原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

集団で実施する「命の教育」など、教委の気休めに過ぎない

2014年08月02日 | 時事論評
 級友の命を奪ってまでも「人体解剖」を実行したいとの内面から湧き出る欲求を、自己コントロールし切れない一少女がこの世に存在し得る事実を、我々は如何に捉えるべきか?

 原左都子の観点から正直に述べると、そういう人物がこの世に存在しても不思議ではない感覚を、私は過去の経験から一部承知している。


 例えば医学部の学生達とは、必ずや「人体解剖」実習を通過せずして医師免許状が取得出来ない運命だ。
 医学部学生の中には、元々「人体解剖」に興味があった人種もいるだろう。
 あるいは、そうではなく医師免許を取得するためやむを得ず「人体解剖」を義務として何とかこなした人物も存在するであろう。
 もしかしたら「人体解剖」がどうしても受け入れられずに、医学部を中途退学した人材もいるかもしれない……。

 私自身の医学部経験を述べると、私の専攻が“パラメディカル分野”であったがために、「人体解剖」に関しては医進者(医師を志す学生達)による「人体解剖」場面を見学しさえすれば、授業単位が取れる立場にあった。
 それでも見学途中で“吐き気”を訴え、その場から退室し実際に吐いた女子学生が存在した。
 私自身に関しても、大学病院内科実習に於いて生前の姿を認識している患者氏の死後直後の解剖実習場面は見学するに忍びなかった思い出がある。 生前病室で「具合はいかがですか?」などと質問すると、病状の悪化にかかわらずいつも丁寧に応えて下さる患者さんだった。 生前病室にいつも付き添っていた奥方氏の無念と共に、若気の至りの我が身にしては実に辛い「解剖実習」だったものだ。

 要するに私自身は「人体解剖」の場で吐き気に耐えられない程の拒絶感はなく、自分が置かれている立場を客観視して冷静に振る舞う事により、何とか理性で持ちこたえられた人種なのであろう。

 そのように私自身を考察した場合、自己コントロール力を完全に失ってまで級友相手に「人体解剖」がしたかったとの佐世保事件加害者女性とは、精神構造を異にすると自己分析する。 
 そういう意味で佐世保事件の加害者女子には、せめてもう少し自己コントロールが可能なまでに成長した暁に、大学医学部にでも進学させて「人体解剖」を正当な手段で実施して欲しかった思いだ。
 極論ではあろうが、この女子の育て方を誤らなければそのような人生を導いてやることも可能だったのではなかろうかと、悔やまれるのだ……。
 
 各種続報を見ると、当該少女は経済面や社会的地位に於いて恵まれた家庭に育っているようだ。
 その傍ら、少女は幼き頃よりいわゆる“猟奇趣味”の片鱗がみられたとの報道もある。 せっかく恵まれた家庭に生まれ育っていながら、その特異性に気付き真剣に対処出来る人物が家庭内に存在しなかったのだろうか?? 

 しかもこの少女の不運は、1年ほど前に母を“膵臓癌”で亡くした事で加速したとも受け取れる。
 少女の成長を一番に見守っていたはず(?)の母の死がもたらしたショックにより、おそらく少女の“猟奇趣味”に火が付いたことであろう。 更に追い討ちをかけたのが、その直後に父親が愛人を作り少女を家から追い出して「ワンルームマンション」を与えるとの(一般家庭に於いては信じ難い)事実でもあろう。


 我が国に於いては、過去にも同様の“猟奇趣味的事件”が複数発生している。
 その一つは、既に死刑が実行されこの世にはいない宮崎勤による、幼女連続殺害事件だった。
 1997年に神戸市で発生した(通称)「酒鬼薔薇事件」に於いても、幼い子供が複数犠牲になっている。
 上記両事件と、今回の佐世保高1女子事件との間に共通項が多いと私も認識している。


 それにしても、その後の佐世保市教委の対応が混乱状態かつ貧弱極まりないのだ。

 今回の事故後の佐世保市教委の対応に関するネット情報を以下に紹介しよう。
 佐世保市で県立高校1年の女子生徒(15)が殺害され、同級生の少女(16)が逮捕された事件を受け、市議会文教厚生委員会は29日、市教育委員会から事件への対応について報告を受ける会合を開いた。少女が小学生のときに給食に異物を混入した事案が取り上げられ、当時の市教委の対応をただす声が上がった。 県教委によると、少女は小学6年生のとき、家から漂白剤や洗剤を持ちだし、学校の給食に混ぜて大きな問題になった。 会合で市教委は、当時の対応について「学校から混入事件に関する報告があり、県にも報告した。心のケアなどもさせていただいた」と説明。「市議会に報告しなかった点は反省したいと考えている。その後の県教委の対応については知らない」と話した。 永元太郎・市教育長は「(児童や生徒の情報の)引き継ぎ対応システムが県側とつながっていない」などと釈明。 市議からは「県教委と市教委の連携がどうなのかと以前から疑問に思っていた」などの意見が相次いだ。


 皆様もご存知の通り、佐世保市は過去にも市立小学校に於いて小6女子同級生同士の間で殺傷事件を経験している。
 この事件を受けて、佐世保市教委はその後「命の教育」とやらを公立小中学校で定期的に実施しているらしい。
 ところが、佐世保市によるこの「命の教育」とやらをテレビ報道で一見した私は、大いなる失望感を募らされたのだ。

 全校生徒を猛暑の体育館に強制的に座らせ校長から“下手な訓辞”をしたとて、何らかの思いが生徒達に伝わるとでも思っているのか!?
 生徒一人を“犬死”させるとのこんな非常事態に直面した時にこそ、子供の教育とは如何にあるべきかを振り返る絶好の機会であるのに、何故教委の年寄達は未だ子供達を体育館に集合させてろくでもない訓辞を述べたいのか!?


 最後に私論に入ろう。
 
 ここは是非共専門家氏に、個々の生徒一人一人のカウンセラー力を頼って欲しい。 
 このような事件があった暁に、学校現場で下手な全体集会を開催したところで、個々の生徒の精神面での負担を募るばかりであり無意味な結末となろう。
 今の時代に於いては、地域教委長や学校長が専門力無き無駄な訓辞をせずして、必ずや個々の子供の成長に寄り添える専門力あるカウンセラー氏が存在するはずだ。
 
 どうか教委や学校には自分らのプライドより何より民間力に頼ってでも、本気で個性ある子供達一人一人と直に対面する事により、子供達の将来を守って欲しい思いだ。 

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