いや、何と言っても人の葬儀が終了した直後とは、疲れがどっと出るものだ。
ゆうちょ銀行相手に復讐劇場(昨日のエッセイをご参照下さい)を繰り広げる心身共々の余裕など、我が老体の身に残っていない事実に気付かされる…
それに、まだまだ義母葬儀の残務もある。
お骨を墓に入れる作業もこなさねばならない。
本日亭主が電話にてその日程を墓地に確認したところ、その日程が先程決定した。
葬儀が終了した後、我が家に義母の「骨壺」を持ち帰ったわけだが、どういう訳か、亭主がその「骨壺」を私の書斎の直ぐ近くに安置したのだが。
これが、不思議なことに何とも心地よいのだ。
まるで義母が横で私を優しく見守ってくれているかの如くの柔らかい空間に、私の書斎が変貌したのだ!
それには、私なりに義母に大変お世話になった過去の事実がある故だろう。
義母には生前、実にお世話になった嫁の私だ。
婚姻直後に、我々新婚夫婦への “ビッグプレゼント” として、当時未だ珍しい存在だった「タワーマンション」をド~~~ン!! と購入して下さった。
そこの住み心地が悪いと我々夫婦が好き勝手な我がままを言った途端、「貴方達の好きな所に好きな物件を買い替えなさい」と追加費用まで負担して頂いて、すぐさま物件を買い替えたものだ。
私が高齢出産にて娘が産まれた際は、緊急搬送の超難産だったのだが。
その際もずっとそばにいて見守って下さったのは、義母だった。
その後も、決して出しゃばらずに我々一家とは適切な距離を置きつつ、必ずや多額の出費が必要な際には真っ先に“札束”をド~ン!と差し出して下さる人だった。
高齢域に達した後には、認知症故のわがままも多少出始めたりもしたが。
それでもとにかく高齢者施設暮らし故に、我々夫婦に迷惑が及ぶことはごく少数だったと今となっては振り返る。
先程の亭主の話によれば、以前より予約してあった原家の墓地(谷中墓地だが)に義母を入れる手はずも整ったようだ。
意外と早く、3月初頭には義母もその墓地に入れることが可能らしい。
「石碑」が作れるとの墓地からのお話だったようで、私が是非 原家全員の氏名を刻んだ石碑を作ろう! とその案に同意しておいた。
(参考だが、我々夫婦の墓地は 別の場所に永代供養墓を既に予約している。 そのため、谷中墓地に入ることは無い。)
上述の如く、義母死去後の段取りがすべて上手く機能して。
義母を送るとの最後の我が家の仕事が、流暢に展開している事実に今となっては安堵すらしている私だ。
今更ながら、良き嫁ぎ先に嫁げたものだと。
原家一族の皆様に、感謝申し上げたい程だ。