原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

盛夏の秩父路の旅 ー3-

2009年08月14日 | 旅行・グルメ
 今回の客室は露天風呂付だったのだが、この露天風呂も横瀬川に面していて川のせせらぎを聞きながらの湯浴みを寛げる。
 夜間には昆虫や蝶まで露天風呂に湯浴みを楽しみに来るとのことで、それをすくって逃がしてやるための“虫取り網”も露天風呂内に用意されている。

 なるほど、本当にやってきたぞ。 “蛾”と思しき生物が私と一緒に湯浴みを楽しみたかった様子だ。さっそく虫取り網ですくって逃がしてやったのだが、元気がない。無事に生還できたかな?

 朝の露天風呂こそ最高だ!
 朝に弱い私も、部屋に露天風呂があると一人でゆったりと寛げる。この“贅沢感”はこの状況でなければあり得ないなあ~~。

盛夏の秩父路の旅 ー2-

2009年08月14日 | 旅行・グルメ
 夕食は、個室食事処にて懐石料理をいただく。
 この食事処も秩父横瀬川に面していて、川のせせらぎの音を聴きながらのゆったりとした時間が流れる。 
 懐石料理もさることながら、飲兵衛の私のメインは何と言っても ♪お・さ・け♪♪
 地酒の“秩父錦”の生酒と生でないのを冷酒で2本同時に注文し、飲み比べてみる。やや甘口の“生でない”方が私の好みだ。両方共あっさり淡麗のため私にはグイグイとハイピッチでいくらでも飲めてしまうのが困りものもの…

 結局、食事の懐石の方は途中でお腹満杯で食べきれず、最後の方のご飯ものとデザートは客室まで運んで下さるとのことで、部屋で夜食として頂くことになった。
 (仲居さんにはご足労かけて申し訳ない思いだが、湯浴みの後で食べるご飯ものとデザートって美味で最高なのよ♪)
Comments (2)

盛夏の秩父路の旅 ー1-

2009年08月14日 | 旅行・グルメ
 世間ではお盆休み期間中につき、「原左都子エッセイ集」もいつもの“毒舌辛口オピニオン”は少し自粛させていただいて、中休みに旅行記を写真と共に綴ります。

(ブログ記事への写真の添付の仕方を心得ず、一記事に一枚掲載する能力しか持ち合わせていない“原始人”を貫いておりますため、旅行記が何記事にも及んでお見苦しい点、何卒ご了承下さいますように。)


 行き先は、“近場の山間の田舎”という身内の希望に従って埼玉県の秩父地方。
 都心より西武特急ちちぶ号に乗車して約1時間20分程で西武秩父駅に到着し、そこから歩いて秩父鉄道に乗り換え、和銅鉱泉の宿のある和銅黒谷駅より宿の送迎車で宿泊先に到着。

 和洋室客室のベランダの目前に流れている横瀬川の風景が美しい。
Comments (4)

「死後」の美しいあり方

2009年08月09日 | 人間関係
 今年もお盆が近づきつつある。

 この“お盆”の歴史的意味合いとは、既に亡くなっている先祖の霊が子孫の元へ戻ってくる(新暦では)8月15日前後に、子孫がその霊を迎えるために様々な風習をとり行う期間を指すようである。
 私が子供の頃にも、毎年この季節になると、祖母が南側の軒下に提燈を吊り下げて夜になると蝋燭の火を灯す等の手はずを整えて、先祖の“霊”を迎え入れるべく準備をしていた風景が印象的に脳裏に刻まれている。

 時代が大きく変遷して、科学技術が急激に発達し少子高齢化社会が到来している現在、先祖の“霊”の重みが明らかに変容してきていることを実感する。
 いつまでも、先祖の“霊”が子孫にまとわりついていたのでは、子孫に迷惑がかかる時代に突入しているとも言える今日この頃である。

 そのような時代背景の下、この私ですら早くも“「死後」の美しいあり方”について思いを巡らす機会が既にあるのだ。
 “「死後」の美しいあり方”などと響きの良い表題を掲げたが、具体的には自分の死後の“葬儀”と“墓”をどうしたいか、という現実的な課題について触れるのが今回の記事の趣旨である。


 実は、私はもう既にある程度の“葬儀”と“墓”に関する自分自身の意思決定を下している。
 我が家の場合、高齢出産で産んだ一人娘が、順当にいけば親の死後ほぼ40年もの年月を一人で生き抜かねばならない運命にある。 その一人娘に、親の“葬儀”は元より“墓”の管理等で40年間も手を煩わせるのはどう考察しても忍びない。 そんな無駄とも言える手間を娘に押し付けて他界するより、娘には自分自身の人生を思う存分有意義に生き抜いて欲しいものである。 そして、娘には親の葬儀や墓の管理等で無駄な支出をすることよりも、生前に出来うる限りの資産を残してやって本人が幸せに生きるためにこそ、それを役立てて欲しいのだ。

 そこで、私は既に以下の決断をしている。
 もしもこの私が我が家の3人のうち一番先に死んだ場合、葬儀は行わなくていいと家族に伝えてある。
この国の場合、法制度上死体は火葬することが義務付けられているため、家族の手を煩わせて申し訳ないがその手続きのみはお願いしたいのだが、葬儀は元より、親戚知人への報告さえ必要ないと伝えてある。 もしも、“風の知らせ”に私が死んだ事を知った知人が“線香を上げたい”と言って下さるならば、それは有難くお受けしたいが、心の中でそうしていただけるのみで十分である。
 “墓”に関しても、我が郷里の両親に関しては既に永代供養の手続きを済ませているし、嫁ぎ先の先代の墓に入れていただくには(我が子も含めて)その子孫にご迷惑がかかるため、“墓”には入らず簡易な「手元供養」を考慮中である。
 この「手元供養」をご存知ない方のために少しだけ説明すると、各種用意されている小さいメモリアルオブジェを買い求めるのだが、その中に遺骨の一部を入れてもよし入れなくともよし、もしも我が娘がこのオブジェ自体が不要になったならゴミとして捨て去ってもよし、という墓に変わる格安商品である。
 もちろん、これとて我が娘が不必要ならば購入することもないのだが…。

 
 世の中には、様々な宗教や思想が存在し、文化的にあるいは地域的要素として人の「死後」を奉る風習が揺ぎなく現存し続けている国や地域においては、その風習を継続する伝統を守り抜くべきことには必然性もあろう。

 片や歴史的に宗教的背景の薄い日本においては、今の時代、一部を除き「死後」の世界にまでこだわる人は少数派ではなかろうか。
 それ故に、良識ある著名人の中には現在では葬儀を身内のみで行っている事例が多いことには私も好ましく思っている。

 自分の子孫はともかく、それとは無縁の周辺社会までをも義務的に巻き込んで大々的に葬儀を行う著名人には正直申し上げて辟易とさせられるばかりである。
 例えば、若くして亡くなった著名人に関してはその事務所が商業主義に走っているのかと捉えられる大々的な葬儀も今時マスメディアで見聞するが、あれが故人の遺言であったならば、私など大いに幻滅である。

 
 この私にもしも、私の何らかの能力や実績の一部として、例えば我が子に私の死後に影響力として残せ伝達し得るのならば、それは私が故意に伝達するのでなく、我が子の自然の成り行きに任せたいものである。

 「死後」に至るまで美しくありたい…。
 これは私の“哲学”であり“美学”でもある。


 短い期間ですが、旅行に出かけます。 
Comments (7)

「通知表」より「個人面談」の充実を

2009年08月07日 | 教育・学校
 8月1日(土)朝日新聞夕刊 “Say! Yes! No!”のコーナーの今回のテーマは「通知表の絶対評価に賛成?」と題して、その Yes No 解答を読者に問うものであった。


 いきなり極論であるが、小学校に絞って考察すると、絶対評価、相対評価云々…以前の問題として “「通知表」自体が不必要” と考えるのが私論である。

 と言うのも、我が家の場合多少の特殊事情があるためとも言える。
 我が子の教育に関しては、子どもを公教育に通わせる傍ら、3歳時より中2の途中頃まで、学習面を含め教育全般を母である私が“お抱え家庭教師”として指導を担当し、その到達度も詳細に把握し続けてきているためである。
 学校から子どもが持ち帰る「通知表」に関しては、義務教育の期間は保護者欄にコメントを記載せねばならない事情もあるため、もちろん一見はするのだが、我が家にとってはそれは参考程度の位置づけでしかなかったものである。

 子ども本人にしてみれば、絶対評価であれ相対評価であれ、通知表の評価が良いのがうれしいに決まっている様子で、良い評価が記載されていると単純に喜んでいたようだ。 そんな幼心を尊重してやりつつ、個人指導担当の母(私のことだが)としては必ず通知表に書かれている各方面の評価に注釈や異論を述べつつ、その学期の我が子の学習到達度等を母子二人で話し合う時間を設け、今後の学習への取り組みにつき親子で合意を図ってきている。
 そういう意味では、我が家の場合学校から渡される「通知表」を“有効利用”しているとも言えるのだが、特段それがなくとも差し支えはなかったというのが本音である。


 通知表に関して困惑するのは、学業成績はともかく、担任の一方的なコメントの書き込みである。
 我が子の場合は、持ち前の素直さ温順さ等の性質が幸いしていたためか、あるいは現在の公教育においては“プラス評価”が基本とされているためか、今までのところ、担任教員の“主観”が露出したようなコメントの記載はなく保護者としては“命拾い”している。(なぜ“命拾い”なのかと言うと、そういう類の主観的コメントが記載された場合、保護者としてはその後の担任教員対応に困惑させられるためである。)


 私自身の通知表をこの機会に振り返ってみると、この私も一応当時は周囲には迷惑にならない子どもだったため、我が親など私が学校から通知表を持ち帰ることをいつも楽しみにしていた様子である。
 一方で私本人は、担任による主観的コメント記載ばかりが今尚脳裏に刻みつけられている。 私もよくまあ、そんなことまで憶えているものだと自分ながら“根に持つタイプ”を実感なのだが、担任の「通知表」のコメントとは幼心にトラウマとして残り得ることを痛感させられるのである。
 例えば、小学1年生の通知表に担任からの私の“鼻水”に関する記載があった。その担任の記載によると、「授業中に鼻水をたらすのは“だらしない”ので、たらさないように家庭で指導しなさい」とあったのだ。 (健気に頑張る小学生になったばかりの私には、このコメントは幼心に実に辛かったものである…)
 この通知表の記載を心にトラウマとして持ち続けていた私は、医学関係の知識を得た後々、この担任に対しその無知さ加減に大いなる不信感を抱いたものである。 (後で考察すればの話だが)私には幼い頃から“鼻アレルギー”の症状があったことは事実であるが、この症状は本人自身が息苦しくて一番辛いのである。ところが当時の学校と言えば、授業中に「ちーん!」と紙で鼻水をかむと、教員から「静かにしなさい!行儀が悪い!」と叱咤される時代である。 それ故に、息苦しいのを耐え忍んで鼻水をたらさざるを得ないのだ。 しかも小1の私とて、鼻水をたらすのは我がプライドに反する感覚はその時既にあった。
 私が小学1年生だった当時は、この日本もまだまだ戦後復興期で後進国から這い上がろうとしていた頃で、特に教育においては至って未熟な時代だったとも言える。 それにしても、担任の一時の安直な感想を「通知表」に書いて保護者までをも指導しようとする教員の“独裁”ぶりに、私は当時から既に反発心を抱いていたとも言えるのだ。
 現在に至っては、公教育現場においても学校指定の健診医を配備する等、専門役割分担を図っている様子で一応は安心している。 (この現状に関しても、元医学関係者である私に言わせてもらうと、素人である親子にやたらと医療機関受診をあおる等の落とし穴があると判断するのだが、また別の機会に論評することにしよう。)


 話が横道にずれたが、ここで私論をまとめよう。

 公教育において担任教員が「通知表」を作成する手間と時間を、保護者との「個人面談」にもっと費やしては如何であろうか?

 実はこの私は、我が子が公立小学校在学中より子どもの担任の先生に個人的に「個人面談」を申し出てその機会を設けてもらうことが何度かあった。 もちろん、これを拒否する担任も一部ではあるが存在した。 だが、一保護者の要望に沿って時間を割いてこの「個人面談」を受け入れて下さった担任の下で、我が子が大きく羽ばたけたことも事実なのである。 それは何故かというと、担任である教員と保護者(私のことだが)の信頼関係がこの面談により多少なりとも築け、我が子の教育に関する両者の合意が得られたからに他ならない。


 そういう面談をむしろ苦手とする保護者が今や大多数であり、また、教員側も保護者との接触の鬱陶しさを回避したい時代へと急激に突入しているのであろうか??
 とにもかくにも、生身の人間同士の“対話”を好まない人種が増殖している時代の到来を実感させられる今日この頃ではある。

 それにしても学校の教員とて、今の時代の保護者達がどの程度見ているのかもしれない「通知表」の記載を、自らが一度も会話したこともなくその特質を十分に把握し得てもいないクラスの生徒も存在する中で、その一人ひとりの生徒に対してその場を取り繕うことのみを目的に「通知表」の作成を行うのは虚しいだけなのではなかろうか?
 それよりも、せめて毎学期末に子どもも含めた三者面談を実施して、教員と保護者が一気に双方向で思う存分の話し合いを持つことにより、学校と家庭双方で子どもの成長の評価を述べ合うのが理想ではないかと、私など本気で考えているのだが。 
Comments (3)