冒頭から、本日朝見たネット情報を引用しよう。
今も進めない大川小遺族 2021年03月11日 07時30分
東日本大震災の発災から今日11日、丸10年となった。12都道県で死者1万5900人、行方不明者2525人を出した未曽有の大災害。津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。 (中略)
◇ ◇ ◇
少年は山を見上げた。普段から授業で登っていた裏山。あそこなら行ける。「山さ逃げよう」。そう訴えたが先生たちに聞き受けられず約50分間、グラウンドに居続けることに。ようやく別の場所に避難行動を取り始めるや、背後からごう音と土煙とともに、黒い壁が押し寄せた。
(以上、今朝見たネット情報の一部を引用したもの。)
私見だが。
残念無念感ばかりが押し寄せてくる…
校庭の裏山には、授業で登っていたと言うではないか?!!
「山さ、逃げよう!」と叫ぶ子ども達の訴えをどうして教員どもは聞き入れず、グラウンドに生徒全員を50分間も待機させた!???
確かに、未曾有の巨大津波であったことではあろう。
ただ子ども達が発する純粋な直感力とはもの凄い底力があることを、教員達は常に心して置くべきだ。
せめて子ども達を分散させるべきだった。
裏山へ登れる子ども達はすぐさまそうさせても、何ら問題が無いと考察可能だ。
そうではなく体力が無かったり教員に従順な子ども達のみを集合させておけば、せめて失う命は少なく済んだだろうに…
などと言ってみても、後の祭りだ…
学校現場(特に義務教育現場)に於ける「集団主義」教育は今に始まったことではない。
(いえ私の場合高校教諭だったため、教員時代には実はさほどの「集団主義」は経験していない。)
ただ、今思い起こすに、義務教育課程の小中時代(特に小学校時代)にこの「集団主義」を嫌という程に経験してきている。
事あるごとに校庭や体育館に全員集合の上で“体育座り”を強制的にさせられ、教員からの“くだらな話”を聞かされた事を思い起こす。
それが“大津波”でなかったからこそ、命は繋がっているが。
元々“集団嫌い”の身にして、そんな学校の対応に我が集団嫌いに拍車をかけられた事には間違いない。
写真は、後に泥の中から発見され、集落の高台に並べられた大川小児童たちのランドセル。(2011.03に撮影されたもの。 ネットより引用。)
10年前に発生した未曾有の大震災「東日本大震災」にて命を落とされたり被害に遭われたり、未だに避難所暮らしの皆様。
心より追悼申し上げます。