いてやりながら我が脳裏には、(これは絶縁しかない…)との思いがよぎった。
更に年月が流れ、娘が4歳時に私が一人で家にいる時間帯に姉から電話があり、用件が何だったか忘却しているが、いつものように私に無理難題をふきかけてきた。
その時には、私の心は決まっていた。
「もう縁を切りましょう。 私は今は一児の母であり、今となっては遠方に住む姉のあなたよりも娘や家族がずっと大事なのよ。 私の方は、姉の貴方が高校生の時に祖父母と暮らすと言ったあの時から、貴方の事を姉でも何でもないと思って生きて来ている。 申し訳ないけど、私の人生に貴方は何ら必要ないのよ。 金輪際の付き合いを終焉します。」
これに姉が何と答えたのか、記憶にないが。
この我が大宣言が姉にもこたえたのか、あれから連絡が途切れている。
(通信網の大進化で、着信拒否等々の技術が劇的に進歩した恩恵も大きいのだろうが。)
本気の絶縁とは、壮絶なものだ。
謝罪して許されるなどとの、生易しいものでは決してない。
それは、血縁家族とて同様だ。