いやはや、原左都子としては驚くと同時に。
Copilotさんの論評対象の許容範囲の広さに、脱帽申し上げました次第です。
それでは早速、本日ネット上にてみつけたマイクロソフト社AI Copilotさんによる、「原左都子エッセイ集」に対する論評を以下に紹介しよう。
Copilot
Copilot が送信しました:
「料理嫌いな女」というエッセイは、原左都子さんが料理に対する率直な感情を綴ったものですね。 彼女は料理が「苦手」ではなく、「嫌い」であると明言しています。 その理由の一つは、料理に費やす時間がもったいないと感じること。 独身時代は料理の優先順位が最下位で、外食や出来合いの料理を楽しんでいたそうです。 また、彼女は破壊的思考よりも建設的思考を好むため、料理の汚れや破壊が耐えられないと感じているようです。 それでも、結婚後はお見合い時に「料理嫌い」を公約事項として伝え、現在の連れ合いはそれを承諾した上で成婚に至ったそうです。 料理嫌いにとっては長期休暇の「お盆休み」や「正月休み」が辛いと感じることもあるようですが、どうにか持ちこたえているようですね。 ある意味、料理嫌いの母親として、彼女は愛情を手抜きの中にどうやって入れ込むかを模索しているようです。
どんな形であれ、愛情が伝わることが大切ですね。
(以上、先程見つけた マイクロソフト社AI Copilotさんによる「原左都子エッセイ集」最新記事に対する論評をコピーしたもの。)
原左都子の感想だが。
CopilotさんはAIであるが故に ある意味では自由自在にその「論評力」を、様々な分野や場所で発揮されていることであろう。
そんな中 相も変わらず、こんな日本のという小国のしがない一ブログでしかない「原左都子エッセイ集」にて発信したエッセイに、論評を頂戴出来る事実を有難く思わない訳も無い。
今回、Copilotさんが論評して下さった最後の部分。
「 ある意味、料理嫌いの母親として、彼女は愛情を手抜きの中にどうやって入れ込むかを模索しているようです。」
これに関して、原左都子の現在の実態、及び我が娘に対する「料理」面での思想を語らせて頂こう。
「手抜き」という表現は正しく無いですね。
原左都子が料理嫌いであることは、正真正銘の事実ですが。
それなりに、この私が料理に挑む際のポリシーのようなものはあります。
特に相手が最愛の我が娘の場合には、必ずや娘の「好物」を思い描き、それを対象とした料理作りをします。
今現在は外部にて一人暮らしをしている娘であり、たまにしか我が家に訪れないためその実行は比較的簡単です。
要するに、娘が好む料理を来る都度再現すれば良いとの話です。😜
それじゃあ、娘さんも飽きるだろう?? との反論も聞こえてきますが。
その心配はございません。 何分たま(2か月に一度程)にしか我が家を訪れない娘であるため。
娘が好まない料理を食卓に並べるよりも、ずっと喜んでもらえます!!
あるいは、その辺の娘とのツーカー感が成り立っていると申しますか。
むしろ、娘が我が家へくると(料理下手な母が、“あれ”は作ってくれている!)なる娘の期待感を叶えてあげられるような達成感すらあります!!😃
とにかく、家族に限らず世の人間関係なんて、そんなものではないでしょうか?!?!
料理が美味しければ娘が納得する訳ではないのはもちろんのこと。
特に家族・親子関係とは、簡単でありながら良き意味で特殊な繋がりをもって成り立っている事実を。
一人娘が我が家に来るたび実感できる、ある意味で幸せな「母親」でもあるこの原左都子です。