(冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」授業の講義ノートを転載したもの。
今回から、講義内容が「科学革命」時代へと突入する。
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「科学革命」は、2世紀以上の長い期間に渡って徐々に起こった。
revolution とは、本来は“命が改まる、 元に戻る、 という意味。
ここでは、本質的に違う状態が生じた、という意味でこの言葉を使っている。
それまでは、大学以外の場所で学問が行われることはなかった。
「大学」とは、支配的階級と結びつけた制度だった。
その後、大学の外で研究がなされるようになった。
近代の科学は多様である。 中世は、アリストテレス的だったが。
ここに、プラトンが入ってくる。 → プラトン主義 Platonism
それは、近代の自然観とは全く異質な数学的科学。
プラトンは、自然とは似せて作られたもの、コピーである。(この言い方には問題があるが) イデアに関心を向けなければならないと説いた。
近代の科学では、厳密な数学を求めていくこととなる。
原子論は近代科学のひとつの特徴であるが、プラトンはこれを目の敵にした。
実用性の追求もテーマとなった。
『ヘルメス文書』 16C は、古いものが優れているとの考えの中で、1or2世紀に書かれたものを重要視した。
“魂の救済” 我々はたまたまこの世界にいる。
本来、何者であるかを認識しなければいけない。
フランシスコ・ベーコン は『自然的魔術』 natural magic に於いて、科学は力である、とした。
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近代科学の背景
ルネサンスと科学革命との関係
ルネサンスの美術は自然主義 naturalism を掲げ、自然的事物を忠実に写 し取ることを主題とした。
これに対し、中世では象徴がテーマとなり、自然的物事を忠実に写し取るとの姿勢は見られなかった。
絵に対する思想は、抑制されていた。
プラトンは、絵は世界のコピーであるがゆえに二重のコピーであり、これを眺めることは無意味とした。
絵を描くこと、すなわち、手作業を軽蔑的に見ていた。
このプラトンの考え方は時代の流れに逆らっていている、と捉えられた。
アリストテレスは、以下のように説いた。
● ポイエーシス : 何かを作り出す活動、制作、テクネー
(テクネーとは、Ars 体を使って何かを作り出す仕事全般のことであり、「テクネーはビュシス 自然 を模倣する。 機械学もテクネーのひとつ。 これは、動力学的考察中心。 アリストテレスの言うビュシスとは、自ら動くもの との意味。)
● テオーリア : セオリー、理論的活動
● プラクティス : 行為 政治学など
アルキメデスは静力学を主張し、つりあい、バランスが問題とした。
絵とは静的なものであり、ピュシスの模倣にはならない、とした。
アリストテレスの興味は『詩学』ポイエーシス、ドラマにあった。
これに対し、人間の活き活きした動きを模倣するのがテクネー。
最後に原左都子のお詫びになるが。
A先生ご自身はもちろんの事、素晴らしい授業を展開して下さっている事実には間違いないのだが。
原左都子による、より深部に入った考察がすっかり抜け去っているが故に。
事象の時代背景が交錯していて、分かりにくい概論となってしまったことをお詫びします。
今回の概論をきちんと紐解くにあたり私自身が大いに力量不足であることを、重々認識できております。
P.S.
途中、文字の大きさが大小入り乱れている点をお詫びします。
これは決して原左都子の意図ではなく、単にgoo編集画面上のトラブルです。
何分キーボード高速打ちのためこのトラブルが頻発してしまいますことを、 どうかご承知おき下さいますように。