原左都子の40年来に及ぶ愛読新聞・朝日新聞のネットサービス「紙面ビューアー」とやらに登録して、しばらくの月数が経過しているが。
今になって尚このサービスの有効な使用法を把握していない私なりに、一応メールにて届けられた情報の確認は時折している。
まあ要するに、この「紙面ビューアー」の存在趣旨とは有料版である「デジタル新聞」への勧誘なのであろう。
それが証拠に、記事の本文を少しだけ紹介して「後は『有料版』でご覧下さい」、との文言がいつも末尾に書かれている。
その手には易々と乗らせられないことには絶対的に自信のある原左都子だ。
今までにただの一度も、たとえその文面に興味を抱いたとて、必ずやそこで読むのを打ち切っている。
と言うよりも、その後の記事内容を私なりに想像するのが面白い!
本日の朝日新聞からのメールにも、その手の文面があった。
以下に引用しよう。
「俺って役に立っていない」 東京から逃げ出そう、55歳の決断
55歳の「逃げ恥」体験 無給で働いた1年
私は現在56歳。アラ還の一記者だ。
20年以上、医療や介護、年金など社会保障の取材を続けてきたので、専門記者といわれることもある。
一方で管理職のポジションとはほぼ縁が無く、出世とはほど遠い生活を送ってきた。
そんな私が2021年春から朝日新聞社を休職し、大分県にある社会医療法人で1年間、無給の「研修生」として過ごした。
なぜ、そんなことをしたのか。
「医療・介護の現場での体験を通して、より専門性を深めるため」。こんな、世間体のいい語りもできる。
しかし1年の休職を決めた理由は、もっと差し迫ったものだった。
一言でいえば、新型コロナを引き金に、メンタルがだんだんとまずいことになったのだ。
ここ数年、配属されていたのは社会保障とはあまり関係ない部署だった。必死になって新たな分野を取材して、自分の居場所を見つけようとした。
だが、自らに「有用感」を持てない状態が続き、少しずつ心に疲れがたまっていった。
一つ原稿を書き上げても、次の原稿にとりかかるエネルギーがすぐには湧いてこない。でも評価を得るためには、動き続けなければならない。
常に何かに追われるような気分なのに、心身に力が入らず息切れした。
(以上、朝日新聞社より日々メール配信されてくる媒体より引用したもの。)
原左都子の私見に入ろう。
へえ、朝日新聞社って「休職制度」があるのね!
やっぱり大手新聞会社って、恵まれてるんだ。
それを利用して出世とは程遠く、かつ実は新型コロナを引き金にメンタルがだんだんとまずいことになっていた55歳の一記者が、地方の社会医療法人へ1年間、無給の「研修生」へと、“逃げた” って訳だ。
ところが、現実は甘い世界ではなく。
自らに「有用感」を持てない状態が続き、少しずつ心に疲れがたまり、一つ原稿を書き上げても次の原稿にとりかかるエネルギーがすぐには湧いてこず、 常に何かに追われるような気分なのに、心身に力が入らず息切れしてしまったって訳ね。
さて、その後この朝日新聞社員はどう転んだのだろう?
まあおそらく、(朝日新聞紙の結論としては)その後何とか巻き返して本社へ復帰したとの結末になるのだろうが。
いじわるおばさんの原左都子の結論は、そんなに甘くないぞ!
そもそも、新聞記者とはそれぞれに専門分野がおありなのだろうが。
その専門とは、原左都子が過去に学んだように医学部にてとことんその専門教育を受け、日々実習に励み、臨床現場である病院等で実地訓練を通過し、国家資格を取得してやっと職場の一員として活躍できる、とのごとくの制度とは大違いであろうと想像が付く。
自らの足で現場に飛び込み丹念な取材をし、一刻も早くその情報を新聞紙上にて伝える。 そんな厳しい日々の繰り返しなのであろう。
そんな合間に自身の専門分野の知識を増強していく努力も惜しまず、素晴らしい記事を日々紙面にて発表してこそ、身が立つ職業であろうと想像する。
まさに“生き馬の目を抜く”がごとくの競争世界の中で生き抜かねば、出世も何も掴めないことであろう。
それが、どうした?!?
東京で役に立たなかったから、地方へ行って身を立てるって?
考えが甘いにも程がある!、と地方出身で東京で身を立てた(??)原左都子としては、吐き捨てたくもなる。
いや、そもそも私の場合は大都会・東京が肌に合っていて、ただの一度とて出身過疎地に舞い戻ろうなどとの発想が全く沸かない人種だ。
さて、真実はどうなのだろうね??
それを知りたいならば、朝日新聞デジタル版を見れば分かるのだろうが。
東京がお気に入りの原左都子にとっては、所詮 二の次でよい話だ。